地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

小田急・海老名車庫公開

2005-10-15 20:41:00 | 大手民鉄 (小田急)


 今日と明日の2日間、小田急の海老名車両基地が「ファミリー鉄道展」と称して公開されています。ふだん私はこの手のイベントが大の苦手なのですが、いま3歳の甥っ子の「鉄・英才教育」(^^;;) の一環として、ひとつ頑張って出かけてみました。
 もちろん、行くからには個人的なお目当てもあるわけで、廃車が進む9000・10000形や、ふだん工場の奥で大事に保存されている2200形などをうまい具合に撮れれば御の字だなぁ……と思っていたのですが、展示撮影会場で9000形と10000形のあいだに現3000形を置くという気の利かなさにガックリ……(T_T)。でもまあ10000形のドアップ (↑の画像) を撮影できたので良しとしましょう。
 3000形を置くぐらいなら、むしろ海老名で1年以上放置されたままの状態が続く2600形を並べて欲しかったです。順番待ちの間も、他の多くの家族連れが「あの電車 (=2600) 撮りたいよね……」という会話をしていました。
 9000形については、横に並ぶ3000が個人的に邪魔で余りにも編成写真を撮りづらかったため、今回は省略。今なら江ノ島線の各停運用で割と見かけますので、こちらを撮る方が早いです (^^;)。
 10000形と並ぶもう一つのお目当て・2200形は……いつの間にかドピーカンになってしまったため、サイドが暗くつぶれてイマイチになってしまいました (泣)。まあまたいずれ機会があれば撮り直しも出来るでしょうが、出来れば去年、2600と一緒に並べられたシーンを撮りたかったです……(出張により行けず T_T)。
 そんなこんなで撮り鉄はほどほどにして、もっぱら甥っ子の世話で疲れ果てて帰ってきたのですが (^^;)、普段は真夜中の作業ゆえまず見られないプラッサーや架線作業車の実演はなかなか楽しかったですし (甥っ子はロマンスカー以上にこっちで大喜び?!)、来場記念パスネットの購入は個人的に大満足でした (そして相鉄・西武なども友情出演でパスネットやグッズの類を販売していました。買いそびれていた相鉄版鉄道の日パスネットも無事ゲット!) 。そして最後に、甥っ子にはお土産として50000形プラレールを購入し「叔父馬鹿」状態に (^^;)。最近のプラレールは昔と比べると余りにも精巧になって、むしろ「大人買い」したくなってしまう世界ですね (^^;;;;)。

東急8500系「サークルK」を撮る

2005-10-14 23:09:50 | 大手民鉄 (東急)


 最近の目まぐるしい動きが見逃せず、当ブログでもたびたび思い入れに任せてご紹介している東急8000・8500系ですが、当面注目の的にはなっていないものの、近いうちに必ずさらなる変動が待っているグループとして、8500系の東武直通未対応車が挙げられるでしょう。このグループ、正面貫通扉の窓に「K」とプリントされた丸いステッカーが貼ってあることから、いつしか「サークルK」と呼ばれるようになり、私も何のかの言ってそう呼んでいるのですが (^^;)、外見上の最大の特徴はスカートがついていないこと、でしょうか。一応、東武乗り入れ編成に取り付けられたスカートは踏切事故対策らしいのですが、それでは東横・大井町線の8000系は一体……(^^;)。そしてもう一つの見逃せない特徴は、一部の編成は正面・側面表示がLED化されていないことです! う~ん、登場時から変わらない姿! (^^)
 そこで、そんな「サークルK」編成を記録するなら、まだまだ運用が多いうちが華だと思いまして、昨日オフタイム出勤の道すがら鷺沼で下車して撮影に励みました (いつも乗っているならもっと早くから……と我ながら思うのですが、中央林間から急行に座ってしまいますと、途中で降りるのが勿体ないもので……^^;)。『東○時刻表』を見ますと、大体午前9~10時台はラッシュアワーの仕業を終えて続々と長津田に戻る「サークルK」の本数が非常に多く (列車番号の下2桁=運用番号が30以上であれば、押上から先には行きませんので一目瞭然です)、いっぽう渋谷方面行きでも立て続けにやってくることがありますので、非常に効率が良いのです (^^)。
 そんなわけで、「重箱の隅つつき」に近い奥深さの趣味的魅力を漂わせながら、辛うじてまだまだそれなりに沢山走っている「サークルK」ですが、この日見た限りでは8612Fや2001Fにスカートが取り付けられていたことから、ひょっとすると東武直通対応改造 (またはその準備工事) がさらに進みつつあるのか?……と勘繰りたくなります (あくまで妄想ですので、間違っていたらスミマセン)。その一方で、今後も初期車を中心に続々と長野へ向かうのでしょう。来年、または再来年の今頃は、「サークルK」の陣容も様変わり (=激減) しているのかも知れません……。

