小学生の、ピュアーな平和への想いが素晴らしい。
「戦争は友達や兄弟げんかと同じだ。人を傷つけてお互いが嫌な気持ちになる・・・たくさんの人が悲しみ、つらい思いをした戦争を忘れてはいけない。・・・相手を倒す方法ではなく、平和に解決する方法を考えればいいのに。・・・」
昨年あるテレビ番組で、ネパールの小学生に日本人レポーターが、「ネパールにイジメはないの?」と聞いていた。「他人を悲しくさせて、その人は悲しくないのか」と、その少年はレポーターに問い返していた。レポーターは黙したが、戦争も同じである。国家を利用して、権力者や軍事産業が、対立することを奨励する。
平和とは戦争をしていない状態だという説明する学者や政治家がいるが、それは内に戦争をはらんでいる不戦状態ともいえる。
平和とはお互いを憎まない状態でいることである。兵器を構え、兵士を揃え、ましてや敵基地攻撃能力を持つ事などではない。
敵より強くなることで訪れる一時的な不戦状態が、平和なのではない。食料を放棄し、貧困層を大量に生み出し、市場の数割高額な兵器を大量にアメリカから輸入することをとっても、軍事増強が愚かな行為といえる。
辺野古基地建設がいい例である。30年前の計画の軍事施設が、を抱えながらも20年後に完成しそうである。2兆円ともいわれる資金を投じても、日進月歩の技術について行けるわけなく、使いものにならない施設になる。半世紀前の古色蒼然とした軍事施設は、それこそ簡単に敵基地を知らせるようなものである。
谷本君の言うように話し合うことこそが第一なのである。