日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

司馬遼太郎って、すごい。

2016-04-05 10:42:49 | 施肥・消毒
先にも取り上げた「この国のかたち一」を読んでいる。
歩んできた時代について、よくこんなとらえ方をし、私たちに書き下して解説ができる、とつくづく感心するしかない。

以下、臨書するように、自分のための引用です。

 ルネサンス以後の個人の自覚のたかまりについては私ども日本人はずいぶん読まされてきたが、江戸期の日本にも似たような現象があらわれはじめていた。かすかながらも個人が成立しはじめるたとえば中世では、ひとびとはブドウの房のように一族としてぶら下がっていたが、商品経済のさかんな世になると、モノの売買もカネの貸借も、すべて個人が矢面に立つのである。
 そういう社会にあっては神仏を敬しても加護は頼めず、家格の権威も役にたたず、ついにはひとびとは現世的な人間主義やおのれの一個を戒める自律性をもたざるをえなくなるのである。
 また、、モノの価値をきめるのは権力ではなく相場である。ひとびとは知らずしらずに合理主義にならざるをえない。江戸中期ごろから、ひとびとの自覚なしに、゛近代゛という潮が腰まできていたのである。



突然、こんな引用文では、読みたくもないでしょうね。
ひとり、司馬さんの分析に悦に入っています。
失礼。

そういえば、私の読書時代のスタートにも、夏目漱石だから、舶来のでしょうが、「個人主義」とか自我についての云々の文章からだったように思います。

そういう社会にあっては神仏を敬しても加護は頼めず、家格の権威も役にたたず、ついにはひとびとは現世的な人間主義やおのれの一個を戒める自律性をもたざるをえなくなるのである。

流れはそういう方向にあったのですね。納得いかないことが多かったりしましたが、先取りしていたためだったのか、時代が下った(60代の)、今のほうが生きやすいです。


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雨上がりの庭は呼んでいる。笑

2016-04-05 07:56:19 | 庭 4月
明るくなるのが早くなって、朝の庭周りの時間が増えた。

ちょっとあっち、そしてこっちも、草花たちが呼んでくれているかのように、わたしの見回りは行ったり来たり、です。
雨上がりは草抜きのベストタイム。バラの根元というか、根元の奥のほうの雑草抜きが厄介なのです。手が思うように入らないので、、、。顔を出すスギナをシャベルで根元を掘るようにして抜きます。カラスノエンドウなども抜いてしまわないとバラに絡まって伸びるでしょう。芝生の中の雑草も穂を付け始めます。種がこぼれないように抜いていくのは根気が要ります。

でも、春の花をめでながらの庭時間は癒し時間でもあります。疲れないといいのだけれど、そういかないところが60代。ふぅ~。

今朝の庭から
朝日を浴びたヒヤシンス


勿忘草もいっぱい開花中。


青い川のムスカリもあちこちで最盛期。




シャクヤクも成長が早くなってきました。


バラ、パレードの株元の、勿忘草、ラムズイヤーたちです。


去年からの越年組、ミヤマオダマキの第1号の開花です。


去年の町の文化祭で購入した草花です。キンギョソウとビオラの御一行様も春を迎えて華やかになりました。


ムスカリと挿し木バラのフレグラントオールドパープルとコティヨンです。…まぁ、バラの名前を覚えるのもボケ防止です。苦笑


ボタンの蕾も膨らんできました。6個あります。鉢植えでは限界かな、と危惧しつつも、浜松フラワーパークでは、豪華なボタンの花たちのほとんどが鉢植えだったので、大丈夫とも思ったりしています。苦笑


フリージァも開花し始めました。うちの庭では、あえて黄色ではなく、パープルをチョイスしています。












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