現在、各学年の体育学習は、校庭でボール運動や縄跳び、体育館ではマット運動や跳び箱を行っています。
体育学習に限らず、子どもたちの成長のために、「感覚を磨く」という言葉はとても重要な意味をもっていると感じます。
私が以前、副校長として勤務していた小学校では、言語能力向上拠点校として東京都教育委員会の指定校研究を行いました。
その時の研究テーマが「感覚を磨く」でした。
算数と俳句を柱として研究を進めていたのですが、どちらも「数学的感覚」「俳句創作を通した言語感覚」をどう磨いていくかについて研究しました。
結論からすると、同じパターンの学びを積み上げていくことで、感覚が磨かれるということになりました。
また、小学生スポーツの指導者経験からも「感覚」に視点をあてることは大切だと感じています。
子どもの「感覚」を伸ばすことは、脳機能の中で新しい連鎖を生み出して、これまでできなかったことができるようになるイメージを私はもっています。
たとえば、写真のような野球的運動では、ボールを「投げる感覚」や「捕る感覚」「飛んでくる位置をつかむ感覚」「打つ感覚」というものが、基礎練習の中で研ぎ澄まされていけば、上手に野球をすることができるようになります。
卓球でしたら、ラケットを握る、振る感覚から始まって、ピンポン玉を打つ感覚や回転をかける感覚、スピードに対応する感覚などが必要になってきます。
頭で理解していても、感覚が磨かれていないと体が動いてくれません。
教室での学習も同じようなことがあります。
字を整えて書く感覚、場にあった言葉を話す感覚、数を具体物で捉える感覚(低学年)から抽象的に思考できる感覚(高学年)、他者の気持ちを読み取る感覚など。
感覚を磨くためには、毎日の努力が必要になります。
絵を描くのが苦手な人でも、勇気を出して一歩踏み出し、毎日絵を描くことを続ければ、気づかぬうちに感覚が磨かれて、ある日突然、描けるようになります。
要するに、感覚を磨くとは、できるようになるまで忍耐強く学習を続けられるかどうかにかかっているように感じます。
また、人は生涯、学び続けることが大事ですから、年齢がいくつになっても新しい感覚は磨かれていくものです。
そのように学び続けられる人を、一人でも多く育てられたらすてきなことだと思っています。