熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ著「こうして、世界は終わる」

2015年11月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の原題は、”The Collapse of Western Civilization: A View from the Future” すなわち、”西洋文明の崩壊 未来からの展望”と言う事で、世界文明の終焉を語った本ではなく、むしろ、地球温暖化による地球環境の破壊によって、西洋文明が如何なる推移を辿るのか、その文明の終焉(1540~2093)を、その300年後に立って、展望した学者の本である。
   この本では、新自由主義政策の失敗によって民主主義国家が、地球温暖化による壊滅的なカタストロフィーを無視し続けて有効に対応できずに崩壊して、最後には、中央集権主義を貫いて、気候変動による災害を切り抜けた中国が生き残ると言うシナリオを展開しているのだが、世界が終わるなどとは、一言も書いていないし、人類がこの地球上から消えてしまうなどと言ったことは、全く述べていない。

   著者のオレスケスは、議会でも証言し、地球温暖化に対する論陣を張る科学史の世界的権威であるハーバード大教授であり、コンウェイは、多くの受賞歴のあるNASAの歴史科学の科学者であり、この本の予測なり預言は、執筆当時知り得た最新かつ正確な科学調査なり知見に基づいているので、science-based fictionであって、絵空事のフィクションではない。

   余談だが、これまで、翻訳本、それも、専門書の多くが、如何に、誤った誤訳タイトルをつけて出版されてきたか、
   例えば、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」は、ジレンマに陥るのはイノベーションではなくてイノベーターであって、明らかに、タイトル通りに「イノベーターのジレンマ The Innovator's Dilemma」であるべきだし、
   リチャード・S・テドロー著「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか」などは、
   原題は、「Denial: Why Business Leaders Fail to Look Facts in the Face---and What to Do About It」 で、「否認:何故ビジネス・リーダーは、眼前の現実を見誤るのか、そして、それに対処する方法」、と言うことであって、翻訳本のタイトルは、著者の意図とも中身とも違うので貴重な学術書を台無しにしている。
   ヘンリー・フォードが、眼前に胎動する時代の潮流に気付かず無視して、GMの後塵を拝せざるを得なかったと言う迫力のあるストーリーなど、「なぜリーダーは「失敗」を認められないのか」では、意味をなさない。
   洋画では、名訳のタイトルもあるが、学術書・専門書では、分からなければ、最近増えているが、原文のカタカナ書きのタイトルの方がましであると思う。

   さて、著者たちは、21世紀の西洋文明国家が、現実に自分たちの地球に何が起こっていて自分たちの行動が何を齎すか、予測可能であり知っていたにも拘わらず、それを止めることが出来ずに文明を崩壊させてしまった。と言う前提に立っている。
   その原因の最たるものとして、糾弾するのは、炭素燃料複合体(carbon combustion complex)の存在である。
   私は、学生時代に強烈な印象を持って聞いていた、アイゼンハワー大統領が退任演説で述べた、軍産複合体(Military-industrial complex)を思い出した。
   軍産複合体とは、軍需産業が核となって軍隊や政府機関と一緒になって形成する連合体であって、今後益々、自分たちの利権確保のために、国家社会に過剰な影響力を行使して、議会や政府の政策決定や行政など、国家の政治経済社会に影響を与える可能性が増大して危険性が高まると警告を発したのである。

   ところで、著者たちが言う「炭素燃料複合体」は、具体的には、エネルギー会社に原料や技術を提供する産業(掘削業者、油田施設会社、大手建設会社など)、安価なエネルギーに頼っている製造業者(特に自動車、航空機メーカーだが、アルミニュームなど金属の精錬、加工会社も含む)、必要な資金を提供する金融機関、そして製品の販売促進を行う宣伝、広告、マーケティング企業などを含む、有力な産業のネットワークを指す。としていて、政官などを巻き込んだ複合体とは言っていない。
   この複合体は、シンクタンクを隠れ蓑にして、科学的調査結果に対抗する見解を発表続けさせて、「市場原理主義」による「市場の失敗」を煽りたて、世論を攪乱した。

   「政府は気候変動を悪化させる乱暴を開発を阻止する措置を取る筈」とする良識ある国民の期待に反して、実際には、政府は、むしろ、共謀者となった。次第に増大しつつあった気候変動と化石燃料生産・消費のつながりを否定する論調を政府がさらに煽り、それらの関係を隠蔽しようとしたのは間違いない。と言う。
   「炭素燃料複合体」が、有り余る膨大な資金を投入して激しいロビー活動を行って国会議員を味方につけて、政府に強力な圧力をかけているのであるから、当然であろう。
   これこそが、アメリカの政治経済社会をスキューして、著者たちが言う「西欧文明の崩壊」を齎した政官財を巻き込んだ「地球温暖化複合体(?)」なのである。

   「永久凍土が解けてシロクマが絶滅する」などは、今では、常識のようになっているが、「海面上昇で、地球の大崩壊が起こる」「人口大移動から全生物の7割が死ぬ」と言った近未来の預言を含めて、危機に対処できずに「茹でガエル」状態に陥った人類が、どんどん、文明の崩壊と言う奈落の底に突き進んでゆく姿を活写している。

   科学者でありながら、市場原理主義と言う信仰に乗って、どんどん、崩れて行く資本主義や民主主義社会の状態を、かなり克明に描写しているところなどは、地球温暖化や科学者の活動などと絡ませながらの視点が斬新で興味深い。

