日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

二つ目の違憲判決から

2005-10-01 11:25:56 | 社会問題
大阪高裁で小泉首相の靖国参拝の違憲判決(但し、傍論で)。
福岡地裁に次ぐ2回目。
昨夜のニュースでは靖国参拝の訴訟提起がずいぶんなされており、上記2件以外は、合憲との流れらしいけれど、一国の首相の立場にある人が、こんなに国民から訴訟の対象になっているのだと、そのことを思いました。
もう10年ほど前になるでしょうか、アジア人大学院生を日本の裁判所見学に誘ったとき、「この国では、人々は国をも訴えることができるのですよ」と、話題にしたことを思い出します。
そして2つのことを思います。
その1
この国の憲法は、国は宗教を持たないこと、個人の信教の自由であることをうたっています。
だから国の代表としての「靖国神社参拝は」否。
しかし小泉純一郎氏個人の信教の自由を奪うものではない。
これらは明白なことなのに、裁判所がどこまで踏み込むかの問題で曲折が出てきるのだろうとおもわれます。
その2
中国の新華社通信も報道したとのこと。
この国に生まれ育ったから、当たり前のように感じているけれど、例えばアジアで、ルールに沿わないからと、国主を訴えることができる国はいくつあるだろう。
「国」と同じ言葉で表現しても、そのありようは様々。自分の国で産出した石油の利益をほんの一握りの一族の間で分配して来た国もあるとききます。
社会福祉に不熱心な(そこまで行き届かない、困ったことは国連にという発想の国もあるとも聞きました)国もあるでしょう。
様々な国がある中で、首相小泉純一郎氏の靖国参拝はどのように、報道され、それぞれの国の人たちに理解されているのでしょうか。
私は新華社通信のその国にとっての位置付けを知らないけれど、たくさんの首相の靖国参拝反対の訴訟が提起されていることも、合わせて伝えてもらいたいものです。
そして、この国には、個人の信教の自由もあることも。
自分の国に都合のいい情報のみを取り入れて、他国をあおることは容易だけれど、真実から遠いところでなされていると、この情報化の時代長続きはしないのでは無いでしょうか。
「靖国参拝問題」が、この国の中でも、こんなにも議論され、その是非が裁判で審議されていることも知ってほしいものです。

それとも、かの国々が靖国問題を持ち出すのは、自国民を統率したいため、それらも了解の上での政治手法なんでしょうか。
とすると、小泉さんの一国のトップとしての外交政策に対する意識と個人の信教の自由の優先順位の問題…なのですね。
「総理大臣殿、小泉丸には1億2000万人あまりの乗員がいます。航海の安全方よろしく」と、願いたいものです。
あー、今日は国勢調査の日でした。
人口がそろそろピークでしたよね。





コメント
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