熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(15) 産業の巨人、農業のスパーパワー その2

2011年09月08日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジル経済には、まだまだ、課題が沢山残ってはいるが、私は、インフレーションの激しい不安定な軍人大統領の時代を知っているので、
   ハーパー・インフレを終息させた1994年のレアル・プランの功績には絶大なものがあり、その後、世紀末のアジアやロシアなどの新興国危機に直面して、1999年に、為替を固定相場制から変動相場制に切り替え、インフレターゲットを導入したものの、財政責任法を制定して更にプライマリーバランス目標の徹底的維持を図るなど、カルドーゾ蔵相(後に大統領)の実施した絶妙なマクロ経済政策の舵取りがなければ、今日のBRIC'sの雄としてのブラジルはなかったのではないかと思っている。
   その後のルーラ政権が、市場経済重視の前政権の基本方針を受け継ぎ、更に、マクロ政策の健全化を促進し、2005年には、IMF借入を完済し、2007年には純債権国に転換し、2009年には、ガイトナー財務長官から、世界的金融危機救済者として感謝されたと言うのであるから、正に、今昔の感しきりである。

   このレアル・プランの少し前に、コロル政権が実施したコロル計画で、貿易の自由化、外資導入と公営企業の民営化を実施して、それまでの輸入代替工業化政策で国際競争力のない脆弱な工業部門と非効率な公営企業による劣悪な工業サービス、植民地時代の時代遅れの統治制度や富の偏在等々を一挙に排除しようとしたのを、「従属理論」の権威であるカルドーゾ教授が新自由主義的な経済政策で引き継いだのである。

   さて、ローターは、ブラジルの農業について、アマゾンの南部に広がる広大な熱帯サバンナ・セラードの農業開発、農牧リサーチ会社エンブラパの活躍、そして、アフリカへの技術移転などについて農業スーパーパワー・ブラジルを語っている。
   実は、このセラードだが、30年前、田中角栄によって始まり、ブラジルの広大な荒れ地を開拓し、日本の技術で緑の農地に変えたのだが、残念ながら、ローターは一言も日本について言及しないし、現在では、ブンゲ、カーギル、ADMなど穀物メージャーに抑えられて、日本の姿は見る影もない。
   このセラードは、2億ヘクタールで、日本の2.5倍の面積で、地球上に残った唯一の農業開発可能地だと言うのだが、そして、ブラジルの農産物、野菜や果物を育てたのは、すべて、日本人移民だと言うのだが、食料を海外に依存している日本の食糧安全保障の見地から言っても、あまりにも、今日の日本のブラジルとの関係は希薄となっている。
   酸性の土地に石灰を撒いて土地改良して荒れ地を蘇らせた日本の多くの農業学者や役人たちが、ブラジルで果たした熱帯農業の開発や品種改良や作物開発など、高度なバイオ技術の移転が実を結んで、ブラジルは、今や、この分野では、世界最先端を行くようだが、このセラードの開発ノウハウと技術を、アフリカ諸国に持ち込んで、農地開発を行おうとしている。

   ところで、比較的上手く進行して経済発展を続けているブラジルだが、ローターは、そのブラジル経済が完全にその持てる能力を発揮できないボトルネックについて言及している。
   まず、最初は、国土の広範囲に及ぶインフラの劣悪さ不十分さである。
   十分なドックも倉庫もない貧弱な港湾を筆頭に、空港、高速道路、鉄道など不備未整備は甚だしく、2016年のリオのオリンピックは大丈夫かと言った状態である。

   次に酷いのは、非効率で汚職塗れの官僚システム。
   500年前のポルトガル人移民そのままのメンタリティを根本的に変える必要があるのだと指摘して、例えば、証明書や許認可や公的文書の取得は勿論のこと、あらゆるお役所仕事では、延々と長い列が出来て時間の浪費が甚だしいと言う。
   1980年代に、この問題を解決するために、脱官僚省を設置したようだが、調査と申告受領役人を増やしただけで、国民の嘲笑を買い潰れててしまった。