   「海面上昇予想否定法案」の発想や、「シェールガスの狂騒が地球温暖化を更に悪化させた」とか、「何故、中国が、生き残るのか」等々、非常に短い小冊子ながら、示唆に富んだ論述が詰まっていて、面白い本である。
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国立演芸場・・・上席:金馬「茶の湯」ほか

2015年11月08日 | 落語・講談等演芸
   夕刻に国立能楽堂で、定例公演があったので、少し、鎌倉を早く出て、国立演芸場の上席公演を聞いた。
   トリは金馬で、今回は、一朝、金時、金八、朝之助などの落語のほかに、一龍齋貞水の講談や東屋浦太郎の浪曲、それに、とんぼとまさみの上方漫才、仙三郎社中の曲芸と言ったバラエティに富んだ演目で、楽しませてもらった。
   高校生の団体が入っていたので、後は満席であったが、前の方は4分の入りで、やはり、横が最高裁判所で、繁華街にあるほかの寄席と違って、ついでに来たと言う客がいないので、こんなものかも知れない。
   尤も、私も、特別な公演は別だが、ふつうは都合がついたら覗いてみようかと言う程度の落語ファンであるから偉そうなことは言えない。

   さて、金馬は、「茶の湯」を語ったのだが、これは、最近、この演芸場で、談幸で聞いていて面白かった。
   根岸へ引っ越してきた隠居が、まわりの趣味人の風流に影響されて、良くも知らない「茶の湯」を嗜もうとして、丁稚の定吉を相手にして、我流の奇天烈な茶の湯を催して、隣人などを巻こんで苦しめると言う話である。
   その茶とは、青きな粉にムクの皮の粉で泡立たせたもので、それに、サツマイモを蒸してすりつぶし、糖蜜を練りこみ、抜け易いように灯用のともし油を塗った猪口を型に使って形を整えて作ったものを「利休饅頭」と称して菓子に代えて客に供するのであるから、たまったものではない。

   私も、この3~4年で、結構、この演芸場に通っているのか、今回の演目では、朝之助の「強情灸」、金八の「権助魚」、金時の「天狗裁き」、一朝の「芝居の喧嘩」と言った古典落語や、それに、貞水の「細川の茶碗屋敷」も、少なくとも、夫々、一回以上は聞いている。
   同じ噺でも、噺家によって、結構差があって面白いのだが、どうしても、前の噺と比較して聞いていて、何か、新鮮さなり面白さなり付加価値がないと、興ざめしてしまうのだが、これは仕方がない。
   これが、オペラなら「カルメン」、歌舞伎なら「仮名手本忠臣蔵」と昔から言われているように、傑出した人気プログラムなら別であろうが、20分や30分くらいの比較的単純な噺の落語となると、どうしても、演題や噺家の魅力に引っ張られてしまうと言う事であろうか。
   
   金馬は、若かりし頃のお笑い三人組を彷彿とさせる小金馬の表情よろしく、隠居にどうしようもない茶を飲まされて苦しむ客の姿を、あらん限りの表情を凝縮して顔を真っ赤にして熱演しており、全く衰えが見えない元気さには、驚嘆と言うべきか、もう、86の筈である。
   談幸より丁寧に語っていて、長屋の住人が茶の湯に招待されて、作法など知らないので転宅しようとする話など加わっていて、面白かった。

   講談の一龍斎 貞水は、人間国宝。
   「細川の茶碗屋敷」の噺は、金原亭伯楽の「井戸の茶碗」、すなわち、落語バージョンで聞いていて知っている。

   麻布茗荷谷に住むくず屋の正直清兵衛が、裏長屋に住む貧乏浪人の千代田卜斎の娘から仏像を買ったのだが、白金の細川家の家来・高木佐久左衛門に売る。高木が仏像を洗っていると、底の紙がはがれ、中から五十両の金が出てくる。高木は「仏像は買ったが五十両は買った覚えはない。売り主に返してやれ」と言って、清兵衛に渡すが、卜斎は「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない」と受け取らない。中に入った家主の仲裁で、、「千代田様へ20両、高木様へ20両、苦労した清兵衛へ10両」と言う提案に、千代田はこれを断って受け取らないのだが、「20両の形に」という提案を受け、毎日使っていた汚い茶碗を形として、20両を受け取る。汚いままでは良くないと、茶碗を一生懸命磨くと、鑑定士がやってきて「青井戸の茶碗」という逸品だと鑑定する。細川家が、その茶碗を買い上げて、将軍綱吉に献上し、その礼に屋敷を賜ったため、その屋敷を巷では「茶碗屋敷」と呼ぶ。
   これが、「細川の茶碗屋敷」と言う事だが、貞水の話は、その前で終わっている。     茶碗の一件がきっかけで細川家が仲介して、卜斎の旧来通りの仕官が叶い、親思いで器量よしの娘が、高木に嫁ぐと言う話になっており、娘は「今は裏長屋で粗末ななりだが、一生懸命磨けば、見違えるようになる」と言うのだが、「磨くのはよそう、小判が出るといけない」が落語のオチになっていると言う。
   善人ばかりの素晴らしい人情話であり、こういう話だと、世の中も捨てたものではないと思えるのが良い。

   さて、この演芸場のロビーだが、二階にあってこじんまりしたアットホームな雰囲気が良い。
   売店も、何となく、庶民的なムードが漂っていて好ましい。
   
   
   
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鎌倉便り・・・大船フラワーセンター秋たけなわ(2)

