公共事業で最もおかしいのは、事業が一旦承認されるといかなる障害もものともせずに突き進むことである。特に橋とトンネルは、何らかの障害事項が起きると、事業の継続が何よりも優先される。土建屋は障害があるほうが、儲かる仕組みになっている。
さらに特別なのはダムである。環境だとか農業だとか、挙句の果てには人命のためであるとか、際限なく理由を引き出してくる。その典型が、八ッ場ダムである。
北海道にはさらに可笑しく、失笑を買うようなダムがある。富良野の東郷ダムである。
東郷ダムは1977年に63億円の事業として始まった。この小さなダムは、1993年に6倍の379億円の事業になって工事は終了している。
このダムは工事終了したにもかかわらず、完成はしていないのである。水が貯まらないのである。漏水が見つかったのである。貯水430万トンの予定が、わずか18万トンしか貯まらないのである。96%もの水が少ないのである。
国営事業は原則国が80%、地方自治体が15%、受益者が5%の負担となる。ダム工事は終わっているのだから、この5%を農家が払えというのである。
さらに、年間の維持管理費が950万かかる。19年前に完了した事業の負担を、300戸の農民がやむなく認めた。
さらに漏水事業にかかる、46億円もの金をどこが負担するかはまだ決まっていないというのである。一度も水を貯めていないダムの負担を農民が受け入れたのは、開発局が持つ治水権がある。認めないと水が一滴ももらえないかもしれないのであろうか。
日本の山奥にはこうした、農業用ダムが無数にある。東郷ダムに関する農家戸数の変遷はわからないが、30年前の半数になっているのではないか。
農民が減少し、食糧自給率が下がる中、農業予算でこのような稚拙な事業が、数限りなく行われている。諫早湾の干拓事業も同じである。
土建屋とその周辺に天下る人たちのための事業は、こうした失態を誰も責任を負わない。むしろ事業が増えた分、儲かるシステムになっているのである。