そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

パンデミックが教てくれた食料自給の重要性

2020-05-06 | 農協 食料自給率

平時に食料自給の重要性を説いても、経済性=価格によってかき消されてしまう。安ければ市場を独占する権利があり、実際に人類にとって最も重要な食べ物の質や量など問われることがない。しかしそれは平時の事であって、戦争などの国家間の対立や今回のようなパンデミックが起きると、国家は真っ先に食料を保護するのは当然である。
日本人が職業を紹介する時に、「〇〇で食べている」と表現する。食料は人が生きていくには欠かすことの出来ないものである。食べ物は必要量の三割を切って生きてはいけないし、倍も食べることはできない。毎日欠かすこともできない。更に貯蔵することも輸送もままならない。食料は地産地消が本来の姿である。こうして人類は、世界各地に固有で地域的な民族や言葉や宗教などの文化を育み、培ってきた。言い換えれば各地の食料を求めて人類は世界に散らばったともいえる。
これを壊し解りにくくしたのが長期貯蔵が可能な穀物であり、輸送技術の発達と金融に特化したグローバル思想である。食料を商品化したことと蓄えることで富として蓄えられるようになった。
しかし人類の生物としての本質が変わったわけではない。一定の必要量を満たさなければならない。食料の本質は、お金があって安定した社会では見えてこないが、戦争や今回のパンデミックになれば戦略物質としての本質が露わになる。

上の図は東京大学の鈴木宣弘氏教授によるものである。食料を輸出する多くの国が主要食糧の輸出規制に踏み切っている。食料の輸出規制は国家がパンデミックに真っ先に取り組むことである。現在食料自給率37%と先進国では世界悪国家になっている食糧依存国家日本は、こうした食料ナショナリズムが台頭してくればまっ先に犠牲になる。
安全保障を軍事力でしか語らない安倍晋三は、パンデミック対策はオロオロ決断一つできず容易に国内にウイルスを招き入れてしまったが、食料自給に無関心であるが、これこそが真の安全保障なのでる。その中でも食糧の確保は普段に起き、量だけでなく安全性も保障されなくてはならない。
TPPが解かれ、ホルモン漬けのアメリカで消費が伸び悩んでいる牛肉が大量に輸入されている。牛肉価格は暴落して畜産農家は大量に離農するであろう。結果的に、日本人は、100%ホルモン処理された発がん性の高い牛肉を選択したことになる。こうしたことから国民を守る事こそが、真の安全保障である。
パンデミックは食糧の自給の必要性を促している。政権の座にいるものはそのことに全く気付くことなく、戦闘機や使い物にならないミサイル迎撃基地を建設し、西南諸島をミサイル基地に変え、アメリカの軍事産業に貢献するばかりである。
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攻める農業とはお金の問題であって、食料の問題ではない

2018-09-05 | 農協 食料自給率

この表は日本農業新聞が発表したものである。今年の産物の輸出額は前年同期に比べ、344億円も増え2628億円にも達したと発表された。しかしその実態は極めて恣意的に操作されたものと言える。
その一つが、原料を輸入に頼っているという製品を丸々あたかも日本で生産されたように扱っていることである。このことは、日本農業新聞も取り上げ票の棒グラフを赤くして強調している。白抜きの原料はほとんど日本産というのも疑問が残るものがある。例えば牛肉であるが、多分輸入されている牛肉の多くは和牛肉であろうが、このカロリーの7割は輸入穀物である。味噌醤油やうどんにそば、インスタントラーメンなど、原料のほとんどを海外に依存していて、国産品と言えるものではない。

そしてさらに問題なのが、到底農産物として扱いうのはおかしな物まで多く含まれているということである。メントール(22億円)は全くの工業製品である。農産物として扱われていたことの業者も驚いているとのことであるが、原料もほとんど輸入されたいて日本の農家の収入には全く関係のないものである。その他、キャンディー類(36億円)、チョコレート菓子(34億円)、インスタントコーヒー(12億円)など、どうして国産品と言えるのか?少なくとも日本の農家の収入とは全く関係ない話である。
国内生産で、日本の農家の収入につながるのは、酒、お茶、リンゴ、イチゴ、米と限られたものしかない。
多分官僚か恣意的に、政策に沿った数字を示すために行ったことであろうというものである。攻める農業として輸出を奨励し、農家収入を増やすとする、アベノミクスの一環としてこのようなでたらめな数字が、いたるところで使われているに違いない。
現場では規模拡大すれば、あるいは嘘でも規模拡大しますと言えば、湯水のごとく金が流れてくる。どんな農業も、規模拡大すれば農業としての本態を失い、食料生産としての安全性も確保できなければ、環境汚染に必ずつながる。何よりも人がいなくなる。

農家は収支による判断が優先されるのは当然である。しかし、国家として食糧自給を論じるときには、カロリー計算で見なければならない。日本は現在過去最低の38%まで落ち込んでいる。地方創成は簡単なことである。一次産業を取り戻せばよいことである。
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農協改革は農業切り捨てへの足掛かりになる

2015-02-10 | 農協 食料自給率
今回自民党と全中(全国農業協同組合中央会)がよく解らない妥協をした。全中を法人化し、農協監査を一般計理士でもできるようにするというのであるが、現状が大きく変わるものはないと思われる。
農協は現状を守ったというし、自民党は農協改革を行ったという、よく解らないがよくある玉虫色の決着である。

