日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

50年という感覚。

2009-04-12 08:05:39 | 私の雑感あれこれ
4月10日、天皇陛下、皇后陛下のご成婚50年を迎えられたという報道がにぎわった。
ワタシはその時小学校4年生で、その日を覚えています。
我が家にテレビはありませんでした。斜め向かいの、豆腐屋さんに、みんなでテレビを見せてもらいに行きました。
お天気が良かったのかもしれませんが、頭の中のその日は、テレビを見た部屋の暗さとともに印象に残っており、青空はありません。
その後でしょうか、学校の出入り口の一角に、「ご成婚記念」と明示札が立った木が植えられました。きっと、日本全国でこのような木が植えられているかも知れませんね。
あれから50年たったのです。

特別の皇室ウォッチャーではないけれど、時々の話題を耳にしてきたわけですから、紹介される出来事は記憶にあります。懐かしく想い起こされます。
50年の年月って、こんなものかと、その感触を再実感する思いがしました。

テレビが我が家に来たのは、翌年の12月。
勿論白黒。
テレビの画面に向かって過ごす時間が、圧倒的に増えていきました。
考えてみれば、年末の歌番組で日本中が賑わうようになったのも、テレビあればこそ、ですものね。

テレビがカラーに変わるころは下宿時代で、6、7年はテレビなし生活でした。
子供が産まれて、世間の番組も…、と買ったテレビは14インチ。
テレビが大型化して、テレビ局から送信の映像だけでなく、ディスプレーという役割に多様化しきて、今、またガラッと、様変わりしようとしています。

スイッチをひねると容易に流れてくる映像の波にたっぷり浸かってきた50年、でもあったような気がします。

経済は発展するものと信じ、ものの豊かであることをよしとし、夜は野球中継をみてすごし、テレビコマーシャル文化に先導されていた??のではないかしら。

若者はテレビを見なくなった、とも聞きます。
50年前に初めてテレビを迎え入れた世代。
生まれたときから、そこにテレビがあった世代。
テレビが生まれたときからあった世代が、テレビ離れを起こしているのです。
そう、今度はテレビの登場よりもっとすごい、世界に瞬時に繋がるインターネット、携帯通信という手段が登場したのですもの。

ワタシの記憶の殆どはテレビがやってきた以降で、自家用車もその後に入ってきました。
でも、それが、初めからテレビがあり、自家用車があり、インターネットがある時代に育った子供は、よしとするもの、求めるものの軽重が違ってくるもの頷けます。
時代を経ても、通じるものがあることも、それも必ずあるのですけれど。

ああ、こう変わるのが50年。
半世紀という期間を思う日でした.




コメント
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