2015年11月07日 | 鎌倉・湘南日記
   秋の花と言えば、草花では、ダリアであろうか。
   このフラワーセンターでは、それ程多くは植わってはいないのだが、群植以外に、名前が付いたダリアも数株植えてあって、何故か、感情を込めた花が殆どで、最初に目に付いたのは、「小さな恋」。
   ピンクの可憐な花で、気に入ってシャッターを切ろうとしたら、気づかなかったのだが、若い女性が望遠を構えていた。
   恋は、歳には関係なく、気持ちを引き付けるのであろう。
   ダリアは、バラのように房咲きなどではなく、チューリップと同じように、すっくと伸びた茎の上に花を咲かせるので、その花の個性や風格がよく表れて面白いのである。
   コスモス畑に、大きめのコスモス用に咲いているダリアも面白い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   もう一つ興味深いのは、ケイトウで、字のごとく鶏頭で、鶏の鶏冠のような真っ赤な花が記憶にあるのだが、ガマの穂のようなものから箒のようなものまで、それに、色も色々あるので面白い。
   
   
      

   コスモスは、秋桜と言う漢字があるように、正に、秋を象徴する花で、日当たりのよい荒野や、放置された畑などに植えられて風に靡く姿などは、格別な風情があって、中々素晴らしい。
   子供のころ、宝塚の田舎にいたので、あっちこっちに咲いていたし、種を落とせばどこにでも咲き乱れていたので、簡単に考えていたのだが、千葉の家の庭では、まともに咲かなくて失望した記憶がある。
   ここでは、花壇に、他の花と群植されていて、その相性が面白い。
   
   
   
   
   
   
   

   面白かったのは、何故か、サルビアの花だけに、熊ん蜂が飛び交って蜜を吸っていた。
   紫の普通の花の隣に、サルビアだと言う貧弱な赤とブルーの花が咲いていたが、蜂には興味がなさそうであった。
   そのほか、気づいた植物のショットを2点。
   
   
   
   
   
   

   もう、終わりかと思っていたバラ園が、まだ、花盛りで、前に来た時よりもきれいに咲いていた。
   最近驚くのは、地球温暖化の所為か、秋の花のシーズンが、随分、初冬まで伸びてしまっていると言う事である。
   学生の頃、京都の紅葉など文化の日などでも楽しめたと思うのだが、今では、11月の中下旬頃が見ごろだと言うし、バラの花の最盛期なども、随分、遅くなって来ているように思う。
   プリンセス・ミチコもプリンセス・アイコも咲いていたし、鎌倉もうららもまだ咲き続けていた。
   イングリッシュローズで、気づいたのは、パット・オースティンだけ。
   やはり、バラは、命は短いのだが、寒い冬を耐えに耐えて咲きだした春が、一番美しいと思う。
   
   
   
   
   
   
     
   

   園内には、小さな日本庭園がある。
   秋を感じさせてくれるのは、一叢のススキとツワブキ。
   野鳥の鴨が一番、真ん中にある心字池に飛来して来て、水面を滑っている。
   千葉に居た時、散歩道であった手繰川にも、秋になると、鴨が訪れていたが、鴨は、不思議なほど、必ずと言っていい程、番で行動を共にしている。
   
   
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鎌倉便り・・・大船フラワーセンター秋たけなわ(1)

2015年11月06日 | 鎌倉・湘南日記
   紅葉には、まだ、少し早いのだが、朝夕涼しくなって、大分、秋色が濃くなってきた。
   久しぶりに、大船フラワーセンターを訪れたら、「第53回神奈川県菊花大会」を開いていて、華やかであった。
   これまでは、時々、新宿御苑の菊花展示や佐倉城址のくらいしの植物苑などに出かけて、菊を鑑賞することがあったのだが、このフラワーセンターの菊花展示も、かなりの規模で、華やかであり美しくて楽しませてくれる。
   
   

   菊花は、盆栽のように、何十年もかけて丹精込めて育てるのではなくて、春に小さな苗から、一気に、秋の豪華絢爛たる花を咲かせるのだから、考えてみれば、栽培者の大変な努力の結晶であり、私のようなレイジーなガーデニング愛好家には、驚異の対象である。
   幾種類もあって、私には、よくわからないので、展示を並べると、次のようなものである。
   
   
   
   
   
   
   
   

   既に、表彰作品など優秀賞が決まっていて、ラベルがついているのだが、どこがどう良いのか、聞いてみたのだが、分かったようで分からない。
   これは、育種家なりプロの世界の価値基準であって、私など、美しければ良いので、門外漢の見方は、人それぞれかも知れないと思って、ほかの鑑賞者の会話を聞いていると、頓珍漢もあって面白い。
   菊花の合間から、庭園の秋風になびくススキやコスモスの花が見えて、正に、秋たけなわである。
   
   
   
   
   
   
     
   
   菊花展示は、睡蓮のプールと背後の小山の縁を取り巻いた感じで設営されているのだが、プールの背後には、コスモスなどの秋草が咲き乱れている。
   一本、ろうやがきが実をつけている。
   木陰のツワブキなど、群生すると、びっくりするほど、華やかである。
   椿には、まだ、早いのだが、山茶花は、今が花盛り。
   イチョウが、少し、黄ばんできた。
   涼風に吹かれて、秋晴れの植物園の散策は、また、格別である。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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ジョセフ・S・ナイ著「アメリカの世紀は終わらない」

