吉本隆明(私たちはリュウメイと呼んでいた)が亡くなった。吉本は、戦後最も高揚した運動であった60年安保闘争が、敗北した空虚な時代を埋める存在であった。
吉本は、経済学者でもなく活動家でもなく、さりとて哲学者でもなかった。当初は詩人と自称していたが、文芸評論家が妥当であったかもしれない。この中途半端な存在が、彼の存在の本質といえなくもない。
日本共産党が、レッドパージで大きく勢力を削ぎ、60年安保で反体制から非体制へと変わったことも、大きな要因であった。吉本は、運動ではなく思想でこれを埋めようとした。
吉本の国家論である「共同幻想論」は、当時としては新鮮な感覚を与えてくれた。国家を暴力装置としたレーニンや、上部構造によって支配されるとしたマルクス思想の間を埋めるものであった。
吉本は、60年安保の敗北がなければ生まれなかった思想家である。吉本は混乱の時代を解釈したに過ぎない。或いは、その後の存在としては、時代への上品な意味づけには長けた人物であったといえよう。
しかし、安保後は硬質は文章、広がりのある思想を披歴することはなくなってきた。とりわけ、反核に反対したりオーム真理教を擁護する逸脱を繰り返し、現実から遊離する存在になっていった。
晩年の講演を、NHKで映像で見る機会が数年前にあったが、失望するには十分な内容であった。
吉本隆明は、60年安保が生み出した幻想思想家であったと言いえる。