   この非効率極まりない役所仕事を上手く取り仕切るのが、金を払えば中に入って何でも処理してくれるヨロズ代行業のデスパシャンテで、個人的にも、人コネや賄賂で処理するブラジル流解決法ジェイトが威力を発揮するのだが、これは、既に説明済みなので解説は省略する。
   上から下まで、賄賂とキックバックなど役人を喜ばせることなら何でも有効だとローターは言うのだが、このブラジルの評判を貶めている透明性の欠如、法律や規則よりも人間関係が優先すると言うブラジルでのビジネスは、外国人には、大変なのだが、法治国家の機能が働かないアミーゴ社会に順応する以外に道がないと言うことであろう。

   その他に、ローターは、ブラジルの課題として、教育の貧困、異常な所得格差や貧困問題等々の克服について論じているが、とにかく、世界の格付け会社が、ブラジルの格付けをアップグレイドし、サンパウロ証券取引所が、世界第4位となり、益々、発展の勢いだと言うことであるから、ブラジル経済は、もう、はるか以前にテイクオフしたと言うことであろう。
   とにかく、限りなく豊かで、輝かしい未来を秘めたブラジルを無視して、明日の人類社会を語れなくなったのである。
   
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廣瀬陽子著「ロシア 苦悩する大国、多極化する世界」

2011年09月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ロシアは、かって、世界を二分して冷戦を戦った一方の盟主であり、共産主義革命の権化であった核の国。しかし、ソ連邦の崩壊と同時に、政治経済社会の混乱によって危機的状態に陥ったのだが、石油と天然ガス景気で持ち直し、今や、BRIC'sの一角を占める前途有望な新興国のリーダー。
   この廣瀬先生の本は、最近のエジプトの反政府デモから、東日本大震災へのロシアの動きなど、最新の国際情勢にも言及しながら、今日のロシアの生々しい現状を活写していて非常に興味深い。
   「プーチニズム」を筆頭に、出版されているロシア関係書の多くは、ロシアの権力の腐敗や秘密警察的な弾圧や思想統制など暗黒社会をレポートしたものが多いのだが、この本は、欧米やNATO、中国、イスラエル等々との外交関係や、旧ソ連圏の諸国との政治や内政・紛争など治安問題に比重を置いた現在ロシア論である。

   異彩を放っているのは、やはり、グルジアやチェチェン紛争などでのロシアの執念とも言うべき徹底的な戦いなどについて、民族紛争の深部を抉り出して、問題提起を試みていることであろう。
   プーチン首相についてのチェチェン問題への糾弾は凄まじい。
   ”プーチン首相は、・・・1999年の首相時代から、チェチェンに対する厳しい政策を取ってきたことで、絶大な人気を得たといわれている。プーチンが第二次チェチェン紛争を開始した直接の原因とされているが、ロシア各地でのアパート連続爆破事件は、プーチンの権力基盤であるFSBの「やらせ」であると言う内部告発者による証言があり、実際に証拠がある。プーチンは、自身の支持率を上げるために、チェチェンを攻撃する口実を作った上でチェチェンに対して厳しい政策を貫き、さらに、・・・「力強い指導者」として国民の強い支持を得た。つまり、プーチンらは、愛国者と外交人排斥傾向を弄んで来たのである。”
   極左やネオナチなどに対して危険なほど寛容で、政治に関与しない限り安全弁として活用し、民族主義を自らの政治的権力強化の手段として利用して来たと言うのである。

   モスクワやサンクトペテルブルグでは、コーカサス系やアジア系など他民族に対する憎悪による過激な暴力や襲撃事件が頻発している。
   特に、チェチェンなどコーカサス系に対しては、
   ”ロシア人は、コーカサス系諸民族を古くから嫌っている。長く解決しないチェチェン紛争の背景も、グルジア紛争の背景も、究極的にはそこにある。ロシア人は、コーカサス系諸民族は、犯罪者や詐欺師ばかりで、非合法ビジネスで儲けたり、ロシアの治安を乱したりしていると考え、長らく蔑んできた。”
   コーカサス系民族を叩けば、ロシアの民族主義を高揚させることが出来る。だからこそ、チェチェン紛争もグルジア紛争も多くのロシア人の支持を得て来たのだと言うのである。

