そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

死刑囚が100人いるそうな

2007-02-26 | 個人情報

Photo_83 日本ほど安全な国はない。犯罪のほとんどが検挙され、日本は安全を無料のものだと思っている、と言われた安全神話はは遠い昔のことになってしまったようである。

犯罪白書を見ると、平成になる頃から検挙率が極端に落ちている。昨年は、僅かに25%しか犯人を挙げていない。

先日宝石店を襲って、火を放ち10人以上殺害した犯人に死刑が宣告され、拘留死刑囚が100人になったそうである。日本はいつからこんな犯罪国家になったのであろうか。

殺人事件は昨年は1,392件も発生している。検挙されたのは1,345件となっている。昨年に限ると、50人以上(複数犯がいるため)もの殺人者を検挙できないで、野放しされていることになる。

重大事件の被害者が、テレビに登場して犯人に死刑を涙ながら訴える映像が珍しくなく放映される。加害者に刑を重くすることは、悲しみの行き場をなくした被害者の死刑を望む気持ちはわからなくもない。刑は抑止力になり社会の安全のために必要ではあるが、本当の意味での抑止力は犯罪者を洩れなく検挙することである。

日本に安全神話があった時代は、「悪いことをすると、お巡りさんにつかまるよ」と幼い頃から交番に信頼をこめて、親しんだ日本社会であったからである。人間関係が希薄になり、犯罪動機が軽薄になったり多様化したりで、検挙する側も大変であることは理解できる一方で、無理な検挙も目に付く。鹿児島の小さな集落で、選挙違反で多数の人間を検挙したこともいい例である。

本当の意味での安全な社会は、量刑を重くしたり、簡単に人の命を奪う死刑を増やしたりして抑止力を上げることではなくい。人権の保護や権利の保障や貧困や格差をなくすことである。

国にとっての安全となると、武力のことばかりが取り沙汰されるが、食料の安全を担保する事も極めて重要である。食料の安全(質ばかりでなく量的にも)をこの国は忘れている。そうした意味でもこの国は安全でなくなりつつある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港