日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

久しぶりに母の顔を見に。

2015-10-19 20:06:40 | 母のことなど
弟家族と一緒に暮らしていることに安心して、母の顔を見に行かずにはや1年が過ぎていた。
ようやく1か月前にスケジュールを入れて、その日がこの金土日だった。
脳梗塞で倒れて4か月半入院。退院後は弟宅に転居して4年目に入ったところ。
電話では聞いていた、98歳で仕方がないことだけれど、やはり老衰は進んでいる。
「脚と命が一緒に終わりになってくれればいい」母はそういう。
廊下をガッチャンガッチャンと歩行器に頼りながらトイレに行き来している。使い捨てパンツはどうしても嫌なので、そこが難儀なところです。

いつ死んでもいい、と口では言っているけれど、本人はまだまだ生きたいと思っている、と弟夫婦の見立て。笑

弟が外泊付きの用事があるときはショートステイを利用している。
4泊ほどのショートスティから戻ってくると、どことなく疲れた顔つきになっているから、やっぱり家がいいんだね、と弟の奥さんの口から感想を聞くと、私は「ありがたく」思う。預けたほうが楽、なはずなのに、家がいいのだ、と事実を曲げないで話題にしてくださるその心根に感謝です。
この環境、これ以上いうことはありません。

娘の私は「月に1度はショートスティを利用するようにしたらいいよ」と、すっかり聞き取りが悪くなった母の耳に語りかけるのだけれど、
母は応答しなかった。
聞き取りにくいのか、
聞きたくないのか、
理解しにくいのか、
それらは定かではない。苦笑

弟夫婦の負担が過分にならないように、それが私の役目。
外出するときはトイレの心配ばかりにならないように、便利なものは使ったらいいんだよ、といっても、
自分は頑固だから、とはねのける。

弟の奥さんが言いにくいことは私が言わないと、と思っている。

それにしても、退院したころと比べて、母はすっかり、細やかな話はできなくなっている。
何十年も前に体験した話題は元気にしゃべり始めるのだけれど、こちらの反応とのやりとりができない。
能力の低下とはこういうことか、と思う。
昨今は、ボケという表現を使わず、認知症という言い方になっているけれど、
母の状態は、認知症というより、人としての能力が落ちた、って感じです。
その低下部分を補うように、「ありがとう、世話をしてもらってありがとう」を連発する。

早朝、自室でお経を唱えるのだけれど、その声がいつもより大きく針があり、
いつもは昼食後お昼寝するのに、嬉しくってお昼寝もせず、
だから、〇子ちゃんが来ていることが嬉しいんだね、と弟夫婦。

ありがたい。
次は、12月にある弟の長男の結婚式でまた顔を合わせることになります。

また来るね、と母の耳に大きな声で伝えて、戻ってきました。






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夜7時台の地下鉄の中で。

2015-10-19 07:56:38 | 私の雑感あれこれ
遠路母の顔を見に行ってきた。
7時過ぎに高速長距離バスを降りて、地下鉄に乗る。

ま、長旅で疲れているし高齢者もいないし、空いていたシルバーシートに座る。
向かいの席にはハタチ前後のお肌ピチピチの二人連れが女性が座っていた。
本を読んでいると、突然

キャッキャと彼女たち。

わっ、気持ち悪い!

長い手足をバタバタ。

大騒ぎ。

すし詰め満員ではないけれど、立っている人も何人もいる車内。

その若い女性のキャッキャの声の原因は



でした。

紋白蝶を少し灰色にしたぐらいの蛾です。
ヒラヒラ飛んでいます。

立っているオトナのほうにもいきます。
黙って、避けるだけ。

私のほうに来ても
黙って、避けるだけ。

この地下鉄で、ドアが開いた拍子に出ていく術はないものか、
ないだろうな~、なんて思う。

蛾も、迷い込んだ先がこんな空間で、ほとほとびっくりしているだろうに、

目の前の二人の女性の騒ぎ具合に

ウンザリ

でした。

攻撃されるわけでもないのに、
怖がっているのは、蛾 のほうなのに。

彼女たちと自分との距離の遠さに、唖然としました。

そうか、
葉っぱが落ちても笑い転げる年頃
って表現もあったけど、その類かしら、
とも考えたけれど、
微妙に違いそう。

あの嬌声には、ウンザリでした。
私の中に旅の疲れが溜っていたからでしょうか。


コメント (2)
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