そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

憲法は9条ばかりでない

2007-05-03 | 安倍晋三

日本人は、憲法第3章で保障された人権や権利あるいは健康で暮らせる最低生活を保障されている。いわゆる、人権条項は大きな意味を持っている。

非日常的な戦争放棄をうたった9条よりも、日常的に直面する法の下の平等や表現や信仰の自由あるいは人権の規定の方がよほど大きな意味を持っているといえる。しかもこれらの多くのものは、戦前にはなかったものである。

戦前の人権は、国家や天皇のためにほとんど存在しないも同様であった。国家が全てに優先する、こうした考え方はその前の時代の封建社会から培われた、主君のためと符合するものがある。

「主君のため」「お国のため」は、結局は愛国心である。国家が国家の存在のためには、人権や表現の自由は極めて厄介な存在である。

この憲法は、戦後の日本が忌まわしい戦争の時代から決別する道標である。失望感に支配された敗戦直後の日本に希望を与え、道筋を付けてくれたものであった。

ところで、拉致問題に関して北朝鮮の悪行ばかりが言われるが、憲法が規定している国民の誰もが所有する権利の全てを履行でず、北朝鮮に踏みにじられた日本の責任はどうして問われないのか。

自民党憲法改正草案では、国益の優先が掲げられている。そのためには人権や表現などの自由は邪魔なのである。

戦前の帝国憲法こそ、上からの押し付けられた憲法である。詳細な審議をした経緯がない。現憲法が、民間の「憲法研究会」の改正案を踏襲したものであり、憲法改正委員会で論議された経緯は明らかにされている。

安倍首相の言う「戦後レジューム」からの脱却は、実は戦前へ戻る復古的国粋主義である。これが美しい国なのだろうか。

憲法は理念の凝縮である。還暦を迎えたからといって、それを理由に変えられる理由などないのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 現憲法下でも | トップ | そりゃ自衛じゃないだろ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

安倍晋三」カテゴリの最新記事