理系や文系と言った垣根を取り払った学際的な異端児学者が糾合する東大先端技術研究所が実践する発想のマネジメント、ブレイクスルーへの思考を、インタビュー形式で、教授たちが開陳した興味深い本。
2016年12月東大出版会の発行で定価2200円+taxながら、私は、ブックオフで新本の廉価版を買ったが、amazonでは、古書だが送料ともで500円で買えるから、とにかく、このような興味深い、所謂、思考の助けになる良質本が、二束三文だと言うことは、日本の本文化の衰退と言うだけではなく、知的水準の低下と言う感じがして、一寸気になった。
10人以上の学者たちが、夫々の専門分野の興味深い研究成果などを語っており、ブックレビューと言うのもそぐわないので、今回は、日本各地で大被害を受けた台風について、その対策などに役に立つ情報がないかと考えて、気が付いた点について書いてみたいと思う。
と言っても、関係ありそうな学者は、都市工学専攻の西村幸夫教授くらいで、この場合も、直接、台風被害対策については、言及していないし、私の意図そのものが無理なのである。
西村教授の見解で興味深いのは、
都市開発は権力と親密だ。関係者は権力を行使できるため、ある意味、居心地がいい。しかし、力ずくでまちの記憶を消し去った場所で、住民は豊かに暮らせるのだろうか。と言う指摘。
都市の立地を考える時に、「安全な場所に住みたい」とか、丘陵の一番突端で見晴らしいのがよいとか、水が得やすいとか、周りより少し高いところであるとか、川の合流点であるとか、そこには、何かの判断があって、他ではないこの場所が選ばれていると言うところが当然ある。
そして、次に、やはり都市なので、山に向かって道があるとか、神社があるとか、お城があるとか、ある種の構造を持っている。人々は、この都市はこうあるべきだとか様々な構想をし、沢山の変化が起こる。それぞれの人々の考えの積み重ねで、夫々の施設が置かれる時にはそれぞれの判断がある。
そういうのを集合的に観るとやっぱり誰かが構想しているんだと、擬人的に言えば都市が構想しているとも言えるわけである。
また、都市の細部や、「時間」とか「空間」のアクティビティから都市を見、都市の歴史をさかのぼって見るとか、異なった視点で都市を理解しようとすると、その都市の個性のようなものが良く見えてくる。そこから先の計画は、その先を進めればよい。と言うのである。
都市の成り立ちや都市計画については、これでわかるとしても、このようにして生まれ育まれて発展してきた都市が、今回のようなスーパー台風の襲撃を受けて、土砂災害、浸水害、洪水が発生し、そして、先の東日本を襲った巨大な地震・津波、また、巨大な火山などのような自然災害によって、都市が壊滅的な被害を受けた時には、抗うすべもない。
武蔵小杉や多摩川の水害のような都市災害については、都市計画でカバーできるとしても、この分野は、高度な国家施策と土木工学や防災工学の世界であろう。
自然災害の激震地日本の運命とも言うべき日本人の試練をどう生き抜いて行くか、あの美しい富士山が何時か大爆発するかもしれないと言うダイナマイトの上に胡坐をかいている日本の危うさ、心しなければならないと思っている。
もう一つ、興味を持ったのは、「渋滞学」の西成活裕教授の、
交通渋滞を解消する究極の方法は「分散」と言う考え方。
正月やお盆の頃の高速道路の渋滞は大変なものだが、これは、日本人の重要な年中行事であるから、教授の説く「休暇の分散」も機能しないであろう。
果たして、河川の堤防決壊を避けるために、「渋滞学」を活用できないであろうか。
そして、社会デザインの森川博之教授のIOTの指摘で、
センサーを用いた土砂崩れ対策をこうじて、センサーを設置して危険を感知するようにすれば、人間が見回りに行かなくても済むと言うこと。
河川の洪水など、川に設置された水位計を見て判断しているようだが、AI、IOT時代に、メソポタミアやエジプト文明以下の悲しい現実。
私のように、2度のスーパー台風の上陸地点直近に住まいする鎌倉の住人ながら、幸せにも、殆ど大きな被害に合わなかったが、被害地の方々の甚大なダメッジを見聞きするにつけ、自分がその立場に立っていたら、生きるすべを総てなくして、大切な人々を失い、これから、どうして生きて行くのか、到底自信などなく、泣き暮れているであろうと思うと、いたたまれなくなってしまい、深甚な心からの同情を禁じ得ない。
