今日の日経がトップで、「低学歴国」ニッポン 博士減 研究衰退30年 と言う記事を掲載した。
大学教育が普及し、教育水準が高い――。そんなニッポン像は幻想で、先進国の中では「低学歴国」となりつつある。
文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、日本は人口100万人当たりの博士号取得者数で米英独韓4カ国を大きく下回る。減少は中国も加えた6カ国中、日本だけだ。2007年に276人いた米国での博士号取得者も17年は117人に減少。国別順位は21位だ。として、次表を掲載。
注目度の高い科学論文数の国際順位は1990年代前半までの世界3位が2018年は10位に落ちた。同じ平成の30年間に産業競争力も低落。イノベーションの担い手を育てる仕組みの弱さが産学の地盤沈下を招いた。
根っこには大学院への評価の低さがある。どの大学に合格したかが企業の採用基準になる社会では、学びは学部に入った時点で終わり。研究を志す学生だけが集う大学院の魅力が高まるはずはなかった。過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」も大学院軽視の岩盤を強固にした。と言う。
この問題については、随分、このブログで書き続けてきているので、蛇足は避けて、感想だけ述べると、日経の指摘
”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”故に尽きると思う。
私は、米国製MBAで修士なので、博士について口幅ったい言い方は出来ないが、暴論を承知で言うと、日本の政治経済社会の上に立つトップの学歴が低いと言うことである。
欧米では、学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる事実が機能していて、教育程度が、決定的要因となっている。
最近のアメリカの大統領では、トランプだけは大卒だが、クリントンもブッシュもオバマもバイデンも、総て、大学院を出ており、欧米の為政者や政府高官は勿論、大企業の経営者などリーダーの大半は、大学院を出て、博士号や修士号を持っており、大学しか出ていない日本のトップ集団とは大いに違っている。
それに、欧米の場合には、文理両方のダブル・メイジャーや学際の学位取得者、T型人間、π型人間など多才な学歴を積んだリーダーが多いのも特徴である。
欧米の教育では、大学はリベラル・アーツを学ばせる教養コース的な位置づけで、専門は、大学院の修士・博士課程、プロフェッショナル・スクール(大学院:ビジネス、ロー、エンジニアリング、メディカルetc.)で学んで習得すると言うことで、この過程を通過しなければ専門知識なり高等教育を受けたことにはならないし役に立たない。
グローバル・ビジネスにおいて、欧米のカウンターパートと比べて、特に、日本のトップやビジネス戦士が引けをとっているのは、リベラル・アーツなどの知識教養の欠如と程度の低さで、その上に、欧米人は、高度な専門分野の大学院教育を受けて知的武装をしているのであるから、太刀打ち出来るはずがない。
国際政治においても同様である。
日本の社会なり政府が、リベラルアーツも専門教育も両方とも4年間の大学教育で完結したと考えているのなら、何をか況んやである。
何をどう言おうとも、世界のトップレベルの高等教育を受けて培った高度で時空を超えた知識教養、思想哲学、世界観価値観、真善美追求への渇望等々、そして、世界に雄飛する有能な人脈の形成やグローバルコネクションの確立など、その価値に勝ものはない筈である。しかし、最近では、世界最高峰の大学や国際機関への日本人留学生が激減していると言うから悲劇以外の何ものでもない。
遅れていて、行け行けどんどんの、キャッチアップ時代の日本やJapan as No.1までの時代は、それでも良かったが、未知の環境に遭遇して世界に伍して戦いが始まると、一気に制度疲労を起こして失速して、現在では、益々落ちぶれて普通の国になって、先進国の後塵を拝し始めてしまったのは、その辺りの資質を欠いたリーダーの質や能力に問題があったのではなかろうか。
失われた30年は、経済だけではなく、知的水準も失ってきたのである。
さて、日本の現状だが、
苦境に立った早稲田大学での非常勤講師の使い捨て抗議について書いたことがあるが、これらの先生は、何か特別の資格保有者であろうし、多くは、大学院を出て博士号や修士号を持っているだろうと思うし、
また、日本では、研究やR&Dに携わる多くの理系技術系のポスドクなど博士号を持つ多くの人々の就職や雇用条件も劣悪な状態であると言う。
iPS細胞の山中伸弥京都大教授でさえも、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員であるために、有期雇用であって先の保障がなく、山中教授が、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うのであるから、日本の大学や研究機関などが、如何に、高学歴の日本人を、悲惨な状況に追い詰めているかが良く分かる。
また、一般企業や各組織団体などにしても、大卒程度のトップでは理解不足で、学位保有の高学歴者を、有効に雇用や活用ができないケースが多いので、益々、門戸が閉ざされてしまう。
アメリカの雇用状況では、博士ないし修士の失業は、2~3%で、最も恵まれていて給与水準も高いのと比べてみると雲泥の差である。
日経は、「大学院教育を通じた人材の高度化に経済界が期待を寄せ始めた。」と書いているが、さて、どうであろうか、
大学院教育の重要性を認知できずに、博士や修士を冷遇し続ける日本社会において、
高邁な思想や哲学には縁遠い世界観さえ希薄なトップが上に立っている限り、高度な人材の育成や活用など夢の夢で、先が思いやられるとしか言いようがないのが悲しい。