2015年11月05日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、「IS THE AMERICAN CENTURY OVER? アメリカの世紀は終わったのか」と言う事だが、日本語版のタイトルは、ナイ教授の結論をとって、「アメリカの世紀は終わらない」となっている。
   著者は、
   アメリカの世紀とは何かを検証しながら、ヘゲモニーに挑む可能性のあるヨーロッパ、日本、ロシア、インド、ブラジルの国力等を分析し、更に、中国については、1章を費やして比較検討して、これらの国が、アメリカを追い越して、アメリカが世界のパワーバランスの中心にいる構図を早く終わらせてしまうことは不可能ではないにしても、殆どありえない。
   アメリカが、軍事、経済、そして、ソフトパワーの資源で傑出し、アメリカがグローバルなパワーバランスの働きの真ん中に構え、国際公共財の提供でも中心的な役目を果たしており、この時期がなお続くので、21世紀は中国の世紀だと宣言する人々とは違って、まだ、アメリカ後の世界を迎えていないし、アメリカの世紀は終わらない。と結論付けている。
  
   しかし、これからも続くアメリカの世紀は、20世紀のものとは違って来る。
   アメリカの世界経済に占める位置が低下して来ており、他国の台頭によって世界の構造が複雑化し、非国家アクターも勢力を拡大する中で、金融の安定、気候変動、テロリズム、そして、麻薬や感染症の世界的な流行への対応など、地球規模で検討されるべき課題が頻発して、如何なる超大国であっても、単独では国境を越えて立ち向かえないので、他の国と協力し合わなければならない。
   各国は、ソフトパワーを駆使してネットワークを築き、国際機関を設立し、共通する脅威と挑戦に立ち向かくべきであり、アメリカは、国際システムで最大の国であり続けるので、軍事や経済など、国際公共財を提供する仕組み作りで、リーダシップを発揮しなければならない。と言うのである。

   アメリカは、パワーのもととなるべき資源があるのに、それを現実のパワーにきちんと転換できていないと言う長年の非効率性が重大な問題であり、アメリカの「衰退」を口にすることが、結果的に他の国々に対して、例えば、ロシアが野心的な政策へと進み、中国が隣国へもっと自己主張を強めるなど、危険な政策を選ばせるよう刺激してしまっている。と言うのである。
   これは、前にレビューしたように、ブレット・スティーブンズが、オバマの関与縮小の消極的外交が、ロシアや中国を付け上がらせていると言う論理と同列の主張であろう。

   最大の問題は、イラク・トラウマの米国民の厭戦気質もあろうが、国内の政治的な膠着状況がしばしばリーダーシップの発揮を拒んでおり、このような状況が、アメリカが国際公共財に関して世界を主導する能力を弱め、結果的に、アメリカの世紀を持続して行くうえで重要となる信頼やソフトウエアを損なってきた。
   優位性がやや後退し、世界がもっと複雑になる中で、アメリカがその地位を維持したいと考えるなら、内政でも外交でも、賢明で戦略的な選択を下すことが必要だ。と言うのである。
   
   さて、中国に対するナイ教授の考え方だが、殆ど、脅威とは考えていないようである。
   面白いのは、アンガス・マディソンの考え方を踏襲していて、二世紀前までは、中国の経済は最大であったのだから、「中国の台頭」は誤りで、「復興」が正確だと言っていることである。  
   経済については、中所得国の罠の問題もあり、行く手には厚い壁とも言うべき、非効率な国有企業、格差の拡大、環境の悪化、膨大な国内移住者、セーフティネットの不備、汚職、法の支配が確立していないことなど阻害要因があり、高齢化も著しく進むなど、成長も鈍化するであろうし、問題は、一人当たりの所得であり、アメリカを凌駕することはなかろう。
   サービス分野の貿易では精彩を欠き、多くの輸出品は付加価値が低く、技術も、自前でイノベーションを引き起こすよりも、外国の技術を模倣するする戦略に多くを依存している。と、政治的な不備も含めて、民主的でイノベィティブで企業家精神の旺盛な、アメリカの比ではないと、論じている。
   軍事力の差については、経済以上に歴然としている。
   配備済みの軍備の規模では、アメリカは、中国に対して10対1の比率で優位であり、中国は、グローバルな規模で戦力を展開できるだけの能力を十分に持っていない。
   人民解放軍にとっては、中東から東南アジアのマラッカ海峡まで続く円滑な航路の確保が現実的な問題となってくるが、ペルシャ湾の出口、ホルムズ海峡にいる米海軍が生命線を握り続けているし、空母など海軍力は何十年も遅れており、アメリカのような海外の各地に展開できる基盤は整っていない。 と言う。
 
   尤も、現実には、米軍が中国の海岸線に近い近海に接近、介入することが難しくなりつつあり、アメリカが、この地域の同盟国に安全保障上の安心感を与え続けようとするならば、アメリカ側は、中国が進める領域拒否の戦略――自国のそばに米軍が接近し、自由に行動することを阻害する戦略――に対する戦力面での弱みを消すためには、投資がかさむであろう。と指摘している。
   この辺りは、今回の南沙諸島の中国基地設営に対する米軍艦船の接近や日本政府の安保法案成立の推移などが、如実に現実を物語っている。
   この中国のパワーの隆盛に対しては、インドと日本、そして、ベトナムが、競争相手になり、それは、アメリカにとって大いに有利となる。と言っているのが興味深い。