秩父も変化目前 (3) 1000系

2005-10-13 14:37:41 | 地方民鉄 (秩父)


 80年代末以来、秩父で一貫して最大勢力を誇っているのが国鉄・JR101系改め1000系です。黄色+茶帯というかなり強烈な色から現在の荒川の流れをイメージした塗装に変わり、さらに先頭車だけ分散式クーラー搭載改造・前パン化改造を受けたことによって、だいぶ秩父オリジナルな雰囲気も強まりました。とはいえ、基本的な車体の雰囲気や下回りは全く昔のままで、秩父の谷間にMT46の柔らかく力強いサウンドを響かせながら快走しています (^^)。
 この電車に乗る際、特にオススメなのが中間車・デハ1100です。とにかく冷房化費用を安くあげるため、この中間車だけは何と非冷房のまま! ということは……国鉄モハ100のオリジナルな姿がほぼカンペキに保たれているということです (一部は座席下の蹴込み板がステンレス化されています)。JRに残る103系を見回しても非冷房車は現存していないはずですので (間違っていたらスミマセン ^^;)、このデハ1100は101・103系が非冷房車ばかりだった頃を懐かしく思い出させてくれる唯一の存在ではないでしょうか (^^)。そういえば、昭和50年代の京浜東北・根岸線には、先頭のクハ103だけがATC装備の高運転台・冷房車で、中間の8両が全て非冷房というありがたくない編成がたくさん走ってましたね……(って、関係ないか ^^;)。
 それにしても、「カッコ良い!」と思いつつも未だに不思議な感覚を受けるのは、デハ1000の前パン姿。この雰囲気……クモハ73の全金属化改造車をいつも思い出してしまいます (^^;)。一度、ブドウ色 (または御殿場線風にスカ色) に塗られたところを見てみたい……(^^;;)。
 そんな1000系も、いずれ埼玉県からの補助 (確か) を受けたクーラー搭載費を償却すれば置き換えられてしまう可能性が高いのではと思います。後継はどこの何系か……を妄想する楽しみがあるわけですが、その一方で登場以来約半世紀を迎えた101系の最後の活躍を見届けよう……と改めて思うのでした。

秩父も変化目前 (2) 鉱石&貨物列車

2005-10-11 16:08:00 | 貨物列車 (民鉄)


