去る4月と5月は、青梅線の青梅以遠・深山幽谷ゾーンに8回も乗ってしまいました。まぁそのこと自体、私が如何に撮り鉄活動をすっぽかし、健康マニアと化して奥多摩を歩いたかを意味しております (笑)。もっとも、山や渓谷を歩くにしても必ず電車やバスを利用し、乗り鉄の道に忠実であることは確かです。
そんな青梅線の主となって久しいE233系は、E231と比べて快適さと安心感がはるかに勝っているように思われますので、文句を並べるつもりはございません。しかし、折角の休日を楽しむために乗る電車が、都心を2~3分間隔で走る中央快速と全く同じであるというのは、何とも味気ない話であります。まだ使えそうな (実際、関西ではゴロゴロ走っている) 201系を何故早々に潰したのか!と嘆かわしい気分になる一方、せめて都心に乗り入れない青編成は、青梅・五日市線専用車としてふさわしいアイデンティティを打ち出して欲しいと思うのは私だけでしょうか。例えば、全面ぶどう色2号ラッピングにするとか……(^^;)。
それはさておき、そんな計8回の青梅線乗車のうち2回=1往復は、いつもお世話になっております「きえふにいさん」様とともに水根貨物線を探訪するための乗車でした (但し、直接水根貨物線を歩くのではなく、概ね脇を通る「奥多摩むかし道」=かつての青梅街道を歩いております。ネット上には、水根貨物線を完全に歩いた記録もあるようですが、とりわけ橋脚など、踏み板が腐るなどして極めて危険だと思われますので、絶対にお勧めしません)。
水根貨物線は、正式には小河内ダムの建設のために敷かれた東京都水道局の専用線であり、昭和20年代末に完成してからダム完成までの僅か4~5年のみ運行されました。その後は所有者が、観光地化を意図した西武の手に一時渡るなど二転三転したようですが、現在は奥多摩工業が所有したまま完全に塩漬け状態となっているようです。とはいえ、全線が国鉄丙線規格で建設されているようで、レールは確かにそこそこ太く、橋脚は今でも見た目では非常に堅固な状態を保っています。というわけで、↓にアップした光景を眺めながら、「嗚呼もったいない!」と連呼しつつ、もしここをトロッコ列車が走るならば、嵯峨野観光鉄道に十分タメを張れる一大観光路線になるのでは……と想像したのでした。
奥多摩駅から「むかし道」を歩き始めて間もなく、僅かですが線路の脇を歩きます。(日原川にかかる大アーチ橋は、見に行くの忘れた ^^;)
森の中を貫くコンクリート橋……。
ミャンマー国鉄であれば、十分に現役路線です (笑)。
境橋集落近く、圧巻の大鉄橋!
森に埋もれ行く橋脚。列車が来ればどれほど絶景でしょうか?