   ナイ教授は、中国は、同盟国も海外の基地もなく、長距離の兵站を管理する仕組みも欠いていて、アメリカ軍のような遠征の経験も持たない。と中国の弱みを述べているが、アメリカが、はるかに、中国より優位に立つのは、世界の先進国の殆どと同盟関係なり友好関係にあることで、前述したように、エントロピーの増大で益々複雑化してくる国際情勢において、国境を越えて地球規模で対応しなければならなくなるので、
   軍事、経済、そして、ソフト・パワーなどの資源で傑出したアメリカが、同盟国や友好国を糾合して協力体制を築き上げて有効な国際システムを確立することが最も重要であり、その中で、アメリカが、グローバルなパワーバランスの働きの真ん中に構えて、国際公共財の提供でも中心的な役目を果たすリーダーであるべきだと言う事であろう。

   私は、殆ど、ナイ教授の見解には、異存はなく、ファリード・ザカリアの「アメリカ後の世界」やイアン・ブレマーの「「Gゼロ後」の世界」も興味深かったが、アメリカを、古代ローマと比較しながら、衰退論を展開したり、ヨーロッパや日本やBRIC's諸国と比較検討するなども
、また、文明論に踏み込んでの議論も面白かった。
   地政学に対する、もう少し突っ込んだ議論もあればと思ったが、とにかく、今の日本の国防問題などを考えるのには、恰好の本ではないかと思う。

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国立能楽堂・・・能・観世流「松山鑑」

2015年11月04日 | 能・狂言
、   国立能楽堂では初めてと言う、非常に上演回数の少ない現行曲である能「松山鑑」が上演された。
   能・狂言初歩の私には、有名曲でも難曲でも珍しい曲でも、全く同じなのだが、面白いのは、この松山鑑は、落語で高座にかかることがかなりあって、国立演芸場で2回くらい聞いたと仰る。
   岩波講座の「能・狂言」の鑑賞案内にも、角川の「能を読む」にも解説がないので、国立能楽堂のパンフレットを読む以外にはないのだが、非常に暗い話であり、これが、落語になるのかと興味を感じたのである。

   公演の後で、家に帰って、インターネットで調べたら、仏教説話の「鏡を知らない草深い田舎で起こる悲喜劇」がテーマとなっていて、お笑い系の落語は勿論、狂言の「鏡男」もそうだし、ほかにも、民話にもなるなど、いろいろなバリエーションがあることが分かった。
   鏡には、その前に立つものは、人間でも、かざした扇でも、そっくりそのまま写るのだが、それを知らないので、見た男が亡くなった父だと思ったり、見た娘が亡くなった母だと思って懐かしむと言うのはまだしも、自分の顔を見て、夫の隠し女だと思った妻には悲劇となるのだが、鏡を見た人物が自分の姿を夫々に解釈して引き起こす人間模様が面白い。

   落語あらすじ辞典によると、
   噺のルーツはインドで、古代インドの民間説話を集めた仏典「百喩経」巻三十五「宝篋(ほうきょう)の鏡の喩(たとえ)」が最古の出典といわれ、中国で笑話化され、清代の笑話集「笑府」誤謬部中の「看鏡」に類話があるという。

   能の舞台は、越後の松の山家で、最愛の妻を亡くして三年、松山某は後妻を迎えたのだが、姫が懐かず、持仏堂に籠りきりなので、「継母の木像を作って呪詛している」と言う噂を信じて叱責する。
   姫は、母が臨終に形見の鏡を渡して、恋しくなればこの鏡を見よと言い残したので、毎日鏡を見ながら過ごしているのだと語る。
   姫の嘆きを不憫に思った某は、鏡のありようを説き示して、先妻によく似た姫の面影に涙する。
   どこからともなく、姫の追慕に引かれて、母の亡霊が現れて、鏡を割り分けた夫が遠国で別妻を迎えたので、その半分の鏡がカササギになって妻のところに飛来して、鏡が元の円鏡に戻ったと言う唐土の逸話を語る。
   突然、倶生神が現れて、「地獄への帰参が遅い」と母の亡霊を責め立てるが、姫の供養の功徳によって成仏した母は菩薩の姿になって鏡に映ったので、俱生神は地獄へ帰って行く。

   この能では、ワキの松山某(福王茂十郎)が主役と言った感じで、子方の姫(武田章志)がこれに対して、ツレの母の亡霊(大槻文蔵)とシテの俱生神(武田志房)は後場の後半になって、一寸登場するだけだが、存在感は十分である。
   詞章を読んでいたこともあって、ワキと子方が主でもあり、謡については、かなり、良く聞き取ることができた。

   能になると、このように、亡霊の成仏と言う形になって、どうしても、暗くなるのだが、狂言や落語になると、ぐっと、人間くさく娑婆世界の話になって、面白くなる。

   狂言では、
   男は、京での訴訟が片付いて、故郷の越後の松の山家に帰国途中で、鏡売りの男に勧められて、妻への土産に高額な鏡を買い求める。
   妻は、鏡を覗き込んで、都から女を連れ帰ったと烈火のごとく怒り、それは、自分が写っているのだと男が説明しても聞き入れない。
   扇を見せて説明しても聞き入れないので、他の者にやろうと言って鏡を取り上げると、その女をどこへ連れて行くのかと、怒って男を追い込む。