   FSB権力当局側の自作自演でも、テロが発生すると、きちんと調査せずに、当局は即座に、「北コーカサス系出身者」が容疑者であると発表するようだが、アメリカでの9.11で、同じテロに悩む国同士であるからと、ロシアがアメリカに急接近したのは、カモフラージュの為にも当然と言えば当然であろう。
   メドヴェージェフ大統領は、法律家なので、「テロリストを法廷へ」をスローガンに掲げて、テロリストを逮捕して法によって裁くことにより、平和裏に北コーカサスの安定を取り戻そうとしているようだが、「力」で制圧して来たプーチンとの溝は深い。
   それに、実質的な法治国家ではないロシアであるから、有効な法的解決などは難しいのではなかろうか。
   「多民族・多宗教のロシア」を構成している多くの民族に対して一貫した政策を構築することが、経済に建て直しや民主化など政治問題と並び、急務であると言うのだが、大国ロシアの前途は、非常に厳しい。

   ところで、チェチェンなどの民族問題を抱えているロシア以外にも、国内に分離独立問題を抱えている国が多く、旧ユーゴスラビアのコソヴォ問題などもそうだが、この民族問題をどう解決するのか、その帰趨が注目を集める。
   台湾、チベット族、ウイグル族などの問題を抱える中国が一番深刻であろうが、グルジアやアゼルバイジャン、モルドヴァ、バスク問題を抱えるスペイン、キプロスなどにも火種があり、それに、今回の北アフリカや中東の紛争でイスラム系民族の台頭・連携が各地に波及して行ったように、文明の衝突が頻発する可能性も高くなってきている。
   国内に異民族を抱えた国の大半は、戦争や征服など歴史的な過程で異民族を支配・同化して来た経緯があるのだが、今回、ノールウェーで発生したイスラム系移民排斥が問題提起した様に、EU諸国などでの多くの異民族移民を包含した多文化主義にも、新しい深刻な民族問題が惹起し始めている。
   グローバル時代とは、民族問題も、逆に、グローバル化して行くのである。

   ところで、このロシアだが、オバマが「リセット宣言」したとは言え、欧米のロシアへの対応は極めて厳しい。
   ロシア外しのエネルギー開発と輸送路建設、旧ソ連諸国への「色革命」支援、NATO拡大、ミサイル防衛システムのポーランドとチェコへの設置問題、コソヴォの独立承認等々、欧米、特に、ブッシュの一国主義が締め上げ続けたのだが、ロシアも、グルジアとウクライナのNATO加盟問題では頭に来たと言う。
   興味深かったのは、ロシアとイスラエルの接近であり、中国との親密化であるが、中国同様、南米にも触手を伸ばしはじめた。
   学生の頃、ジョージ・ケナンの「アメリカ外交50年」を読んで、ソ連の囲い込み政策を勉強したのだが、正に、今昔の感である。
   ロシアに関しては、日本人として、北方領土問題についても論じたいが、まだ、感情的な意識も残っているので、後日に回したいと思っている。
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ピーター.F.ドラッカー著「ドラッカーの講義」1991~2003

2011年09月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ドラッカーの半世紀以上に亘る講義を選別集大成した本の後半部分がこの本である。
   沢山あるドラッカーの著作の様に、切れ味の良いパルテノン神殿のように構築された学問の息吹とは、大分毛色の変わった、ある意味では、ピントの定かではない、あっちこっちに脱線した、時には支離滅裂の間口の広い講義録で、生身のドラッカーが滲み出ていて、非常に面白い。

