経済関連本読みが続いたので、久しぶりに(小説のほうがラクかなと)司馬遼太郎の「峠」をクリックしたのが始まり。
――夫婦でそれぞれのiPADを使っているのですが、電子書籍を取り寄せると両方で読める環境なのです。司馬作品の中で最近「峠」が電子書籍化されたということで、夫がクリックしていた、ただそれだけのこと。
まぁ、読んでみるか、と軽く始まったのですが、ぐいぐいと引き込まれていきました。
長編です。「上」を読み終わったころは、当然「中」を読みたくってたまらない症状(笑)に陥っていました。で、クリック。5分ほどで読書スタートできるのです。最近の文明の利器はすごい!
そんなこんなで、計5冊を読了しました。
さっそく今日は、特に読みたいものはない状態だったからか、通勤鞄の中にiPAD入れるのを忘れる始末。夢中になっている間は、電車の中も楽しみでしたから。
峠の主人公河井継之助は明治元年の夏に北越戦争で倒れるのですが、「歳月」の主人江藤新平は、新政府で大抜擢されるのですが、征韓論が出始めたころから反政府の立場に傾き始め、佐賀藩にくすぶっている佐幕派に担がれる形で、官を敵とする反乱の大将となる。明治7年梟首(さらし首)という惨さ最たる刑を受けて落命。
よって、洗脳されやすい(苦笑)私の頭の中は江戸時代。江戸300年の仕組みをぼんやり思いめぐらしている。
江戸期においての正義ってなんだったのだろう。
幕府は、諸藩の大名が徳川の転覆を企てないように政策することが最優先。不都合な事態には禄高を減じたり、召し上げたりして対応。
武士階級って、なんだろう。
そもそもの起こりは、徳川幕府成立時に武勲があったもの、戦で活躍するのを専業にしてきたものたち。主君のために命を落とすかもしれない戦場をものともしなかった。反徳川として戦った者たちは外様として江戸から遠い地に留め置かれ、どんなに遠距離でも参勤交代などの役はこなさなければならなかったのです。
そんな江戸時代、幕府の為政が上手くいったのか、多少の謀反はあったかもしれないけれど、戦国の世とはならず、戦いの場を経験しないで一生を送る武士、というものになっていった。
では、武士たちは何をしたのか。
剣術を磨き、藩の学問所で学び、親から世襲の役職を受け継いで禄をもらう階層になっていった。
世襲される役職。殿様の藩の仕事。いわゆる公務員という立場なんだと思う。
厳しい枠でがんじがらめに生活を縛り、階層の上位下位の区分けを徹底させて、希望の芽を摘んできた社会だったのではなかろうか。
「武士階級以外は床の間を作ってはならない」(※)などのルールは今回知ったことだけれど、そういえば、自分の家をこしらえるのにも、柱の太さや天井の高さまで規制されていた社会だった。
(※)時代が下ると、商家(大店)でこっそり贅沢を楽しむ、という傾向が見られたらしい。
戦がなく時間があるわけだから、学問や文化的な習熟が必要な部門が開花していったのだろう。朱子学が本流だったのだろうが、各所に塾ができ、師について学ぶ、学びたいという層が知性の研磨して、脈々と連なってもいった社会なのだろうか。
司馬遼太郎さんの書物では、読書階級という表現を見ることがある。当時書物に接することができたのは、1割(?)程度の武士階級と農民階級に属する者の中の庄屋までだった、とある。
書物に接することができた階級の下層部の優秀者が、黒船騒動でこのままの幕藩体制では持たない、という急場で、フツフツと存在感を現してきた、幕末、維新の時期とは、こういう時代だったのだ、とひとりで反芻している。
藩が国であり、藩外に出ることは滅多にない。当然会話はお国ことばであり、藩外のものには意味が通じなかった。よって、他藩のものが混じった会話となると、とたんに文語(書き言葉)での会話になるのだという。現代では、「他国の人がひとりでも混じると、みんながわかるであろう言葉として、とたんに英語になるよ」とかつて、中国に留学していた娘が言ったことを思い出したりもした。
河井も下級武士。旧来を踏襲するだけでは立ち行かなくなって、大抜擢されている。
江藤も河井よりさらに下層レベルの食うものにも事欠く貧しい小使の倅。でも、読書階級であったことから、アレヨアレヨと頭角を現す。
司馬遼太郎は本を書く準備として、古本屋街で軽四トラックいっぱいにもなるほどの、古書を買い集めるのだ、と聞いたことがあります。
この本のためにも、彼はたくさんの資料に埋もれたのだろうな、と想像できます。