   落語では、もっと身近な人情話になって面白い。
   松山村の正直正助は、四十二になるが、両親が死んで十八年間墓参りを欠かしたことがないので、お上の目に留まり、孝心あつい者であると褒美を取らすべく呼び出される。
   何もいらないと拒絶するが、抗しきれず、父が死んで十八年になるので、夢でもいいから一度顔を見たいので、一目会わしてほしいと願う。
   お上は、三種の神器の一つである八咫鏡のお写しを渡して、この中を見よと言ったので、のぞくと、鏡を知らないので、映っている自分の顔を見て、おやじだ勘違いして、感激して泣きだす。
   正直正助は、納屋の古葛籠の中に鏡を入れて、女房にも秘密にして、それから、朝夕、挨拶に行くので、邪推した女房が、亭主の留守に葛籠をそっと覗いてみると、女が写っていて、自分の顔を情婦と勘違いして、怒り心頭で、夫婦くんずほぐれつの大喧嘩となる。
   ちょうど表を通りかかった隣村の尼さんが、驚いて仲裁に入り、その女に会って意見すると鏡を覗き込んで、「お前たちがあまり喧嘩するので、中の女ァ、決まりが悪いって坊主になった」
   インターネットを叩くと、文楽の名調子の「松山鑑」が、Youtubeで、楽しめる。

   もう一つ、青空文庫に、楠山正雄の「松山鏡」が出ている。
   これは、亡霊や鬼神が登場するような話ではないが、能のストーリーに近い。
   父が京都で土産に買って帰った鏡を、娘は、母の死後、母だと思って見続けていて、父に誤解を与えて叱責されるのだが、事情が明らかになって、隣室で聞いていた継母が、娘の健気さに感じ入り、めでたしめでたしと言う民話となる。

   いずれにしろ、鏡を知らない人間が、写る姿を見て繰り広げる悲喜劇が、時代離れしていて面白いのが、知らないばっかりに引き起こすこれと同じような現象が、我々現代人の世界にも、沢山あることを考えれば、笑ってほろ苦い、そんな松山鑑であった。

   当日、大坪喜美雄師がシテで舞った舞囃子「井筒」の作り物がロビーに展示されていた。  
   庭の萩も風情があったので、数ショットを。
   
   
   
   
   
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クリス・アンダーソン・・・21世紀の産業革命の行方

2015年11月03日 | イノベーションと経営
   日立の「SOCIAL INNOVATION FORUM 2015」で、3Dロボティックス社のクリス・アンダーソンCEOが、「21世紀の産業革命の行方 ~オープンイノベーションによる、新たな価値創造~」と言う演題で、貴重な講演を行った。
   アンダーソンは、「ロングテール」「フリー」そして「メイカーズ」の著者であり、その透徹したハイセンスのイノベイティブな発想には定評があり、今回は、メイカーズの概念を更に展開して、Wired誌の編集長を辞めて、設立した3Dロボティックス社の立ち上げから、スマート・ドローンの開発について、正に、メイカーズを地で行く興味深い話を語った。

   「ロングテール」「フリー」は積読で、「メイカーズ」だけは読んで、このブログでもブックレビューしているのだが、ここで、アンダーソンが説こうとしているメーカーズと称する製造会社は、第三次産業革命後の、今現在台頭しつある全くコンセプトの違ったメーカーズなのである。
   私のブログを、そのまま引用すると、
   デジタルツールを利用して画面上でデザインして、デスクトップの工作機械でものづくりを行うメイカーズのことで、ウェブ世代のこのメイカーズは、当たり前に自分の作品をオンラインでシェアする。モノづくりのプロセスにウェブ文化のコラボレーションを持ち込むことで、メイカーズは、これまでのDIY(専門業者に任せず自分でものを作る)に見られなかったほどの大きな規模で、一緒になって何かを創り上げて行く。
   すなわち、メイカーズは、DIYムーブメントをオンライン化することで、オープンソースによってパブリックの場でものづくりを行うことで、巨大な規模のネットワーク効果を生み出す、デジタル・マニュファクチュアリングとパーソナル・マニュファクチュアリングが一体となって起こる第三次産業革命ともうべき、メイカーズムーブメントの産業化であって、これが、次代の製造業の大きな潮流となる。と説くのである。

   驚くべきは、バイオテクノロジーは勿論、DNAの操作など生体分野においても、考えることは、何でも3Dプリンターで作成可能になりつつあると言うアンダーソンの指摘である。

   アンダーソンが強調するのは、クリエイティブな人材は、広く世界中に存在するので、すべてのノウハウや技術をオープンにして、そのオープンソースに立脚したプラットフォームにクリエーションを糾合することが大切であり、創造・クリエーションは、社会が作り出すのだと言う経営姿勢である。
   したがって、かっては、カンパニー対カンパニー、プロダクツ対プロダクツ、の競争であったが、現在は、エコシステム対エコシステムの競争であり、この競争に勝つことが必須だと言う。
   いくら革新的魅力的な企業であっても、どんどん有能でクリエイティブな人材は流出して行く、どのようにして、人材を確保し続けて行くのか、これが最も重要な経営戦略となるのであろう。

   現在、3Dロボティックス社では、最高峰とも言うべきドローンを製造しているのだが、家で子供たちと3Dプリンターで、ドローンを作ったのが始まりで、、DIY Dronesというネット上のコミュニティで知り合った無名のメキシコ青年ジョルディ・ムノスに遭遇したのがきっかけで、、航空工学など専門知識など全くなく、起業したと言う事で、メキシコのティファナとアメリカのサンチャゴに工場を建てて製造を始めた。
   今や、軍事的に製造されたドローンよりも、はるかに性能が高くて安価だと言う。
   何故、そうなのか。
   軍事用にプロが作ったものは、使い勝手が悪く、ユーザーが洗練されていないので、ボタン一つで捜査可能なスマホで実現されているような洗練されたクリエイティブな発想ができないからだと言う。