   私が興味を感じたのは、最後のクレアモントで行った4回の「会社の未来」と言う講義で、晩年に会社について、ドラッカーはどう考えていたか知りたかったのである。
   冒頭に、企業は未来があるのかと聞かれて、「ありますよ。今までと違った形になる。所有者によるコントロールから、戦略によるコントロールへ移行する。あるいは、事業を関係した巨大集積企業から、提携や相互強調に基づくある種の同盟へ移行する、と言う議論です。」と答えている。
   後者については、どんな仕事をしようが、その仕事は会社の中ですると言う基本的な前提を放棄し、今は、毎日取り組んでいない仕事は外部委託(アウトソーシング)すると言う基本的前提に変ったとしている。
   社内の力だけで仕事を完結するためには、コアコンピタンスが必要で、アウトソーシングするのは、コストの節約ではなく、知識の生産性を向上させるためだと言う。

   別な所で、情報化時代の今日、平和な時代には、国家も企業も大きいと言うことには、もはや何の現実的な優位性もなくなったと言っているのだが、ドラッカーの優等生である筈の日本企業は、合併に合併を重ねて、益々、何でもワングループで完結できる総合企業を目指しているのだが、どう言うことであろうか。
   それに、日本企業は、アウトソーシングもオープンビジネス・モデルへの転換も遅々として進まず、ブラックボックス的な知財管理と自前のイノベーション追及に拘り過ぎているような感じがするのだが、どうであろうか。
   ドラッカーは、戦略によるコントロールについては語っていないが、かと言って、日本企業が、所有者によるコントロール段階にあるとも思えない。

   ドラッカーは、成果とは何かと言うところで、厳しい競争の世界において、ビジネスの組織が存在する目的は、変化を生み出すことと変化を活かすことにあると説いて、その際、競争を仕掛けてくる相手は、同じ製品を作る、或いは、同じサービスを考えている企業とは限らず、どこから競争相手が飛び込んでくるか分からない時代になったのであるから、
   絶え間のない変化やイノベーションの視点から成果を定義し直す決断に迫られていると言う。
   この外部の異業種からの競争については、内田早大教授の異業種格闘技説で展開されているのだが、ドラッカーは、更に、どんな業種であっても、企業を取り巻く重要な変化は、いつの場合でも、顧客でない人たちがいる外部から起こると説くなど、顧客ではない顧客から、競争相手でない競争相手から、強烈な挑戦を受けていることを随所で説いて、チャレンジ&レスポンスの重要性を強調している。
   マイケル・ポーターでも、自分でも、内側から外側を向いて説いて来たが、経営とは何かを理解したければ、多くの場合、組織の内部を外から見つめること、組織の外における成果から考え始めなければならないと言うのである。

   次に、「情報を握る者が実権を握る」と言うのは大昔からの名言だが、今や、インターネットの発達のお蔭で、情報は顧客へ移転し続けていると言う。
   そして、インターネットには距離の概念がないので、あらゆるものが、ローカルなマーケットになってしまったのだが、何がマーケットなのか、顧客が欲しがっているのは何かと言う面においては、情報と言う観点から定義される傾向が益々強くなると言う。
   インターネットによる情報革命は、根本的な変化の前兆であり、マーケットのみならず、組織もビジネスも定義しなおさなければならなくなったと言うのである。

   もう一つ、この講義で、ドラッカーは、欧米諸国が支配してきた国際経済が、多極化した経済へ行く、そうした過程の初期の段階にあり、また、アメリカによる現在の経済的支配は一時的現象で、しかもそれは、急速に終わりに向かっていると言う。
   面白いのは、世界の構成単位が国ではなく経済圏、NAFTA、南米のメルコスール、EUと言った経済圏に移行を始めており、経済圏が新しい上部構造として、世界経済の主なエージェントとして急速に表舞台に現れていると言う見解である。
   この経済圏は、内部では自由貿易を許すが、外部に対しては、極端な保護主義的な姿勢を取っているので、新たな重商主義の時代に突入することになるのだが、経済圏が輸出を促進し輸入を抑えようとする方策など上手く機能しないことは分かっていると言う。

