昨日8月15日は終戦の日ではない。正確にはポツダム宣言を受け入れた日(8月14日)の翌日に、国民にそれを昭和天皇が「耐えがたきを・・・ 耐え」と、正午に国民にラジオで知らせた日である。
中国や台湾それに朝鮮などは、その日にすべてが終わっているから終戦の日でも構わない。ポツダム宣言した連合国側の国だからである。韓国は8月15日を「光復節」として、北朝鮮は「祖国解放記念日」としてそれぞれ日本からの解放された日と祝っている。このことは2年前から書いている。
多くの連合国各国は、東京湾のミズリー号で降伏文書に調印した日9月2日を、対日勝戦記念日(Victory over Japan Day)と呼んでいる。ソビエトなどは翌日を戦勝記念日としている。ドイツは5月8日に降伏文書に調印しているので、日本が降伏した日が第二次世界大戦の終結した日と言える。
一方、老獪で狡猾なスターリンの支配するソビエトは、ベルリン郊外のポツダムに各国を招聘し会議を重ね、日本に全面降伏の宣言をさせた。ソビエトは日本との不可侵条約がまだ有効なので、名を連ねていない。もっとも効果的な日を選んで、8月9日(時差の関係でソビエトは8日にしている)にソビエトは日本に条約の破棄と宣戦戦線布告をしたのである。つまりソビエトは、ポツダム宣言に名を連ねていない戦勝国なのである。スターリンは、9月5日まで千島列島に兵を進めた理由がここにある。
ソビエトは9月5日に色丹島まで来ている。歯舞・色丹島は勢いで来たのかもしれないが、この二島は戦後略奪したと言える。が、それ以北の千島列島を戦利地域とする主張には根拠がある。冷戦下の中国は社会主義の宗主国ソビエトの意向に沿って、9月3日を戦勝記念日と変えている。
日本の官僚が、国体の護持に執着した結果、8月15日を終戦の日=敗戦の日にした。ソビエトには敗戦の宣告もしておらず、樺太や中国や東南アジア各国に残る軍人たちに武器の廃棄を命令した。樺太や千島では戦禍が続きながら軍人には、戦闘行為の停止を命じたのである。日本は対ソビエトの侵攻を念頭にしていなかった。樺太と千島へのソビエトの侵攻は官僚の失態である。
8月15日を終戦の日としてしてしまった日本の官僚は、その尻拭いとして北方領土の返還を念仏のように唱えるしかないのである。更にその6年後の、サンフランシスコ平和条約(因みにソビエトなどは外れてはいる)でようやく日本は国際社会に復帰し、正式に終戦が確定したと言える。
日本は戦争の経過もその後の検証も、そして責任問題なども曖昧なままで戦争を終結させている。そのため、戦争に加担したA級戦犯の岸信介のような”妖怪”が平然と再度政権の座に就き、その孫が戦争賛歌を掲げて再軍備に走るのである。