   「メイカーズ」で、アンダーソンが、一般から出資者を募る「クラウドファンディング」の「キックスター」と言うシステムを使って立ち上げたベンチャー企業が、ソニーが新製品のスマートウォッチを販売しようとした時に、先を越して、デザインでもマーケティングでも価格でも、世界最大手のエレクトロニクス企業の上を行く製品を作って勝利した。と紹介しているのだが、
   このように世界中のファンやユーザーやステークホルダーを糾合したオープンイノベーションやオープンソースのビジネスモデルが、エスタブリッシュメントを駆逐するケースは、枚挙に暇なくなってきており、創造性が如何に大切かを物語っており興味深い。

   3DRのHPを開くと、最先端の機種である口絵写真のSMART DRONE SOLO のデモ映像が映し出されるのだが、BUYのところをクリックすると、その価格が、たったの999.95ドル(12万円)だと言うから驚く。
   

   さて、日本企業の第3次産業革命たるメーカーズへの対応だが、3Dプリンターなどハードの活用はどんどん進むであろうが、IOTやインダストリー4.0に対して、どこまで対応できるかであろうが、しかし、日本の企業文化を考えれば、オープンソースへのビジネスモデルやオープンイノベーションへの変革については、後手後手に回って、世界の趨勢から遅れをとるのではなかろうか。

   2009年創立の3D Roboticsが、今や、世界最高峰のドローン・メイカーになった言うイノベーションの加速化と革命的な企業の躍進は、驚異的だが、須らく、オープンソースのマネジメントによる。
   同社のようなオープンソース・ハードウェアのメイカー企業にとって、オープンにすることは、模倣されるリスクを補って余りあるほど、そこから生まれるイノべーションを取り込めるという利点がある。と言っており、果たして、日本企業が、そのような企業文化を構築できるであろうか。
   他の役員には全く知らされずに、一部のトップしか知らないと言う会社法違反だと思えるような技術のブラックボックス経営をして、窮地に陥ったシャープを考えれば、日本企業が、如何に、オープンソースのビジネスモデルに、拒否反応があるかが、よく分かる。

   この日、IDEOのトム・ケリー共同経営者が、「協創のデザイン・シンキング~組織と個人の創造性のマネジメント~」を語って、非常に啓蒙的であった。
   IDEOの創造的デザイン事業についても、このブログで書いてきたが、世界の最先端を行く企業の革新的なアプローチなり、如何に、未来志向で創造性を追及しているのか、垣間見えて勉強になった。
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第56回 神田古書まつりに行ってきた

2015年11月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昔は、神田古書まつりが、開かれると、初日に出かけて、沢山の本、それも、新刊書だけを買って、宅配便で送っていたのだが、最近は、出かけないこともあったり、期間中に、気が向いた日に、一日だけ、出かけたりで、関心が薄れてしまった。
   三省堂の店内やスズラン通りの入り口などにも、古書店が犇めいていて、大変な賑わいで、結構、本探しが楽しかったのだが、活字離れと紙媒体の本の凋落で、随分、展示も小規模になり質が低下して、魅力がなくなってきている。
   
   

   今回は、23日初日であり、終わり頃になって、国立能楽堂の定例公演を見た後、夕刻に出かけたので、かなりの人出があったのだが、特に新鮮味もなく、この調子だと、何時まで続くのであろうかと思った。
   何時もと違うのは、夫々の神保町の古書店が、この期間中に、店の前の歩道に、ワゴンや本棚を設えて臨時店舗を開設していることである。
   日ごろと違った売り場だけを、ちらりちらりと見て回っただけだが、時々、思いがけない本に出くわしたりすることもあって面白い。
   昔なら、いつかは読むであろうと思って買い込むのだが、書棚に、スタンドバイ中の本が、何十冊もあり、歳も歳なので、食指が動かなくなっている。

   結局、買った本は、1冊だけ。
   ナオミ・オレスケス他著「こうして、世界は終わる」。
   2093年、世界は終わる――ハーバード×NASAの教授・研究者が断言する。何故、われわれは、むざむざと破壊せざるを得ないのか?と帯に書かれた近未来の預言書。
   定価1400円、半額である。

   私は、いまだに、専攻した経済学や経営学の本を探すことが多いのだが、大抵は、欧米の学者たちの著した本を買うことが多く、日本の著者の本は限られている。
   欧米で学び仕事をしてきたからと言う訳ではなくて、この分野では、異文化と異文明によって生まれた、それも、人類の坩堝のような学問環境の中で生まれ出た本ほど、はるかに、学術水準が高くて発想なり知見が豊かで、啓発されることが多いからである。
   それに、まだ、欧米時代の名残か、新しい学問に遅れたくないと言う強迫観念のようなものが残っていて、それが、ドライブになっている。

   古本まつりで良いところは、新旧取り混ぜて、雑多な本が、一堂に会して見られることで、懐かしい本などに出合ったり、気づかなかった本などが見つかったりで、大型書店のようにジャンル分けして、売れ筋本ばかりを並べているのとは違った面白さがあることである。
   不思議なもので、いくら早く目を移動させても、関心のある本は、直感的に目に付くのは、これまでの修練の賜物かもしれない。
   欲しいと思った本は、古本なので、帰ってきてから、アマゾンを叩いて新本を買う。
   