当時の〇〇の日記では、とか、後日の回顧談ではとか、100年前のことがらなので、手が届くほどの歴史でもあるからです。
注)これらの作品が書かれたのは昭和40年代初めです。
明治政府黎明期に是非とも入用な人材と、我こそは登用してもらわないとという輩と、当然それらは2種類ではなく、濃淡織り交ぜて人の欲望のるつぼでもあったことも想像できるし、それらは人間の織り成す社会である限り、いつの時代も共通項があるのだと、ひつりつくづく思っています。
天皇を頂点とした公家社会のこと。
江戸時代は、徳川幕府から各藩は石高で賄うように分配されていたのだけれど、京都に住む天皇と公家全体で1万石とし、富を生み出す活動を禁じ、洛外に出ることを禁じ、という厳しい規制の中に置かれていたのだそうです。
それが、薩長に担がれて、明治政府のトップとなり、江戸にあった大名屋敷は政府が取り上げて、公家たちにも下賜されたのだろうか。
明治当初の士族の扱い。
元来士族はお上から石高をもらって暮らしているのであり、おのずから生産はしていない。
国の総石高のほぼ半分が、士族への配布分となり、残り半分で政府を運営していかなくてはならない、ということでは国は立ち行かない。そこで、士族へは一時金の形で給付して以後国が負う負担をなくす政策を江藤も考案していた(らしい)。そういえば磯田道文氏の「武士の家計簿」では、これらの実情が書かれており、武士の家計の窮状が描かれていた。
藩幕政治から一挙に東京政府が財政を握る形態に舵を切った訳であるから、物心両面において相当の軋みが出てきたのだろう。
当時の関係者の名前も多々出てくる。100年前の時代の当事者(リーダー階層とその周辺の人たちだろうけれど)も、良かれと思うそれぞれの選択をして、生涯をまい進したわけで、今、現代を生きる当事者である私達も、課題の大きい小さいの差があるけれど、一面、50歩百歩のような思いもしたりする。
ま、民主主義の時代の恩恵はかつての人々と比べようもないほど輝かしいものだとは、思うけれど。
これらの作品が世に出てからも50年近く経過している。
大勢の読者がいるのでしょうね。
今の時代になって、改めて電子書籍になるくらいですから。
若い次の世代の読者に届きますように。
司馬史観ではあるのでしょうが、よくわかりました。
――夫婦でそれぞれのiPADを使っているのですが、電子書籍を取り寄せると両方で読める環境なのです。司馬作品の中で最近「峠」が電子書籍化されたということで、夫がクリックしていた、ただそれだけのこと。
まぁ、読んでみるか、と軽く始まったのですが、ぐいぐいと引き込まれていきました。
長編です。「上」を読み終わったころは、当然「中」を読みたくってたまらない症状(笑)に陥っていました。で、クリック。5分ほどで読書スタートできるのです。最近の文明の利器はすごい!
そんなこんなで、計5冊を読了しました。
さっそく今日は、特に読みたいものはない状態だったからか、通勤鞄の中にiPAD入れるのを忘れる始末。夢中になっている間は、電車の中も楽しみでしたから。
峠の主人公河井継之助は明治元年の夏に北越戦争で倒れるのですが、「歳月」の主人江藤新平は、新政府で大抜擢されるのですが、征韓論が出始めたころから反政府の立場に傾き始め、佐賀藩にくすぶっている佐幕派に担がれる形で、官を敵とする反乱の大将となる。明治7年梟首(さらし首)という惨さ最たる刑を受けて落命。
よって、洗脳されやすい(苦笑)私の頭の中は江戸時代。江戸300年の仕組みをぼんやり思いめぐらしている。
江戸期においての正義ってなんだったのだろう。
幕府は、諸藩の大名が徳川の転覆を企てないように政策することが最優先。不都合な事態には禄高を減じたり、召し上げたりして対応。
武士階級って、なんだろう。
そもそもの起こりは、徳川幕府成立時に武勲があったもの、戦で活躍するのを専業にしてきたものたち。主君のために命を落とすかもしれない戦場をものともしなかった。反徳川として戦った者たちは外様として江戸から遠い地に留め置かれ、どんなに遠距離でも参勤交代などの役はこなさなければならなかったのです。
そんな江戸時代、幕府の為政が上手くいったのか、多少の謀反はあったかもしれないけれど、戦国の世とはならず、戦いの場を経験しないで一生を送る武士、というものになっていった。
では、武士たちは何をしたのか。
剣術を磨き、藩の学問所で学び、親から世襲の役職を受け継いで禄をもらう階層になっていった。
