日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

昨日届いたメール

2007-06-24 07:43:18 | 私の雑感あれこれ
タイトルに「月曜日は」とあり、
開くと
「死んでいるかもしれません」
とありました。
文面はそれだけ。

NGOボランティア仲間からのメールです。
ビックリしました。

そういえば、近頃体調が悪いと聞いていました。
「救急車で病院に…」という話を聞いたのは、先回会ったときです。
えっ!まさか!

どうしたらいいか、今、私にできることは、と考えました。
メールアドレスしか知らず、朝9時になるのを待って、NGO団体に連絡。

きっと、土日が忙しくて、という今の状況を伝える、彼独特の表現じゃないですか、とのこと。
近頃の若い人は言葉を軽く使うところがあるから。


その回答に、フーン、そんなものかと、自分を反芻しながら、なんと、迷惑な表現をする人がいるものか、と思ってしまう。
成人した子供さんがいる人だから、そんなに若くはないはずなのに…。
「セイショクシャ」なのに、そんな表現で遊ぶなんて…。

そして、もう一つ違和感を感じだのは、
ボランティア仲間7、8人に送られていたのに、だーれも、一切の反応なし、なのです。
「超忙しい」という表現の、別の言い回し、というだけのことでしょうか。
なんか、ユーモアとか、大げさ、とか、表現は本人の個性の問題です。
でも、「死んでいるかもしれません」っていうのは、私の尺度ではイエローカードです。
そんなことでは、狭量といわれるのでしょうか。


毎年、年間3万人以上が自殺しているこの国。
仕事関係で、経済的に行き詰って「これから死にます」というFAX受信したこともあります。
そのときは、そういうFAXを送ろうとしたという当事者の精神状態を想像しながら、今できることは何か、そう考えて対応しました。
仮に狂言であったとしても、そうでなかったらという後悔はしたくないから、できる限りの対応をと心しました。

そんなことが、頭の中に思い浮かびます。
でも、昨日は、そのメールのあと、私以外のだーれも、なにも反応しないのです。
自分が、異星人なんか、この国のひとたちが異星人なのか、
ちょっと、そんな気分になりました。

いい年をした「セイショクシャ」なのに!
日曜日の今朝、どこかの教会でお説法なのでしょう。
おばさんを驚かせないで欲しいものです。



コメント
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