   しかし、フラット化したグローバル時代になっており、ボーダーレスで、テクノロジーの発展とICT革命によって、人モノ金情報が、自由に国境を越える今日において、経済圏などと言う組織が、世界の交易交流を阻害するような働きをするのであろうか。
   中国やインド、それに、ブラジル、益々元気な次に続く新興国のパワー炸裂を考えれば、旧秩序など一挙に吹き飛んでしまう筈である。
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秀山祭九月大歌舞伎・・・夜の部・又五郎・歌昇襲名披露公演

2011年09月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人間国宝になった吉右衛門一座の秀山祭に加えて、今回は、歌昇が又五郎を、種太郎が歌昇を、夫々が襲名する披露公演であり、何となく、会場も華やかな雰囲気であった。
   歌舞伎美人には、初日の披露公演口上の模様が掲載されているのだが、2日目では、芝翫が病気休演で、代りに座頭として吉右衛門が、皮きりの挨拶を行い、慣れていないものでと微苦笑を浮かべながら、とちりとちり、3代目を4代目に間違ったり愛嬌のあるところを見せて会場を喜ばせていた。
   披露口上に登場する役者たちが、重鎮の藤十郎など老練なベテランが少なくなって、若返って来た所為か、差して興味深い逸話を紹介するでもなく、通り一辺倒の面白くもおかしくもない口上ばかりで、華やかさにも欠いていたのが残念であった。
   この点では、サービス精神旺盛と言うか、幾分文楽の方が、話題豊かで、面白かったような気がする。

   私が最初に見た冒頭の「沓手鳥孤城落月」は、晩年の歌右衛門が、淀君を演じていた。
   荒々しい木組みの露出した大坂城の天守一角に、侍女たちに囲まれて蹲る高貴な貴人が淀君の歌右衛門で、長い間劇中に登場しないのだが、ピーンと張りつめた緊張した雰囲気は流石であり、この場面だけで芝居の雰囲気が一気に露呈するほどの迫力。
   しかし、やはり、芸の衰えは隠し難く、抑えに抑えた演技で、それでも、家来の氏家内膳にしなだれかかる不気味な鬼気迫るような色香は流石であり、何故か、強烈に印象に残っている。
   「沓手鳥孤城落月」の休演した芝翫の淀君は、当然、代役は、子息の福助で、中々、パンチの利いた意欲的な舞台で、顔かたち芝居の運び方も、日頃の福助ではなくて、芝翫ばりの、立女形の風格を備えた素晴らしい演技であった。
   しかし、動きや表現がセーブされていた歌右衛門と違って、その意味では、脂の乗り切った絶頂期にある福助の淀君の方が、精神性は兎も角、一挙手一投足の動きから、正気と錯乱状態が錯綜する心の動きをビビッドに表現していて、分かり易いところが、現代的かも知れない。

   この歌舞伎は、1615年の大坂の役で徳川勢に完敗し、大坂城落城で秀頼と共に自害する直前の舞台で、内通者を使った家康の計らいで、千姫(芝雀)が城を脱出したことで錯乱状態に陥った淀君や秀頼が、豊臣の為と降伏を進める大野修理之亮(梅玉)の言に呻吟しながらも、家来氏家内膳(吉右衛門)に色目を使うなど正気を失ってしまった淀君に耐え切れず、秀頼(又五郎)が淀に刃を向けると言った修羅場を頂点に、豊臣の最後の足掻きを描いている舞台で、特に、狂気の淀君の錯乱がいやがうえにも豊臣の悲劇を増幅している。
   この時、淀君は45歳であるから、当時としては、最高権力に上り詰めた押しも押されもしない最高の女性であり、信長の血を引き、天下人として栄誉栄華を極めた秀吉の側室であるから、淀君役者は、同じ錯乱振りでも、威厳と風格、それに、優雅の極みを演じ切らなければサマにならないので非常に難しい。

   福助には、威厳と激しさ力強さはあったが、優雅などこか浮世離れした雅心が欠けていたような気がしたが、あの場合に、これを期待するのは無理であろうか。
   しかし、安土桃山文化の爛熟した美しさと雅の文化は、あの大坂城天守閣の落城と共に消えてしまったのであり、正に、秀頼淀の自害は、白鳥の歌であった筈なのである。
   秀頼を演じた又五郎だが、このように真に迫った心理劇の表現は実に上手く、それに、凛々しさが実に清々しいが、若干22歳の秀頼を演じるには、やはり、無理があった。
   
