小金沢ライブラリー

ミステリ感想以外はサイトへ移行しました

オカルト三国志  八絶 風気の呉範 5

2020年08月08日 | オカルト三国志
「呉録」に曰く。
呉範(ごはん)は風気で自分の命日を知ると、孫権に「あなたはこの日に軍師を失うでしょう」と言った。
孫権が「俺には軍師はいない」と不思議がると、呉範は「あなたが軍を動かす時、必ず私に相談なさいました。つまり私はあなたの軍師なのです」と答えた。

予言通りの日に呉範は病没した。
長男には先立たれ、他の子も幼く、風気の術を受け継いだ者はいなかった。
孫権はそれを惜しみ呉範のような占いの名手を探し、見つかれば1千戸と爵位を与えようと募ったが、見つからなかったという。
コメント

オカルト三国志  八絶 風気の呉範 4

2020年07月25日 | オカルト三国志
「呉範伝」に曰く。
魏と呉が同盟すると、呉範(ごはん)は「風気を見ると魏は表面上は友好的ですが、実際は企みを抱いています。油断なさらないでください」と予言した。
さらに222年、蜀の劉備が関羽の仇討ちのため呉を攻めた時、呉範は「後に蜀と呉は親しくなります」と言った。
後に2つの予言は的中した。

孫権は風気の術の秘訣を知ろうと、しばしば呉範を自ら訪ねたが、呉範は自分が重用されているのは風気の術のおかげで、秘訣を知られれば捨てられるだろうと考え、決して教えなかった。そのため孫権は内心では恨んでいた。

孫権がまだ王位についていなかった頃、呉範は「王者の気があり、亥年から子年の間に大きな慶事があるでしょう」と予言した。
孫権は「もし的中したらあなたに爵位を与えよう」と言った。
その後、孫権が呉王に即位すると、呉範は的中したから爵位をいただきたいと言った。
孫権は側近に命じて、爵位を示す印鑑に付ける飾り紐を与えようとした。呉範は飾り紐だけで済まそうとしていると察して固辞した。

その後、呉範に爵位を与えることが決まったが、孫権は風気の秘訣を教えないことに腹を立てていたため、直前に取り消させたという。
コメント

オカルト三国志  八絶 風気の呉範 3

2020年07月21日 | オカルト三国志
「呉範伝」に曰く。
219年、孫権は同盟する関羽を裏切り、奇襲する作戦を立てたが、誰もが反対した。しかし呉範(ごはん)は賛成し、決行すると大勝利を得た。
追い詰められた関羽は、降伏の使者を送ってきた。呉範は「逃亡するという気が現れており、油断させて逃げるつもりでしょう」と占った。
はたして関羽は逃亡し、防衛線を突破した。
呉範は「逃げ切れません。明日の正午には捕まります」と言った。孫権が日時計と水時計を用意させ、正午を指したが関羽は捕まらなかった。
呉範は「まだ正確には正午になっていません」と慌てず、しばらくして風がカーテンを揺らすと「捕まりました」と言った。
間もなく、遠くからバンザイの声が聞こえ、関羽捕縛の報告が届けられたという。
コメント

オカルト三国志  八絶 風気の呉範 2

2020年07月20日 | オカルト三国志
「呉範伝」に曰く。
212年、呉範(ごはん)は「2年後に劉備が益州を制圧します」と予言した。
その後、益州を攻める劉備と会ってきた呂岱(りょたい)は「劉備軍は苦戦してバラバラになり、死者も半数近く出ているから失敗するでしょう」と報告した。
孫権はこれを伝え呉範を難詰したが「私は天道について申し上げましたが、呂岱が見てきたのは人事に過ぎません」と答えた。
はたして214年、劉備は益州を制圧したという。
コメント

オカルト三国志  八絶 風気の呉範 1

2020年07月15日 | オカルト三国志
「呉範伝」に曰く。
呉の呉範(ごはん)は風気(風占い)の名手で、様々な技を究めた8人の達人「八絶」の一人に数えられた。

207年、孫権が父の仇の黄祖(こうそ)を討伐しようとすると、呉範は「来年になれば黄祖の主君の劉表(りゅうひょう)が死に滅亡します」と反対した。
孫権は構わず討伐したが敗北した。
翌年、再び討伐に向かうと呉範も「必ず勝てるでしょう」と賛成した。
戦いには勝ったが黄祖は夜間に逃走し、孫権は取り逃がしてしまうのではと心配した。すると呉範は「遠くには行っていません。生け捕りにできます」と言い、的中した。
年内には劉表も死に、領地は曹操・孫権・劉備によって分割されたという。
コメント

