熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

九月文楽:国立劇場・・・ひらかな盛衰記

2011年09月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   平家追討に立ち上がって京へ上った木曽義仲が、乱暴狼藉を働き京都を恐怖に陥れたので、朝敵とされて、頼朝が追討の宣旨を受けて粟津の戦いで命を落とすのだが、今回の舞台は、木曽へ落ち延びる途中の義仲の遺児駒若君が、大津の宿で、残党狩りの鎌倉勢の踏み込みの混乱で、丁度、投宿していた船頭一家の子供と取り違えられたと言うのが話の発端。
   いくら、ドサクサとはいっても、若殿と巡礼衣装の庶民のこせがれとを取り違えるとは思えないのだが、そこは、芝居の話で、若殿と間違えられた槌松は、番場忠太に討たれる。

   舞台が移って、がらりと雰囲気が変わるのが、次の「笹引の段」で、追手に殺された筈の若君の亡骸に笈鶴があるのに気付き、殺されたのは若君でなかったと知った山吹御前は、緊張の糸が切れて儚くなってしまう。
   腰元のお筆(和生)が、気を取り直して、傍の笹を切ると笹船にして、山吹御前の亡骸を乗せて引いて行くのだが、哀調を帯びた呂勢大夫の語りと清治の三味線が身に沁みて悲しい。
   このシーンを描いた素晴らしい絵が、ロビーの壁にかかっている。
   この段の公演は珍しいようだが、オペラの間奏曲のような雰囲気があって実に良い。

   しかし、このひらがな盛衰記では、文楽でも歌舞伎でも、良く演じられるのは、次の「松右衛門内より逆櫓の段」である。
   大津の宿の騒動で間違えて連れ帰った若君を、船頭権四郎(玉也)と女房およし(勘彌)が、槌松として大切に育てているのだが、ある日、腰元お筆が、笈摺に書いてあった所書きを頼りに訪ねて来て、若君を返せと言う。
   自分たちの孫・子供に会いたいばっかりに、必死になって大切に大切に育てて来た子供を理不尽にも返せと言うのであるから、権四郎は、怒り心頭に達して若君を首にして戻すと言う。
   ところが、芝居であるから、そこは良くしたもので、奥の障子があいて、その家の主人船頭松右衛門(玉女)が、若君を小脇に抱えて現れる。
   実は、松右衛門は、義仲の重臣樋口次郎兼光で、主君の仇を討つために、逆櫓の技術で梶原に近づき、義経の船頭となって義経を討とうと考えたのだと明かす。
   わが子となった槌松が、主君のために身代わりになったとその忠義を褒めると、みんなが納得してめでたしめでたしと言うのが、時代離れした封建時代の話である。

   豪快で風格のある玉女の松右衛門が、この段の主役だが、前半の、お筆と権四郎・およしの肺腑を抉るような掛け合いが、実に誠実そのもので、人形が生身の人間以上に、人生の理不尽さと身の不運に悲嘆にくれ慟哭する。
   和生のお筆は、悲劇のヒロインだが、実に優雅で凛としていて、沈んだ控え目な演技が実に哀調を帯びて心に響く。玉也の老いの一徹の、筋金の入った船頭の生き様が清々しい。

   後半は、歌舞伎で見ることの多い「逆櫓」で、既に、鎌倉方に身元の割れている松右衛門が、逆櫓の稽古に出たところ、捉えるようにと命令を受けていた3人の船頭たちに襲われる。
   浜に、鎌倉勢の畠山庄司重忠(玉輝)が、権四郎を伴い現れたので、松右衛門は、権四郎が訴人したと怒るが、若君を槌松だと正当化するために、権四郎を、訴人したのだと言う。
   委細承知で、武士の情けで、若君の命を保障したと知って、おとなしく、松右衛門が縄に掛かって、幕となる。
   逆櫓を操るリズミカルな剛毅なシーン、巨大な老松にかけ上るシーン、あの派手で気風の良い船頭の井出達の良く似合う文七の頭の松右衛門の豪快さと格好良さは、流石に、玉女の独壇場である。
   それに、咲大夫の語りと燕三の三味線が、緩急自在で、ぐいぐい、人形を遣わせて、クライマックスへ引き込んで行く。

   最後の「紅葉狩」は、優雅で美しい更科姫と、凄まじい形相と井出達の鬼女を遣う清十郎が実に良い。
   この紅葉狩は、歌舞伎でも良く演じられる舞台だが、生身の役者とは、一寸違った人離れした演技の出来る文楽の方に、後半の鬼女の方にフィクションめいた雰囲気が醸し出されて面白いと思った。
コメント
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