大学教育が普及し、教育水準が高い――。そんなニッポン像は幻想で、先進国の中では「低学歴国」となりつつある。
文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、日本は人口100万人当たりの博士号取得者数で米英独韓4カ国を大きく下回る。減少は中国も加えた6カ国中、日本だけだ。2007年に276人いた米国での博士号取得者も17年は117人に減少。国別順位は21位だ。として、次表を掲載。
注目度の高い科学論文数の国際順位は1990年代前半までの世界3位が2018年は10位に落ちた。同じ平成の30年間に産業競争力も低落。イノベーションの担い手を育てる仕組みの弱さが産学の地盤沈下を招いた。
根っこには大学院への評価の低さがある。どの大学に合格したかが企業の採用基準になる社会では、学びは学部に入った時点で終わり。研究を志す学生だけが集う大学院の魅力が高まるはずはなかった。過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」も大学院軽視の岩盤を強固にした。と言う。
この問題については、随分、このブログで書き続けてきているので、蛇足は避けて、感想だけ述べると、日経の指摘
”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”故に尽きると思う。
私は、米国製MBAで修士なので、博士について口幅ったい言い方は出来ないが、暴論を承知で言うと、日本の政治経済社会の上に立つトップの学歴が低いと言うことである。
欧米では、学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる事実が機能していて、教育程度が、決定的要因となっている。
最近のアメリカの大統領では、トランプだけは大卒だが、クリントンもブッシュもオバマもバイデンも、総て、大学院を出ており、欧米の為政者や政府高官は勿論、大企業の経営者などリーダーの大半は、大学院を出て、博士号や修士号を持っており、大学しか出ていない日本のトップ集団とは大いに違っている。
それに、欧米の場合には、文理両方のダブル・メイジャーや学際の学位取得者、T型人間、π型人間など多才な学歴を積んだリーダーが多いのも特徴である。
欧米の教育では、大学はリベラル・アーツを学ばせる教養コース的な位置づけで、専門は、大学院の修士・博士課程、プロフェッショナル・スクール(大学院:ビジネス、ロー、エンジニアリング、メディカルetc.)で学んで習得すると言うことで、この過程を通過しなければ専門知識なり高等教育を受けたことにはならないし役に立たない。
グローバル・ビジネスにおいて、欧米のカウンターパートと比べて、特に、日本のトップやビジネス戦士が引けをとっているのは、リベラル・アーツなどの知識教養の欠如と程度の低さで、その上に、欧米人は、高度な専門分野の大学院教育を受けて知的武装をしているのであるから、太刀打ち出来るはずがない。
国際政治においても同様である。
日本の社会なり政府が、リベラルアーツも専門教育も両方とも4年間の大学教育で完結したと考えているのなら、何をか況んやである。
何をどう言おうとも、世界のトップレベルの高等教育を受けて培った高度で時空を超えた知識教養、思想哲学、世界観価値観、真善美追求への渇望等々、そして、世界に雄飛する有能な人脈の形成やグローバルコネクションの確立など、その価値に勝ものはない筈である。しかし、最近では、世界最高峰の大学や国際機関への日本人留学生が激減していると言うから悲劇以外の何ものでもない。
遅れていて、行け行けどんどんの、キャッチアップ時代の日本やJapan as No.1までの時代は、それでも良かったが、未知の環境に遭遇して世界に伍して戦いが始まると、一気に制度疲労を起こして失速して、現在では、益々落ちぶれて普通の国になって、先進国の後塵を拝し始めてしまったのは、その辺りの資質を欠いたリーダーの質や能力に問題があったのではなかろうか。
失われた30年は、経済だけではなく、知的水準も失ってきたのである。
さて、日本の現状だが、
苦境に立った早稲田大学での非常勤講師の使い捨て抗議について書いたことがあるが、これらの先生は、何か特別の資格保有者であろうし、多くは、大学院を出て博士号や修士号を持っているだろうと思うし、
また、日本では、研究やR&Dに携わる多くの理系技術系のポスドクなど博士号を持つ多くの人々の就職や雇用条件も劣悪な状態であると言う。
iPS細胞の山中伸弥京都大教授でさえも、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員であるために、有期雇用であって先の保障がなく、山中教授が、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うのであるから、日本の大学や研究機関などが、如何に、高学歴の日本人を、悲惨な状況に追い詰めているかが良く分かる。
また、一般企業や各組織団体などにしても、大卒程度のトップでは理解不足で、学位保有の高学歴者を、有効に雇用や活用ができないケースが多いので、益々、門戸が閉ざされてしまう。
アメリカの雇用状況では、博士ないし修士の失業は、2~3%で、最も恵まれていて給与水準も高いのと比べてみると雲泥の差である。
日経は、「大学院教育を通じた人材の高度化に経済界が期待を寄せ始めた。」と書いているが、さて、どうであろうか、
大学院教育の重要性を認知できずに、博士や修士を冷遇し続ける日本社会において、
高邁な思想や哲学には縁遠い世界観さえ希薄なトップが上に立っている限り、高度な人材の育成や活用など夢の夢で、先が思いやられるとしか言いようがないのが悲しい。