一昨日は、旧暦の正月である。日本は急激な近代化の波の中で、太陰暦をすっかり忘れ去ってしまっている。中国をはじめとする、アジアの各国は正月を祝っている。明治の文明開化で、合理的な太陽暦に暦を変えてから、月の満ち欠けに無関心になったように見える。
とりわけ、都会では明るくなったことに加えて、宵っ張りの生活が主体にな って、月を観察したり星を見たりすることがなくなってきたように思える。
おかげで、金色夜叉の「今月今夜のこの月を曇らせる」たのは、1月15日であるがこの日が満月である可能性は、29分の1である。観光業者は満月とはお構いなしに、女を蹴飛ばす書生のセレモニーをこの日にやっている。
赤穂浪士の討ち入りも12月14日となっているが、こんな時期に東京に雪が降ることが珍しい。実際には、1月末か2月にはいる辺りであろう。これなら、雪の中のあだ討ちも理解できる。
七夕はもっと悲惨な現状にある。蒸し暑い真夏の夜のひと時、上弦の七日月を舟に見立て、天の川をゆっくりよぎる様を、年に一度の乙姫と牽牛の逢瀬のロマンとして、古人は大空に描き涼んだのである。月の満ち欠けとは無関係に、七夕の夜をドンチャン騒ぎする現代人の貧相な姿は、先人に比してなんとも哀れとも見える。
人も牛も生理や分娩はどこかで月の動きに連動している。ヒトの妊娠期間の十月十日は陰暦の数え月で算出された分かり易い数字である。
時には、夜空の星そらに月の満ち欠けで陰暦を体感するのも良いものである。