国民が「国民の統合の象徴」である天皇とともに歴史を歩んできたとの趣旨も盛り込む方向だ。
-10月7日朝日新聞夕刊 自民改憲案の記事の前書きで-
どうして?
天皇が象徴となったのは60年足らず前でしょう。自民党の新憲法起草委員会(委員長森首相)のいう歴史は、ずっと長く連なっている天皇家を想定なさっているのではないのかしら。
だとしたら、一貫していないのでは?
60年のその前は、象徴ではなく「神」と教え、その前は…、不知です。
明治以前は、中央集権がそれほど庶民に徹底していたとは思えません。
藩を越えての行き来が制限されていたこともあり、藩の殿様が行政を仕切っていたと思っていた程度ではないでしょうか(教育制度も現在と格段の差だったでしょうし…)。
そんな実態をぼやかしたままで、「国民の統合の象徴」である天皇とともに歴史を歩んできたと明文化されるのであれば、なんか実態と違うなーと、感じてしまいます。
天皇には天皇の歴史があり、個々人には個々人の歴史があります。
それを「天皇とともに」とされたのでは、またいつのまにか「天皇の赤子」になりかねないような気がして、そんな連想がされて、違和感を感じた次第です。
政治家の論戦が以前より建設的になったような気がしていたのに、国の指針である憲法起草委員会のメンバーに森喜朗前首相、中曽根康弘元首相の名前が並び、現在の政治化諸氏のずいぶん先輩です。これでは憲法ははたして新しくなるのでしょうか。
-10月7日朝日新聞夕刊 自民改憲案の記事の前書きで-
どうして?
天皇が象徴となったのは60年足らず前でしょう。自民党の新憲法起草委員会(委員長森首相)のいう歴史は、ずっと長く連なっている天皇家を想定なさっているのではないのかしら。
だとしたら、一貫していないのでは?
60年のその前は、象徴ではなく「神」と教え、その前は…、不知です。
明治以前は、中央集権がそれほど庶民に徹底していたとは思えません。
藩を越えての行き来が制限されていたこともあり、藩の殿様が行政を仕切っていたと思っていた程度ではないでしょうか(教育制度も現在と格段の差だったでしょうし…)。
そんな実態をぼやかしたままで、「国民の統合の象徴」である天皇とともに歴史を歩んできたと明文化されるのであれば、なんか実態と違うなーと、感じてしまいます。
天皇には天皇の歴史があり、個々人には個々人の歴史があります。
それを「天皇とともに」とされたのでは、またいつのまにか「天皇の赤子」になりかねないような気がして、そんな連想がされて、違和感を感じた次第です。
政治家の論戦が以前より建設的になったような気がしていたのに、国の指針である憲法起草委員会のメンバーに森喜朗前首相、中曽根康弘元首相の名前が並び、現在の政治化諸氏のずいぶん先輩です。これでは憲法ははたして新しくなるのでしょうか。