地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

松本駅ちょい撮り鉄 (2) E127系

2020-01-19 16:14:00 | JR発足後の車両


 長野県の県都長野と、長野県最大の都市松本は、かつて松本を県都としていた筑摩県が長野県に吸収されて以来何かと仲が悪いと申しますか、互いに対抗心を燃やす間柄であると側聞します。その結果、長野県南北分裂論が歴史上しばしば起こり、その都度互いに県歌「信濃の国」を歌って「やっぱ止め止め」と矛を収めたのだとか (県歌が県民アイデンティティと分かちがたく結びついているという点で、長野県は本邦の中でも相当特異な事例でしょう)。最初から県名を信濃県にしておけば良かったのにね、と思うのは私だけでしょうか。



 そんな二つの都会を結ぶ篠ノ井線は、長野県全体の統合にとって欠かせない大動脈であるわけですが、長野も松本もそれぞれが新幹線や「あずさ」で東京と結びついているためか、朝夕こそライナーや特急車使用の快速も運転されて混み合うものの、日中は「しなの」が速いことに加えて高速バスも走っているためか、普通・快速列車はE127系の2連がメインであるという……。しかも、それで全員着席出来てしまっているという……。かつては、長野〜松本の都市間輸送のため、165系に新幹線0系のシートを取り付けた急行「かもしか」(のち快速「みすず」に格下げ)も走っていたことを思えば、隔世の感と申しますか、幾許の寂寥感を禁じ得ないものがあります。そして、中坊か高坊の頃に18きっぷ旅をした際、篠ノ井線の普通列車が少なく、なけなしの急行料金と普通切符代をはたいて篠ノ井から松本間まで「かもしか」に乗った思い出がこみ上げてきたのでした(嗚呼、貧乏鉄小僧!)。

岩手乗物縦断 (7) 盛岡色701系@盛岡

2020-01-18 00:00:00 | JR発足後の車両


 奥州街道をひたすら歩いて、ついにやって参りました……東北本線の終点・盛岡に! 東京から盛岡まで、鉄道の延長は535.3km、旧街道は約140里=約560kmですので、中山道経由で日本橋から京都三条大橋まで歩く場合の534kmを少々上回り、巨大な岩手山にも出迎えられて、本当にはるばる来たぜ感が強いですね……。しかし、奥州街道は盛岡ではまだまだ終わらず、三厩までの800km超ですので、いやはやホント、昔の人はよくもまぁ遙々歩いたものです。
 というわけで、そんな感慨を抱きつつ、盛岡に着いた日の晩はまず駅ビル内のじゃじゃ麺屋「白龍」で特盛に挑んだのち(普通の特盛とは比較にならないほど凄まじい量ですのでオススメしません。笑)、階段の上がったり下がったりでパンパンな腹をこなすのを兼ねて、夜の駅撮りをしばし楽しみました。



 盛岡に至るまでの遙かなる旅で、すっかり701系萌えになってしまった私にとって、盛岡色の701系4連が出入りする情景は、これはこれで大満足であったことは言うまでもありません。しかし同時に……一抹の寂寥感が否めなかったのも事実です。意外と本数が多いIGR+花輪線の列車は、新幹線のすぐ下の撮りにくい頭端式ホームに移って久しく、本線らしく非常に堂々としたホームのJR側にIGR所属車が来るのは朝の1往復のみ。基本的には、たまに釜石線キハ100・110系列と金太郎が出入りするほかは、どんなに長くても4両編成な盛岡色701系を撮るしかないという……(山田線列車が発着する東側のホームは撮り鉄向きではないです)。基本、今のホームは新幹線盛岡開業時に整備されたものと思われますが、それ以後も「北斗星」や「はつかり」が発着し賑わっていたひとときもあったわけで、それが全て失われ、帰宅する人が三々五々階段を下りて停車中の2〜4連に吸い込まれて行くのみで、広大なホームは総じてひっそり閑としているのは、まさに新幹線時代の地方交通線と化した在来大幹線の現実なのかも知れません。
 ちなみに、「東北本線の終点・盛岡」という表現にも違和感を持たれる方が多いことでしょうが、それは自らの昭和脳を暴露するようなものでしょう。悲しいけど、これが現実なのよね、という初代『ガンダム』内の名言があったはず……。

京都駅出張鉄2020 (1) GV-E400甲種

2020-01-16 21:49:00 | 貨物列車 (甲種輸送)


 JREでは新津のキハ40系列を全廃とするべく、最新鋭GV-E400の本格増備に乗り出しているところですが、先日京都に出張したついでに約1時間ほど駅撮りした際、本当に偶然の極みですが、甲種輸送を撮影出来ました。いやホント、ただ単に「そろそろ中線に113系が入って来る頃かな?」と思いつつ階段を登ったところ、イキナリ大阪方からEF510がやって来まして、ぶら下がっていたのはGV-E400でしたのでビックリ仰天 (爆汗)。暗かったこともあり、大慌てで露出を合わせてズーム流ししました。