   口上の後の「車引」は、華やかな芝居で、この夜の部では、襲名披露の又五郎と歌昇が揃い踏みで登場する舞台であった。
   梅王丸に又五郎、松王丸に吉右衛門、桜丸に藤十郎、杉王丸に歌昇、それに、藤原時平に歌六と言う錚々たる面々の舞台で、衣装の華やかさや見得の連続等祝祭気分満喫の雰囲気で面白かった。
   朗々とした又五郎の大音声など非常に印象的な舞台であったが、腰か足を痛めたのであろうか、花道へのダッシュから本舞台での演技など黒衣のサポートを受けながらの熱演が一寸気になったのだが、一世一代の襲名披露の大舞台であるから、どうか大事に至らないように、成功を心から祈りたいと思っている。
   歌昇の杉王丸だが、若さ溌剌を地で行ったようなパンチの利いた素晴らしい舞台で、今後が楽しみである。
   菅原伝授手習鑑の中では、殆ど筋の面白さのない単純な舞台の筈だが、三人兄弟の特徴が良く出た芝居で、夫々、名のある名優が演じる舞台が魅せてくれる。

   最後の「石川五右衛門」は、前には、吉右衛門が五右衛門、染五郎が久吉だったが、今回は、染五郎が五右衛門で、松緑が久吉を演じていて、やはり、若い二人の共演になって、雰囲気が一気に変わった感じである。
   公家の呉羽中納言(桂三)に化けて勅使として足利義輝の別荘に乗り込んだ五右衛門が、供応役の小田春永の名代として現れた此下久吉に迎えられるのだが、二人は、元々、三河の犀ヶ嶽で奉公した時の朋輩と言う設定が面白い。
   一説には、五右衛門一族が秀吉の家来に攻められて没落したので秀吉を恨んでいたと言う話が残っているが、二人に接点はない。
   片や大大名、片や天下を騒がす大泥棒と言う素性を、大広間で頬杖を突きながら打ち解けて話し合うところなどはご愛嬌だが、育ての親を葛籠に入れて五右衛門に売りつける久吉、葛籠を背負って立った五右衛門が、花道すっぽんから宙乗りでつづら抜けして花道上空を上下して消えて行く。
   よく考えれば、いや、考えなくても、辻褄の合わない話をでっち上げた五右衛門と秀吉の話だが、最後は、あの南禅寺の山門のど真ん中にどっかと座った五右衛門が、せりあがった山門下に立つ久吉と対面して「天地の見得」を切って終わるのだが、とにかく、大泥棒を庶民の英雄(?)に仕立てた金爛褞袍に大百日鬘という異様な姿が五右衛門のトレードマークとか。
   「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」辞世の句が、朱塗りの柱に大書されているのだが、実際に釜茹でされたのはずっと後、とにかく、見せる舞台のためには、奇想天外な発想が次々と生まれるのが歌舞伎の面白さであろう
   実際には、この山門は、五右衛門が死んでから出来たようだし、山門に立っても、絶景かな絶景かなの京都の街は見えない。

   蛇足だが、元々、精神性も何もない芝居で、芸が魅せてくれるのであるから、丁度、若手花形役者の染五郎と松緑の相性とバランスが良く、バイタリティとスピード感とメリハリの利いたテンポの心地よい舞台が良かった。
   それに、前回もそうだったが、桂三の呉羽大納言の何とも言えない程雰囲気の良く出た演技は秀逸であった。
   
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ギリシャ雑感

2011年09月03日 | 海外生活と旅
   今、ギリシャは、財政の悪化で危機的な状態にあるのだが、私の印象では、比較的国家財政に対して甘いラテン系の国とも違って、この国は、ヨーロッパでも、もう少し、中東のイスラム国家に近い独特な雰囲気を持っているように思う。
   あの偉大なギリシャ文明を築いたギリシャ人が、今日のギリシャ人と全く同じなのかは知らないが、落差はかなり大きいように思う。

