日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

一億総博知化、一億総白痴化 どっちでショー。

2005-10-28 22:59:31 | 私の雑感あれこれ
〈宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目指すものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである〉
ヒットラー「わが闘争」の中に出てくると、斎藤美奈子さん(文芸評論家)が27日の朝日新聞で紹介していらっしゃいます。
ヒットラーの人身掌握のセオリーなのでしょう。
なんか「宣伝」を「テレビ番組」に置き換えると、昨今の日本のテレビ事情になってしまうのではないでしょうか。
フジテレビ、TBSと今年大変な話題となっていますが、それでは公共の電波を通して流れてくるものとは、ヒットラーと同じ意図があるのかどうかは不明だけれど、「最低級のものがわかる程度に調整」されているように見受けられるようですが、いかがでしょうか。
忙しいから、ほんの数分チャンネルを合わせだけで、笑えるように、肩のこらない、お気楽番組が目白押しだと、そう思われませんか。
こんな番組の洪水の中で、日本人ってどこへ向かわされようとしているのだろう。
ヒットラーのセオリーに余りにもぴったりな気がしたものだから、つい、そう考えてしまいました。

※ タイトルの「一億総…」の文言は中学校の国語の教科書にあった大宅壮一氏の表現です。
コメント (1)
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今朝「ドナテルロの少女」来る。

2005-10-28 22:10:13 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
出勤前に宅急便で届く。
ドナテルロ作の少女像(石膏の胸像)をワクワクしながら梱包の箱から取り出す。
箪笥の上に置く。
久しぶりのワクワク感、本当に石膏像を手元に置くことになるなんて…。
実はもう先日来絵画教室でスケッチを2枚描いています。
1枚目、はにかんだような笑顔が、子供ながら慈愛深いようで、スケッチとして精密かどうかは別にして、いい表情の娘の顔をしています。
「人物画は描く人に似るというけど、そうね、あなたに似ている」
そう言う人もいるけれど、「ううん違う。この子、私なんかよりずっと暖かそう、私には見当たらない慈愛が…」そう、心の中で反論している(親ばかというか、作者馬鹿なのかな。決して絵がうまいとかうまくないとかではなく、にじみ出ている彼女の表情のことです)。
2枚目、ちょっとバタ臭く透明感のある表情。その微笑が無垢の表れか、清澄な心からきているのか不明。そんな感じの幼さが未知数として残る2枚目の彼女。
デッサンの良し悪しはともかく、人の形であるために人となりまで勝手に想像したりしている。
そんなこんなで、「この子供の胸像は結構楽しむことができる」とそう思ったから、もう何枚か描きたくて、自分へのプレゼントとして石膏像を注文。
今朝、我が家へやってきたというわけです。

私のもうひとつのブログ「私のスケッチ帖」にアップしようとしたけれど、スキャナーからはみ出てしまうので、かないません。
そのうち、何とか載せますので見てください。

追記 デジカメで写してみました。
   こっちにも載せてみますね。
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