2016年12月東大出版会の発行で定価2200円+taxながら、私は、ブックオフで新本の廉価版を買ったが、amazonでは、古書だが送料ともで500円で買えるから、とにかく、このような興味深い、所謂、思考の助けになる良質本が、二束三文だと言うことは、日本の本文化の衰退と言うだけではなく、知的水準の低下と言う感じがして、一寸気になった。
10人以上の学者たちが、夫々の専門分野の興味深い研究成果などを語っており、ブックレビューと言うのもそぐわないので、今回は、日本各地で大被害を受けた台風について、その対策などに役に立つ情報がないかと考えて、気が付いた点について書いてみたいと思う。
と言っても、関係ありそうな学者は、都市工学専攻の西村幸夫教授くらいで、この場合も、直接、台風被害対策については、言及していないし、私の意図そのものが無理なのである。
西村教授の見解で興味深いのは、
都市開発は権力と親密だ。関係者は権力を行使できるため、ある意味、居心地がいい。しかし、力ずくでまちの記憶を消し去った場所で、住民は豊かに暮らせるのだろうか。と言う指摘。
都市の立地を考える時に、「安全な場所に住みたい」とか、丘陵の一番突端で見晴らしいのがよいとか、水が得やすいとか、周りより少し高いところであるとか、川の合流点であるとか、そこには、何かの判断があって、他ではないこの場所が選ばれていると言うところが当然ある。
そして、次に、やはり都市なので、山に向かって道があるとか、神社があるとか、お城があるとか、ある種の構造を持っている。人々は、この都市はこうあるべきだとか様々な構想をし、沢山の変化が起こる。それぞれの人々の考えの積み重ねで、夫々の施設が置かれる時にはそれぞれの判断がある。
そういうのを集合的に観るとやっぱり誰かが構想しているんだと、擬人的に言えば都市が構想しているとも言えるわけである。
また、都市の細部や、「時間」とか「空間」のアクティビティから都市を見、都市の歴史をさかのぼって見るとか、異なった視点で都市を理解しようとすると、その都市の個性のようなものが良く見えてくる。そこから先の計画は、その先を進めればよい。と言うのである。
都市の成り立ちや都市計画については、これでわかるとしても、このようにして生まれ育まれて発展してきた都市が、今回のようなスーパー台風の襲撃を受けて、土砂災害、浸水害、洪水が発生し、そして、先の東日本を襲った巨大な地震・津波、また、巨大な火山などのような自然災害によって、都市が壊滅的な被害を受けた時には、抗うすべもない。
武蔵小杉や多摩川の水害のような都市災害については、都市計画でカバーできるとしても、この分野は、高度な国家施策と土木工学や防災工学の世界であろう。
自然災害の激震地日本の運命とも言うべき日本人の試練をどう生き抜いて行くか、あの美しい富士山が何時か大爆発するかもしれないと言うダイナマイトの上に胡坐をかいている日本の危うさ、心しなければならないと思っている。
もう一つ、興味を持ったのは、「渋滞学」の西成活裕教授の、
交通渋滞を解消する究極の方法は「分散」と言う考え方。
正月やお盆の頃の高速道路の渋滞は大変なものだが、これは、日本人の重要な年中行事であるから、教授の説く「休暇の分散」も機能しないであろう。
果たして、河川の堤防決壊を避けるために、「渋滞学」を活用できないであろうか。
そして、社会デザインの森川博之教授のIOTの指摘で、
センサーを用いた土砂崩れ対策をこうじて、センサーを設置して危険を感知するようにすれば、人間が見回りに行かなくても済むと言うこと。
河川の洪水など、川に設置された水位計を見て判断しているようだが、AI、IOT時代に、メソポタミアやエジプト文明以下の悲しい現実。
私のように、2度のスーパー台風の上陸地点直近に住まいする鎌倉の住人ながら、幸せにも、殆ど大きな被害に合わなかったが、被害地の方々の甚大なダメッジを見聞きするにつけ、自分がその立場に立っていたら、生きるすべを総てなくして、大切な人々を失い、これから、どうして生きて行くのか、到底自信などなく、泣き暮れているであろうと思うと、いたたまれなくなってしまい、深甚な心からの同情を禁じ得ない。