   高校時代までは、図書館に行って本を借りて読んだことがあるのだが、それ以降は、自分で買った新本しか読まないようになった。
   高校の図書館でも、誰も借りたことのない本ばかりを探して借りていた。
   この図書館で、一つ思い出があるのは、随分経ってから高校を訪れた時に、図書館に立ち寄って、自分が読んだ本を開いてみたら、貸出票に、私の後に、マドンナの名前が並んでいたことで、一気に、私の頭の中を、懐かしい思い出が、走馬灯のように駆け巡った。
   
   今朝、何となく、テレビをつけたら、日テレが、面白い番組を放映していた。
   「読みたい本、どうして手に入れる?」
   
   結果は、ほぼ、書店で買う 3、インターネットで買う 1、図書館で借りる 1、1か月本を読んではいない 2。
   9時だから、視聴者は、朝テレビを見て居れる人の投票なので、日本人一般と言う訳には行かないであろうが、趨勢は分かる。
   4割の人が、本を買わないのであるから、本屋の倒産が続いているのは、当然であろうと思う。
   以前に、四国の普通の大人は、殆ど本を読まないと言う調査結果について、そして、活字文化離れの危機など、このブログで書いたことがあるのだが、良し悪しは別として、本文化の凋落が、始まっていることだけは、事実のようである。
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京都:能の旅~仏原&祇王:祇王寺

2015年11月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私は、仏御前をシテとした能「仏原」も能「祇王」も鑑賞した経験はないのだが、学生時代から、最もしばしば訪れているのは、嵯峨野の祇王寺である。
   平家物語が愛読書であり、この祇王・祇女の姉妹と母の刀自、そして、仏が隠れ住んだ祇王寺と、その裏に隣接した滝口入道と横笛の悲恋の舞台である滝口寺を訪れては、先の小督の物語をも反芻しながら、嵐山や嵯峨野を歩いてきた。
   
   さて、これらの能「仏原」も能「祇王」も、この祇王寺を舞台にはしてはいないのだが、やはり、祇王や仏をイメージするためには、この嵯峨野の祇王寺しかなく、しかも、祇園精舎の鐘の声で始まる平家物語の悲劇の女性たちの息づく場所としては、恰好の場所であろう。
   建礼門院の能「大原御幸」の舞台である大原の里も、正に、そんなところである。
   私が歩き始めたのは、もう、ほぼ半世紀前で、祇王寺や滝口寺には、鬱蒼と茂った林を踏み分けて訪れなければならなかったし、祇王寺も賤が家の佇まいであったし、滝口寺などは、荒れ放題であったような記憶がある。
   大原もそうで、寂光院から三千院への道など、草木で埋もれていたように思うし、今から考えると、古き良き時代の素晴らしい日本の原風景を写せたように思えて、写真が残っていないのが、残念な気がしている。

  さて、能「仏原」の舞台は、加賀の国の仏原で、旅の僧が、出会った女に、「仏御前」の霊を弔ってくれと頼まれると言う話で、後場で、この女が仏御前の霊として登場して、白拍子姿で現れて、弔いに感謝し、仏道をきわめた悟りの境地を体現する舞を舞う。
   加賀は、仏御前の生地であり、一時は、清盛から逃れて、祇王を訪ねて、祇王寺に籠るのだが、清盛の子を身籠っていたので、尼寺での出産を憚って、加賀に帰って亡くなっている。
   
   能「祇王」は、かなり、平家物語に忠実に再現しており、
   清盛の寵愛を一身に集めて時めいていた白拍子の祇王が、清盛に門前払いを食っていた加賀の国からやってきた仏御前を清盛にとりなし、舞の衣装を着た祇王・仏御前の二人は、相舞を舞う。しかし、清盛の心は、仏御前に移って一人で舞えと命じるので、清盛の寵愛が仏御前に移った事を知った祇王は、暇乞いするが、仏御前に引き留められ、二人の友情に変わりがない事を誓う。と言うストーリーになっている。
   しかし、屈辱に耐えられなくなった祇王は、障子に、次の歌を書き残して、六波羅を去る。  
   萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき

   さて、壇林寺までは、普通の道が続いているのだが、祇王寺へは、急に狭くなって、竹林に隣接した祇王小路が門前まで上っている。
   この門からは入れなくて、観光客は、左に回って参拝口から入山する。
   
   

   境内に入ると、まず、祇王寺の草庵よりも、苔むした庭園の方に目が行くのだが、清楚で尼寺らしい優しい雰囲気が、実によい。
   楓の紅葉や祇王寺祇王桜の咲く頃には、美しいのであろう。
   
   
   

   草庵は、全く、小さな質素な庵で、仏間には、本尊の大日如来像を真ん中にして、左に、清盛、祇王、刀自、右に、祇女、仏の木像が安置されていて、東側に開けられた丸い吉野窓から、庭園が見えて美しい。
   写真禁止なので、HPの写真を借用する。
   
   

   境内を出たら、二時半を回っている。  
   本当は、能「定家」の時雨亭跡、能「百万」の釈迦堂も回りたかったのだが、これで急いでも、4時半伊丹発のJAL便に間に合うかどうかさえ危うい。
   幸い、大通りに出たら、タクシーが来たので、急いで阪急嵐山駅に向かった。
   南茨木で、モノレールに乗り継いで、空港に着いたのは、ぎりぎり。
   3回の乗り継ぎが、かなり、スムーズであったので間に合ったが、こんなことは、海外で頻繁に経験していたのを思い出して、冷や汗が出てきた。
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