農業協同組合(JA)の最大の問題は、私たちの地域のように良くも悪くも農家の経済とともにある農協と、既に農業が衰退し農家のほとんどいなくなった農協が同じ制度のもとで運営されていることである。
農協が金融業務で生き延びている指摘は外れていない。都会化された地域の農協は、貯蓄と共済(保険)で息を繋いでいる。そうした地域でも少なくなった農家は営々と生き延びている。農協はこうした地域の農家には欠かすことが出来ない存在である。
しかし、農協がほとんど府県別単位で合併をして巨大化することになり、既に小さな農家は切り捨てられつつある。農協が生き延びていくためには、金融事業に依存するのは、現行制度では当然の結果と言える。効率だけなら金融だけを考えるだけなら大きくするのも当然である。
その指摘が顧客を取り合う側からなら問題であろう。農協改革ではなく、銀行などから市場を拓けと言っていることになる。
農村地域の農協が、肥料や飼料や農機具を高く販売しているという指摘もある。これも一面正しいが、農協が価格を設定すれば、業者は僅かにその下を狙った価格を示してくる。しかも業者は個別販売のことが多く、価格設定も農家ごとでまちまちである。
農協は公的存在であるため、そのようなことが出来るわけもない。競争が起きないという指摘はあるが、農協が価格指標になっている現実もある。競争する側は、農協の存在は都合の良い存在である。

現状でも家族農業あるいは小農は、日本では非効率と名指しされている。昨年は国連は『家族農業年』と世界に運動を促した。家族農業は食料を安定供給させ環境を保護し飢餓をなくし、地域紛争を減らすと訴えていた。アベノミクスに走る日本は、真逆の方向に舵を切っている。
農協改革もその中の流れと見ることが出来る。徒に巨大化し本来の農協のあるべき姿を失くしてきていることこそ問題である。玉虫色とはいえ、今回の改革がさらなる農協の農業離れに拍車をかけることになるなら、食料自給率など全く考えていないことの証になる。
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どう出るか農協

2009-09-23 | 農協 食料自給率

労働組合畑の赤松広隆氏が農水大臣になった。鳩山新内閣で最も弱いところでないかと思われる。記者会見の様子を見ても、かなりちぐはぐな発言が見られる。今回の総選挙で、西川公也などの自民党の農政通の多くが落選した。ほとんどいなくなったと言ってよい。

旧与党の自民党の農政通うとは、農協と仲の良いことであると言える。多くの農業の実態を把握しているし、実態にも明るい。そのために、農協とは政策の実行に当たっては表裏の関係にあった。民主党の候補が今一つ頼りないことが幸いしたのであろう、北海道で唯一勝利した当地でも農協がかなり動いた。しかし、その農協の幹部が戸惑っている。

民主党は農協の支援を得ていない。農協外しの政権獲得である。農協は陳情先がないのである。基本的に民主党は、党として農協の陳情を受けないようである。この際、何かと批判の55あった農協も、これまでの自民党一色の体制を考え直せばいい。何か補助事業があると必ず、農 協が窓口になる。農家の要望も農協が取りまとめて、政権と話し合う構図であった。

JA中央会は困惑の中にある。暗中模索とのことである。例えば、減反政策にしても、農家の取りまとめを地域として行い、その見返りとして様々な転作補助金を引き出していた。そうした関係が、米価を下げ生産意欲を削ぐ結果になっているのである。

日本の農政の特徴は複雑に入り組んだ補助事業である。民主党はこれらを気品的に見直すようである。代わって導入するのが戸別補償制度である。農家生産額と市場価格との差を補償するのである。

民主党は、戸別補償を農協を通さずにやるようである。子育て支援同様、一律にやることを考えているようであるが、農家の場合可処分所得が一戸で5千万円を超す農家も出ているが、彼らにも支払うのであろうか?高額所得者を政策支援するのは、政治ではない。そうした実態把握は農協の得意とするところであるが、民主党は取り込むことができるのであろうか。労組出身の赤松大臣の手腕の見せ所である。

戦後農政の秩序としてないり立っていた、自民党と農協の関係が危うくなっている。自民党がいなくなったも同然である。それでも自民党に頼るのであろうか。いずれにせよ今回の、政権交代で最も困惑しているのは、農協であると言える。

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そりゃ、農協失くすことになるだろ

2006-07-25 | 農協 食料自給率

Syari_1農業が、経済主導のこの国の中で邪魔者になって久しい。投資と販売実績を積み重ねれば、順調にどこまでも伸びる産業と、農業は肩を並べることができない。せいぜい、肥培管理を良くしても10%程度しか伸びない。しかも、そんなことは持続はしない。単年度で元の木阿弥になってしまう。それでいながら、農業は他の産業と異なりなくてはならない産業である。人は食べずに生きることができない。先進国の多くは、2、3次産業を育成する傍らでは、農業を賃金の安い国から輸入しようと試みるのである。中国を見るとそのことが良くわかる。国内の賃金格差としてそれが露呈している。経済発展から取り残された農業は、農薬をいっぱい使うのは当然の成り行きである。日本はこの国から、大量の野菜など農産物を輸入している。

後に小泉内閣に招聘される、竹中何とか大臣の言である。経済には不確実要素があるというのである。これが、経済をいっそう困難にしているとする主張である。その不確実要素とは、思い込みや感情や宗教などであり経済学が突き当たるところだというのである。これはまったくばかげた話で、本末転倒である。人を幸せにするのが、そうした感情の流れである。経済学とはそうしたことをおもねることのない、人を不幸にする学問といえる。

今農協が風前の灯になっている。農協自体が、金融などで組織の温存をしてきた経緯もあり、農協本来のあり方を問われることも必要ではあるが、農協の崩壊はこの国の農業と地域の存続を危うくすることになる

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羅臼港

春誓い羅臼港