「譙周伝」に曰く。
三国志の著者である陳寿(ちんじゅ)は、師にあたる譙周(しょうしゅう)を訪ねた。
譙周は「孔子は72歳、劉向と揚雄(前漢の大学者)は71歳で没した。私も70を過ぎたことだし、できれば彼らと同じ年齢で死にたいものだ。おそらく今年は越えられないから、君に会うのも最後だろう」と言った。
はたして譙周は年内に亡くなった。彼が予知術も心得ていたことから、予知でそのことを知り、孔子らの年齢にかこつけてそれを伝えてくれたのだろうと、陳寿は考えた。
三国志内に陳寿本人が出てきた例はほとんどなく、これは師への敬愛の現れだという。
三国志の著者である陳寿(ちんじゅ)は、師にあたる譙周(しょうしゅう)を訪ねた。
譙周は「孔子は72歳、劉向と揚雄(前漢の大学者)は71歳で没した。私も70を過ぎたことだし、できれば彼らと同じ年齢で死にたいものだ。おそらく今年は越えられないから、君に会うのも最後だろう」と言った。
はたして譙周は年内に亡くなった。彼が予知術も心得ていたことから、予知でそのことを知り、孔子らの年齢にかこつけてそれを伝えてくれたのだろうと、陳寿は考えた。
三国志内に陳寿本人が出てきた例はほとんどなく、これは師への敬愛の現れだという。