また、立松和平が盗作をやった。「二荒」という作品で、何処かの自治体職員の文章をパクッたようである。この男、前にも「光の雨」という作品で、盗作をやっている。ばれたのは、二回目で ある。
この男の盗作は、文章の言い回しなどでなく、ほとんど全文をデテールにいたるまで、パクるのである。文学者としての姿勢の問題ではない。文学者としての資質の問題である。
前のたまたまばれた、盗作品は五年後に再出版されている。映画にもなっている。今度も、書き直しますなどと言っているようである。周りが、問題作として騒ぐので、頭に乗るのである。無視すべきである。
この男は、東北訛りの朴訥とした話し方が独特で、傍目には「とても良い田舎インテリ」に見えるのだろう。この男はとても良い人とは思えない。
この男は、あるテレビ番組で神秘の泉といわれている所に、潜ったのである。「いやー、素晴らしいですね」とかなんとか言っていた。田舎の小さな役場職員は、早速町の名所に仕立て上げた。何しろ、全国放送で有名な、作家先生が宣伝してくれたのである。田舎町がほっておくはずがない。
この神秘の泉は、おかげで有名になり、道路を取り付けて拡幅工事をやって、いっぱい人が来るようになった。今では、この山奥の泉から流れた川には、新興住宅地のような土砂が、道路工事の痕から流れている。
あれほど奇麗だった、清流は入り口辺りは土砂の堆積がに余るほどになっている。この男の後始末を、山奥に小さな川が背負っているのである。
テレビの側がやらせたのか、彼が望んだのかは知らないが、田舎は何か町の目玉になるものをいつも探している。このような有名人が動くとどのようになるのか、考えるとよい。立松和平にはその能力も、姿勢もない。
見た目やゆっくりとした訥弁に騙されるではない。立松和平は、学生運動も市民運動も中途半端で何もできず、世界を放浪した宙ぶらりんの男である。文学者としても、写真家としても二流以下のパクリ屋のこの男を評価するべきではない。
なぜ仏教に興味持ったのか関心があります。同世代の作家がなくなるのがさびしいです。すべてのことに中途半端かもしれませんが、もっと生きてほしかったです。合掌
超低評価ですけどね
コメントありがとうございます。
遠雷以外は駄作だと思います。全部読んでいないので、全体を評論家のように評論はできませんが、同世代の人間として彼が行った数々の、額世運動周辺の散策した行為は容認できません。
でもこの程度だと思えばいいのですが、やはり彼のだましのテクニックや知床半島に作った山小屋を見ていると、受け入れられることができません。
私の狭量さもあるでしょうが、誰もが騙されていたのです。
この記事を書いた時には生きていましたが、今は何も言うつもりはありません。
記事に書いた、泉は観光客で汚れているのですが、それも仕方ないことかもしれません。
あなたの文章は確かに正しいのかもしれませんが、
あなたの頭の中だけが世の中で、それ以外は認めない
と言うか存在しないという感じを受けます。
私は立松和平さんを本でしか知りませんが、
自分の想像を超えたものも認めて行ける人だと思いますが。
考えとは突き詰めると意外とそうでもない事も多いですよ。
まったく同感です。
でも、どうして農業関係のマスコミは彼を持ち上げるのでしょうか?