 秩父と言えば国鉄型ですが、それと同じくらい秩父名物なのが、青いオリジナルELに牽引された鉱石列車と貨物列車だと言えましょう。鉱石列車は影森駅からにさらに引込線をたどったところにある三輪鉱山から石灰石を三ヶ尻のセメント工場に運び、秩父名物の鉱石車「ヲキ」「ヲキフ」を延々20両近く連ねており、如何にも重々しい雰囲気を漂わせながらゆっくりと秩父路を走っております。こんな小柄なED級の機関車で大丈夫なのか……という気もしますが、基本的に積車時は常に下り坂なので問題ないようです。むしろ、空車を影森から三輪鉱山まで持って行くときの方が、相当の急勾配のため辛そうです (しばしば撒き砂の煙が朦々と立っていますし ^^;)。いっぽう貨物列車は大野原駅の北側にある武州原谷貨物駅に出入りするセメントタキ・ホキの類を牽引して毎日数往復しているようですが、セメント列車がこれだけの頻度で運転されている路線は他に、秩父と同じく太平洋セメントが関わる三岐鉄道と、三岐からの直通列車が走る関西線ぐらいになってしまいましたので、今や非常に貴重なのではないかと思います (^^)。
 これら鉱石・貨物列車を牽引する秩父オリジナルELには、デキ100・200・300・500形といった形式がありますが、個人的に一番お気に入りなのは、製造年代が古く「私鉄版ミニEF15」という風情が漂うデキ100型ですね……。特に↑の画像はデキ100の中でも、岩手の松尾鉱山 (石油精製過程での脱硫技術の進展により昭和40年代に突如閉山となった,世界有数の硫黄鉱山) から引き取られてきたグループに属する車両で、角張った車体・ヒサシつきの正面窓・古典的な雰囲気の台車はまさにストレートにEF15を思い出させるものがあります (^^)。
 しかしそれにしても……昔と比べて鉱石・貨物列車が本当に減ってしまったなぁ……というのは否めない気持ちです。バブル崩壊・建築不況によるセメント需要の激減が大きく響いているからですが、「昔は鉱石列車だけでも30分間隔ぐらいで走っていたよなぁ……」「昔は影森~武州原谷間の区間運転の鉱石列車を古典電機・デキ1形が牽引して、あの今では草ボウボウの高架線を通って武州原谷の工場に入っていたよなぁ……ベルトコンベアに取って代わられてしまったのか……」「セメントタキ・ホキ以外にも膨大な数の有蓋車がつながっていたのに、車扱廃止の流れは非情だなぁ……」という思いが次から次へと頭をよぎります。
 特にこの日は、恐らく生産調整のため、鉱石列車が1往復運休してしまうという事態にも遭遇しました (T_T)。また、今後長期的に見ても、セメント需要の一層の低下や国内産石灰石・セメントのコスト高、さらには鉱石車・貨車の老朽化に伴い、ジリ貧の一途をたどっている……?という話もあるとかないとか……。
 しかしやはり、鉱石・貨物列車のない秩父なんて考えられませんので (^^;) これからも訪れるごとにその雄姿、その私鉄貨物王国らしさを見せてくれることを期待したいと思っています。

秩父も変化目前 (1) 三峰口に憩う3000系

2005-10-09 14:49:12 | 地方民鉄 (秩父)


 秩父鉄道は、山あり川あり田んぼありの長閑な沿線風景の中を元国鉄101・165系や都営三田線6000系、そして鉱石・セメント貨物列車が往来しているという、乗っても撮っても満足度が非常に高い路線でして、昨年12月にも当ブログでご紹介しました。現在の旅客車が80年代後半から90年代にかけて入線した結果、秩父オリジナル車や元小田急1800系が壊滅してしまったのはかえすがえすも残念なことでしたが (T_T)、今こうして昭和30~50年代の国鉄スターたちが元気に走っているのを目にしますと、やっぱり「あ~良いなぁ」と思ってしまいます (^^;)。
 特に、165系改め3000系は正面こそ改造されてしまいましたが、基本的に165系時代の雰囲気を保ったまま急行用として大事に使われており、以前乗ってみた際の走りっぷりは単線区間をゆく国鉄急行の味わいそのもの! (^^) 手の込んだ改造を経ているだけに、当分のまま安泰だろうと思っていたのでした……。
 しかし、やはり車齢の古さは如何ともしがたいのでしょうか、先月下旬西武101系が広瀬川原に回送され、3000系の置換用として大改造が始まったようです。そこで「これはまずい」と思いまして、久しぶりに山奥の終点・三峰口まで足を延ばし、3000系が留置線で昼寝をしているシーンをデジタルで記録して参りました。このシーンは数年前にポジフィルムで撮ったことがあるのですけど、改めてデジタル撮りしながら、引退目前となった165系残党をしみじみと眺めようか……と思ったわけです。
 個人的な次の課題は、朝晩中心の運行のためまだ撮っていない3000系走行シーンをきちんと記録することです (^^;)。