日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「大いなる陰謀」を見る。

2009-04-01 09:42:29 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
あのロバート・レッドフォードが監督かつ出演の「大いなる陰謀」を見た。
最初から終わりまで、3つの場面が並行して進む。
一つは次期大統領候補との期待もかけられている有望なトム・クルーズ共和党議員と、メリル・ストリーフ゛演じるジャーナリスト。
もう一つは、大学教授レッドフォードと、才能がありながら、安きに流れそうなポジションの学生。
3つ目は、志願したレッドフォード教授の教え子の学生二人。特殊任務遂行でイラクの空をヘリコプターで飛ぶ。

危険な賭けであることを知りながら、作戦遂行の判断をする議員。
奨学金免除になるから、と危険を承知でイラク派兵に志願する二人。
この二人は、教授の面談している学生の同級生。
二人(アフリカ系とメキシコ系)のうちのひとりの名前がアーリアン、と聞いて、教授と面談する若者の台詞に、
「えっ!アーリアン?白人でないのに(アーリアン?アーリアンには高貴って意味もあったからね」という意味合いの言葉があった。

そうなんだ、初めて知りました。
人種としてのアーリア人は知識として知っていました。
その語源というか、もう一つの意味までは知りませんでした。
「高貴な人」という意味をもっていたのですね。
随分以前に「アボリニジー」という言葉の語源は「アブノーマル」から来ていると知ったときも、目から鱗で、「なんと!」だったのですが、今回の映画でも、そんな、ちょこっとのところで、「おや!そうなの」と思った次第です。
映画の作り手も、チクッと、これまでの白人社会、自分たち白人社会への一刺を、という意味も込められているのでしょうね。

言わんとするテーマは重いのですが、映画を楽しみたい向きには、最後まで集中するのは大変かも知れません。
往年のレッドフォートのファンとしては、彼がこんな映画を作りたかったのか、そんな感慨もありました。
メリルストリーブのような女性でありたい、無理でしょうが、方向としては。と、ちょっと思った次第でもあります(笑)。

映画を観終わった後、ふと、私の好きな映画の一つである「西部戦線異状なし」を思い出しました。
戦場でまさに命を落とそうとしている若者の存在は、指令を発しているところとは別ものだという非情ということで、共通しているからでしょうか。

コメント
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