世襲される役職。殿様の藩の仕事。いわゆる公務員という立場なんだと思う。
厳しい枠でがんじがらめに生活を縛り、階層の上位下位の区分けを徹底させて、希望の芽を摘んできた社会だったのではなかろうか。
「武士階級以外は床の間を作ってはならない」(※)などのルールは今回知ったことだけれど、そういえば、自分の家をこしらえるのにも、柱の太さや天井の高さまで規制されていた社会だった。
(※)時代が下ると、商家(大店)でこっそり贅沢を楽しむ、という傾向が見られたらしい。
戦がなく時間があるわけだから、学問や文化的な習熟が必要な部門が開花していったのだろう。朱子学が本流だったのだろうが、各所に塾ができ、師について学ぶ、学びたいという層が知性の研磨して、脈々と連なってもいった社会なのだろうか。
司馬遼太郎さんの書物では、読書階級という表現を見ることがある。当時書物に接することができたのは、1割(?)程度の武士階級と農民階級に属する者の中の庄屋までだった、とある。
書物に接することができた階級の下層部の優秀者が、黒船騒動でこのままの幕藩体制では持たない、という急場で、フツフツと存在感を現してきた、幕末、維新の時期とは、こういう時代だったのだ、とひとりで反芻している。
藩が国であり、藩外に出ることは滅多にない。当然会話はお国ことばであり、藩外のものには意味が通じなかった。よって、他藩のものが混じった会話となると、とたんに文語(書き言葉)での会話になるのだという。現代では、「他国の人がひとりでも混じると、みんながわかるであろう言葉として、とたんに英語になるよ」とかつて、中国に留学していた娘が言ったことを思い出したりもした。
河井も下級武士。旧来を踏襲するだけでは立ち行かなくなって、大抜擢されている。
江藤も河井よりさらに下層レベルの食うものにも事欠く貧しい小使の倅。でも、読書階級であったことから、アレヨアレヨと頭角を現す。
司馬遼太郎は本を書く準備として、古本屋街で軽四トラックいっぱいにもなるほどの、古書を買い集めるのだ、と聞いたことがあります。
この本のためにも、彼はたくさんの資料に埋もれたのだろうな、と想像できます。
当時の〇〇の日記では、とか、後日の回顧談ではとか、100年前のことがらなので、手が届くほどの歴史でもあるからです。
注)これらの作品が書かれたのは昭和40年代初めです。
明治政府黎明期に是非とも入用な人材と、我こそは登用してもらわないとという輩と、当然それらは2種類ではなく、濃淡織り交ぜて人の欲望のるつぼでもあったことも想像できるし、それらは人間の織り成す社会である限り、いつの時代も共通項があるのだと、ひつりつくづく思っています。
天皇を頂点とした公家社会のこと。
江戸時代は、徳川幕府から各藩は石高で賄うように分配されていたのだけれど、京都に住む天皇と公家全体で1万石とし、富を生み出す活動を禁じ、洛外に出ることを禁じ、という厳しい規制の中に置かれていたのだそうです。
それが、薩長に担がれて、明治政府のトップとなり、江戸にあった大名屋敷は政府が取り上げて、公家たちにも下賜されたのだろうか。
明治当初の士族の扱い。
元来士族はお上から石高をもらって暮らしているのであり、おのずから生産はしていない。
国の総石高のほぼ半分が、士族への配布分となり、残り半分で政府を運営していかなくてはならない、ということでは国は立ち行かない。そこで、士族へは一時金の形で給付して以後国が負う負担をなくす政策を江藤も考案していた(らしい)。そういえば磯田道文氏の「武士の家計簿」では、これらの実情が書かれており、武士の家計の窮状が描かれていた。
藩幕政治から一挙に東京政府が財政を握る形態に舵を切った訳であるから、物心両面において相当の軋みが出てきたのだろう。
当時の関係者の名前も多々出てくる。100年前の時代の当事者(リーダー階層とその周辺の人たちだろうけれど)も、良かれと思うそれぞれの選択をして、生涯をまい進したわけで、今、現代を生きる当事者である私達も、課題の大きい小さいの差があるけれど、一面、50歩百歩のような思いもしたりする。
ま、民主主義の時代の恩恵はかつての人々と比べようもないほど輝かしいものだとは、思うけれど。
これらの作品が世に出てからも50年近く経過している。
大勢の読者がいるのでしょうね。
今の時代になって、改めて電子書籍になるくらいですから。
若い次の世代の読者に届きますように。
司馬史観ではあるのでしょうが、よくわかりました。