オカルト三国志  諸葛恪の死ぬ日 3

2020年07月11日 | オカルト三国志
「捜神記」に曰く。
諸葛恪(しょかつかく)が暗殺された時、彼の妻は何も知らず家にいた。
突然、近くにいた召使いの女から血の匂いがし出したので夫人は不思議がった。召使いはそんな匂いはしないと言うが、ますます血の匂いは酷くなっていく。
夫人は「お前の目がぎょろぎょろしていて、いつもと違うがどうしたのか」とさらに問いただした。
すると召使いの女は棟木に頭が届くほど飛び上がると、腕まくりをし歯をぎりぎりと噛み締めながら「諸葛恪様が孫峻(そんしゅん)に殺された」と言った。
間もなく、夫人や家族を逮捕するため役人が現れたという。
コメント

オカルト三国志  諸葛恪の死ぬ日 2

2020年07月10日 | オカルト三国志
「諸葛恪伝」に曰く。
諸葛恪(しょかつかく)が暗殺者の待つ酒宴に向かおうとした日、家で奇妙な出来事が相次いだ。
それより前、淮南へ遠征した時にも奇妙なことがあった。

諸葛恪の勤める役所の中に、喪服の人が入り込んだ。なぜ入ったのか問いただすと「自分でも知らぬうちに入っていた」と言う。
しかも役所の内外にも警備員がいたが、誰も喪服の人が入るところを見ておらず、不思議がられた。

諸葛恪が遠征に出ると、今度は役所の屋根の梁が真ん中から折れた。
遠征中には諸葛恪の船の周りに白い虹が現れ、帰還して孫権の墓に詣でた時も、彼の馬車に白い虹がまとわりついた。

そして諸葛恪は酒宴で暗殺されたという。
コメント

オカルト三国志  諸葛恪の死ぬ日 1

2020年07月09日 | オカルト三国志
「諸葛恪伝」に曰く。
呉の孫峻(そんしゅん)は、独裁を振るう諸葛恪(しょかつかく)の暗殺を企み、酒宴に招いた。
その前夜、諸葛恪は心が落ち着かず胸騒ぎを覚え一睡もできなかった。
起床して顔を洗おうとすると水が生臭く、着替えの衣服も臭かった。水と服を取り替えさせたが匂いは変わらなかった。
酒宴に向かおうとすると、今度は犬が着物をくわえて離さない。諸葛恪は「犬は俺を行かせたくないのか」と不吉に思い、部屋に戻って座った。しばらくして立ち上がると、また犬が着物をくわえた。
酒宴は皇帝への挨拶を兼ねており、行かないわけにはいかず、従者に命じて犬を追い払わせて、ようやく家を出た。
コメント

オカルト三国志  禁の術

2020年06月28日 | オカルト三国志
「泡朴子」に曰く。
呉の賀斉(がせい)が反乱軍を討伐した時、反乱軍に禁の術(物の力の発動を封じる呪術)の使い手がおり、呉軍は剣を抜けず、矢も跳ね返されてしまい苦戦した。
賀斉はじっくり考えると「禁の術は金属なら刃のあるものを、虫なら毒のあるものだけを封じ、刃のない金属や毒のない虫は封じられないと聞く。ならば刃のない武器を使えばよい」と言い、木の棍棒を作らせて5千人の精鋭に持たせた。
はたして禁の術は棍棒を封じられず、禁の術を頼みに油断していた反乱軍は蹴散らされたという。
コメント

オカルト三国志  カササギの予兆

2020年06月25日 | オカルト三国志
「呉書」に曰く。
孫和(そんか)は後継者争いを引き起こした罪で長沙へと追放された。
船で向かう途中、カササギ(鵲)が帆柱に巣を作った。側近たちは「孫和様の立場が不安定で、平穏が長く続かない予兆ではないか」と危ぶんだ。
一方で「鵲巣」という詩に「徳行を積み功を重ねて、爵位を迎えとる」とあることから、孫和は徳も功もあり、長沙への追放も名目上は爵位を与えられたのだから、祝福されているのだと言う者もいた。

だが翌年、孫和は謀叛の嫌疑をかけられ、自害を命じられたという。
コメント