   この古代ギリシャの遺跡のかなり多くは、トロイやミレトスもそうだが、エーゲ海を隔てた対岸のトルコにある。
   ところが、宗教が違うのも勿論だが、キプロスでの対立でも顕著だが、両国の関係は悪い。
   私は、イスタンブールへは2度行ったことがあるが、イズミールを経てブルサくらいまでタクシーで走ったが、残念ながら、ギリシャの遺跡には接することが出来なかった。

   この口絵写真は、パルテノン神殿のエレクテイオンの有名な6人の少女の姿の柱像のカリアティッドの玄関だが、私が最初に見たのは、南西隅の少女像で、大英博物館でであった。
   一番きれいに残っていた柱をイギリス人が持ち出したのだが、私が最初にパルテノンに行った時には、残りの少女像はそのままだったと思うのだが、次に行った時には、博物館の中に安置されていたので、この写真は摸刻像である。
   エルギンマーブルとして有名なパルテノンの正面東ペディメントに残っていた彫像や波風の壮大な絵巻物とも言ううべき一連の彫刻を見てから、益々、アテネに行きたくなったのだが、イギリスに運び込んだのが良いか悪いかは別にして、トルコ軍に爆破されて廃墟になったパルテノン神殿をそのま間、風雨に晒されしまうのも問題であったことも事実であろう。
   「日曜はダメよ」のメルクーリが大臣の時に、返せとイギリスに怒鳴り込んだのだが、文化遺産がオリジンの母国に帰るのなら、ヨーロッパやアメリカの博物館は空になってしまう。

   このアテネにある古代ギリシャの遺跡は、結構手入れされているのだが、私が、コリントスやミケーネやエピダウルスなどに行った時には、まだ、沢山の建造物の欠片ががれき状態で残っていたし、けしの花が鬱蒼と茂っていたりして、正に、兵どもが夢の跡と言った感じの廃墟があっちこっちに残っていた。
   メソポタミアやエジプト、インド、中国の遺跡からすれば、随分若い文化なのだが、あの勇名を馳せたスパルタなどほんのチッポケな集落に過ぎないと思うのだが、大帝国を築かずに、吹けば飛ぶようなギリシャの都市国家が、世界の文化文明を総なめにした時期が歴史上にあったと言うことは、驚異と言う外ない。

   そんなギリシャが、今、世界の文明国で、一番弱い貧弱な国家経済に泣いている。
   古代ギリシャ人が、今のギリシャ人かどうかと問うたのは、そんな気持ちからだが、この危機から早く脱して欲しいと思っているのだが、ソクラテスやプラトンやアリストテレスはどう思っているであろうか。
   
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立花隆・須田慎太郎著「エーゲ 永遠海路の海」

2011年09月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   神保町の古書店で、この「エーゲ 永遠海路の海」と言う本を見つけて、喫茶店に入って、若い人たちに混じり込んで読んだ。
   立花氏の思索紀行の延長線上の本で、エーゲ海の周りの歴史的な文化文明、宗教を巻き込んだスケールの大きな、かなり格調の高い本だが、非常に面白い。

   私が、この本で、なる程と思ったのは、
   「記録された歴史などというものは、記録されなかった現実の総体に比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に飲み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。」と言う部分である。
   4大文明の発祥地には、私自身、中国の一部を歩いた以外は、乗継で空港に立ち寄った以外は行っていないので、もっと、感慨は深いと思うのだが、この本の舞台となっているギリシャやトルコの遺跡に立っても、この立花氏の思いは、実感として湧く。