 そして、真横をGV-E400が通過して行くさなかに「そういえばケツ打ちした方が良いのか」と思い、やみくもに後追いでもズーム流ししまくったものの、とにかくまあ全ては突然でしたので、結果は傾きまくってメチャクチャ。↓に、後追いの結果をアップしましたが、思い切り傾いたのを回転させてトリミングしましたのでカツカツ……(滝汗)。
 何はともあれ、キハ40系列の大量製造から40年のあいだの技術やデザインの激変を反映するかのようなGV-E400によって、磐西・羽越の鈍行旅は全く違ったものになり、只見線にも余波が押し寄せようとしています。そんな過渡期を、遠く離れた京都にて、期せずして痛感するひとときとなりました。
 それにしても、関東で甲種が走れば、撮りやすそうな駅はヲタ殺到となりますが、京都駅のこの位置で撮影したのは私一人。しかも待ち時間ゼロ! こういう点でも、関西は本当に良いところです……。



松本駅ちょい撮り鉄 (1) E353系

2020-01-14 12:00:00 | JR発足後の車両


 中央線の特急がE353系に統一されて間もなく (?) 一周年。当初はE353系について「ロゴのデザインが中二病っぽい」と思ったり、初めて乗った車両のクーラーの効き具合が弱く暑かった(車掌に文句を言ったほど)ことから、「何かイマイチだな……」と思ったものです。また、E353系+スワローシステムに統一されたことで、足が遅く席上ランプもない185系の「はまかいじ」が消えてしまったことも、町田駅利用者としては文句タラタラ。しかし、乗り心地は351系と比べて確実に(というか、圧倒的に)良く、練りに練られた車両であることは否めません。 



 というわけでいつしか、特急は僅かな臨時を除いてほぼE353系しか来ない中央東線の現実に慣れていったものですが、先日E353系のグリーン車に初めて乗って(年老いた親を旅行に招待)松本まで往復したことで、逆にE353系に対し親しみすら湧いて来てしまいました。ヤバい……当たり前の話ですが、普通車と比べて圧倒的に静穏で快適過ぎる……。しかも八王子と松本の間の利用ですと200kmを越えませんので、指定席料金に僅かに(?)上乗せするだけでグリーン車に乗れてしまうような感覚があります。
 ううむ……当初はスルーしていたKATOのE353系模型に手を出してしまいそうでコワいです。乗って良い印象だと欲しくなる……鉄道模型趣味の最も恐るべき現象でしょうか。そういえば、IMONの新春安売りは明日までか……(爆)。




松本駅周辺をはるか眼下に望む美ヶ原が目的地。
なお、冬は雪と氷に覆われた極寒の地ですので、しかるべき冬山装備がないと、この画像は撮れません。寒くて死にます (マジです)。
(この画像は別サイトでも使用)


ミャンマーLRBEの最期 (齋藤幹雄様画像)

2020-01-13 13:05:00 | 頂き物画像


 嗚呼……御用済みとなったLRBEがまとめて朽ちてゆく・・・



 灼熱のミャンマーに生まれ、ミャンマーの土に還りゆく・・・



 LRBEだけの固定数両編成なんてのも見てみたかったものです。



 本当に多種多様な形態が存在していました・・・

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 年始早々の東南アジア鉄事情は、パクアン急行様をはじめジャカルタ方面から伝えられる電化区間延伸計画と、それに伴う横須賀・総武線E217系のインドネシア輸出説(もちろん2階建てサロ込み)という、何とも派手な打ち上げ花火の可能性からスタートした感がありますが、他にも周知の通り、ヤンゴン環状線改良をはじめとするミャンマー国鉄のリノベーション、バーンスー新駅完成やレッドライン開通を控えたタイ国鉄のイメチェン、タイやマレーシアからの車両譲渡によるカンボジア鉄道の本格復活への足音、ベトナムでの地下鉄建設続行などなど、本当に様々なプロジェクトが進行中です。しかし、その裏では消えて行く車両もあり……そんな光景をとらえた画像を、RP誌の未来の主筆 (?)・齋藤幹雄様から頂きました。
 ミャンマーの軍事政権時代、車両導入費や線路整備費に事欠くの中での苦肉の策として、日本のトラックの部品とやっつけボディを組み合わせて誕生したLRBEは、日本から輸出された中古気動車にとって代わられてしまいましたが、そこで活躍の場を失ったLRBEは各地の車庫で朽ちつつも、一時期タラウォー支線(ヤンゴン=ピィ本線のレッパダンから分岐しタラウォーに至る)水害後の部分運行再開に伴い、状態の良いLRBEがかき集められて最後の活躍をしていました。しかし、全線運転再開でヤンゴンからの直通客レによる運行に戻ると、自ずとLRBEは完全余剰車となり、レッパダン駅構内で朽ちる一方となっているとのことです。
 今から約7年前に初訪緬した際に胸を躍らせたLRBEが、こうして熱帯の蔓草にまみれて朽ち果てて行くのは残念のひとことですが、これもまた仏教国ミャンマーらしく、諸行無常をしみじみと感じさせるものです。
 しかし……最後の最後まで、LRBEはピリリとした刺激を与えてくれることを忘れていないかのようです。何と……バゴーで見たLRBE25とは全然違う車両がLRBE25を名乗っている! (笑)
 齋藤様によりますと、LRBEは改番に次ぐ改番を重ねたようですが、まさか自分がバゴーで見た車両もその例に漏れなかったということで……(^^;;)。
 LRBE全車の形態・沿革と改番の歴史をたどる本が、たとえばRM LIBRARYか何かで出ないかなぁ〜と思うのですが(または、コミケで売られる薄い本でもOK)、まず永遠に無理でしょうか。そんな謎感がどこまでも付きまとうのも、このLRBEの魅力であったかと思います。
 斎藤様、どうもありがとうございました! さよなら、LRBE!