   私の手元に、沢山ある旅の写真のなかで、何故か、もう20年近くも前に国際会議で出かけて、休日を利用してバスツアーに参加した時の一連のギリシャの写真がある。
   ギリシャへ最初に出かけたのは、これよりもう少し前の、ブラジルに住んでいた時だったので、暑さ寒さと言うか、季節感覚の勘が狂っていて、確か3月だったと思うのだが、夏服で出かけて、あまりの寒さにびっくりして、コートやセーターなどを買って、家族ともども冬支度に変えた記憶がある。
   私が世界史に興味を持った切っ掛けは、パルテノン神殿をは始めとした色々なギリシャ文明関連の写真を見た時で、とにかく、パルテノンの丘に立ちたいと言う思いをずっと抱き続けていた。
   結局実現したのは、2度目のヨーロッパ旅行の時で、二日続けて訪れて、この口絵写真の様に遠くから遠望したりあっちこっちからパルテノンを眺めていたのだが、やはり、一番印象的だったのは、泊まっていたヒルトン・ホテルの自分たちの部屋から眺める、刻々と変って行くパルテノンの素晴らしい景色であった。

   ところで、私が、立花説の、我々が知っている歴史などは、真実の歴史から見れば、針先ほどの微小なものではないのかと言う思いを実感したのは、デルフィで何時間も神殿の廃墟に佇んで時間を過ごした時であった。
   古代ギリシアにおいてデルフィは世界の中心だと考えられていたようで、ギリシア最古の神託所アポロンの神殿の神託があり、ギリシア神話にもシェイクスピア劇にも登場しており、当時のヨーロッパの人々の運命を左右する程重要な役割を果たしていた。
   この本でも、第2章のアポロンとディオニュソスと言うところで取り上げられていて、ソクラテスが自分に対する予言に触発されて、「無知の知」の上にすべてを築き上げて行く哲学を始めたと言う話をしている。
   今では完全に廃墟となっていて、当時の遺跡が散在しているだけなのだが、下部の遺跡の中に「アテナ聖域のトロス」と言う綺麗な3本柱の列柱が立っていてトップに飾りの残っている円形の建物の跡があって、そこからは、下の方に広がる野山が見えて素晴らしい空間を楽しめるのだが、幸い、真っ青な空の下で私一人だけで、長い時間を歴史の重みを感じながら過ごすことが出来たのである。
   
   もう一つ、懐かしいギリシャの思い出で、悠久の歴史を考えながら感激したのは、スーニオンの夕闇間近の数十分である。
   この時は、パルテノンでたっぷり時間を過ごして、スーニオンの夕日を見たくて、時間を見計らって、タクシーを拾って、スーニオンに走ったのである。
   少し時間が遅れて、夕日が地平線に沈んだのは、途中の海岸線を走っている時だったが、スーニオンに着いた時には、まだ、夜のとばりが降りる前で、真っ赤な残照が残っていて、スーニオン神殿の柱がまだ色付いていた。
   やはり、人などいなくて私一人で、神殿の列柱の間に立ってエーゲ海の暮れ行く穏やかな海を眺めていた。
   
   コリントスやミケーネ、エピダウロスと言うのは近いので、ツアーで簡単に行けるのだが、デルフィやスーニオンは、少し遠くて、個別のツアーに加わるのだろうが、スペインやイタリアなどでもそうだが、タクシーが比較的安くて重宝するので、私は、結構長距離でも利用した。
   英語が通じなくても、言葉の心配など結構案ずるより産むが易しなのである。
   深夜のタクシーに乗ったのだが、ハンガリーのブダペストで、借りた民家の住所が分からず行き先を見失って窮地に立つなど、いくらでも世界中のあっちこっちで死ぬ思いをして来たが、案外、どうにかなるのである。

   話がおかしな方に行ってしまったが、この本は、宗教談義から哲学の話、聖なる神と性なる神のエロチックな話、ネクロポリスの死や黙示録に話や終末後の世界の話など、立花先生の話であるから、実に含蓄のある程度の高い面白い話で充満しているのだが、須田慎太郎氏の実に素晴らしいカラー写真がふんだんに添付されていて、読んで鑑賞すると言う贅沢な楽しみを味わわせてくれる。
   私も旅の写真を写すのだが、須田カメラマンの写真が、立花氏の知を更に増幅して豊かにしていて素晴らしい本である。
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