ガーディナーとしては芽吹き時に雨もよしです。
朝起きて、2階の寝室の窓から眺め、リビングでコーヒーメーカーを操作しながら東側の小窓から眺め、朝食後は南側テラス側から眺め、ついで東側窓からも、、、。昨日の作業の足跡を確かめ次に花たちに何をしたらよりよくなるだろうか、とついつい眺めています。
かわいいものです。草花たちが。
先日、急遽次女が5年超振りで帰省しました。
5人家族になっています。遠路のドライブだったのに、一泊だけで滞在時間は24時間もありませんでした。
あいにく、私の自治会の集まりが入っており、ゆっくり話す時間もなく、あわただしく帰っていきました。
彼女は隣地を購入して庭を始めたのもはじめて知りました。
おかあさんって、わたしたちを育てているときはこんなことする人ではなかったよね、と彼女はいい、そうだね~と相槌。
以前、母がバラシーズンに来た時も、感動もしてくれたけれど、どうしてお前が、、、と言い、つぎに「勉強したからかね~」と口にしたことが耳に残っています。
今のわたしには、庭仕事が楽しいのです。庭仕事がない自分が想像できないほどに、庭のあるわたしになっています。
自分の中では、これまでしてきたこととべつものではないのです。
あなたたちを育てたのと同じように、今花育てに夢中になっている、それだけよ。
あの子育て中の精一杯していたときの実感が、お母さんにとって楽しい快感だったから、それをもう一度味わいたくて、こうして一生懸命になっているのだろうと、自分に理屈をつけています。
3人のこともがはしゃぎまわり、母娘でゆっくり話す時間はありませんでした。
彼女には、連絡が取れなかった理由があったとのこと。その理由までは聞けませんでした。交通事故の後の体の変調のこととか、順を追って尋ねたいことは山盛りなのですが、なんにも話題にできませんでした。
東北地震のすぐ後に生まれた長女5歳になったばかりを筆頭に、2歳と0歳の世話に明け暮れ。
初めて見る子供たちです。
長らくのぎくしゃくの後もあって、緊張の中の「お久しぶり」のあいさつに、車の後部座席の子供たちも[おひさしぶり~」と連呼。
「あなたたちは『はじめまして』でしょ」とママが訂正して、何のことやらわからない子供たちは、すっかり我が家になじんで行ってくれました。
事故後の後遺症も心配される中、3人の子供を産み育てています。実家とは一切の連絡を取らず。最初の子供はわたしにとっての初孫でしたから、助っ人してやりたくって訪ねて行ったのですが、会ってはくれず、お祝いの赤飯やらお魚や産着などをドアノブに引っ掛けてきたのです。
こんなややこしい間柄だったのに、奇跡が起きて、突然訪ねてきました。よりによって私に予定が詰まっていて、世の中ままなりません。
東京に帰ってから夫あてのメールには、子供たちは明日にでもおじいちゃん、おばあちゃんのところへ遊びに行きたいといっています、と書いてあったそうです。
おなかの中で事故にあった初孫も無事に育って、これも奇跡であり、感謝しきれないことです。いいことがいっぱいあります。
こんないいことにかこまれているのだから、わたしも今できることを精一杯やらないわけにはいきません。いずれゆっくりと娘と話す機会もできるでしょう。
いつか書いたかもしれないエピソードを思い出しました。
この娘が小学校4年生ぐらいの時のことです。
近所のスーパーへ一緒に買い物に行きました。
店員さんが、食品の棚に長ネギの補給中でした。わたしは補給された新しいネギを買い物かごに入れようとしたら、「お母さんだめじゃない。残っているこっちのほうから買わないと」と指摘してくれた子です。
仕事のため授業発表会に欠席した日の夕方でした。
ご近所の同級生のお母さんが
「○さん、今日の国語の授業は、お宅の○ちゃんの詩を取り上げての授業だったのよ。来られなくって本当に残念でしたね」と。
親ばかです。
何年たっても、走馬灯のように思い起こされます。
一生懸命子育てしたその手が空いたので、なにかやっていなくてはならないお母さんの相手が、庭に変わっただけなんだよ。
それだけのことなのです。
雨降りで、庭に出られないので、世迷言風に書いてしまいました。
朝起きて、2階の寝室の窓から眺め、リビングでコーヒーメーカーを操作しながら東側の小窓から眺め、朝食後は南側テラス側から眺め、ついで東側窓からも、、、。昨日の作業の足跡を確かめ次に花たちに何をしたらよりよくなるだろうか、とついつい眺めています。
かわいいものです。草花たちが。
先日、急遽次女が5年超振りで帰省しました。
5人家族になっています。遠路のドライブだったのに、一泊だけで滞在時間は24時間もありませんでした。
あいにく、私の自治会の集まりが入っており、ゆっくり話す時間もなく、あわただしく帰っていきました。
彼女は隣地を購入して庭を始めたのもはじめて知りました。
おかあさんって、わたしたちを育てているときはこんなことする人ではなかったよね、と彼女はいい、そうだね~と相槌。
以前、母がバラシーズンに来た時も、感動もしてくれたけれど、どうしてお前が、、、と言い、つぎに「勉強したからかね~」と口にしたことが耳に残っています。
今のわたしには、庭仕事が楽しいのです。庭仕事がない自分が想像できないほどに、庭のあるわたしになっています。
自分の中では、これまでしてきたこととべつものではないのです。
あなたたちを育てたのと同じように、今花育てに夢中になっている、それだけよ。
あの子育て中の精一杯していたときの実感が、お母さんにとって楽しい快感だったから、それをもう一度味わいたくて、こうして一生懸命になっているのだろうと、自分に理屈をつけています。
3人のこともがはしゃぎまわり、母娘でゆっくり話す時間はありませんでした。
彼女には、連絡が取れなかった理由があったとのこと。その理由までは聞けませんでした。交通事故の後の体の変調のこととか、順を追って尋ねたいことは山盛りなのですが、なんにも話題にできませんでした。
東北地震のすぐ後に生まれた長女5歳になったばかりを筆頭に、2歳と0歳の世話に明け暮れ。
初めて見る子供たちです。
長らくのぎくしゃくの後もあって、緊張の中の「お久しぶり」のあいさつに、車の後部座席の子供たちも[おひさしぶり~」と連呼。
「あなたたちは『はじめまして』でしょ」とママが訂正して、何のことやらわからない子供たちは、すっかり我が家になじんで行ってくれました。
事故後の後遺症も心配される中、3人の子供を産み育てています。実家とは一切の連絡を取らず。最初の子供はわたしにとっての初孫でしたから、助っ人してやりたくって訪ねて行ったのですが、会ってはくれず、お祝いの赤飯やらお魚や産着などをドアノブに引っ掛けてきたのです。
こんなややこしい間柄だったのに、奇跡が起きて、突然訪ねてきました。よりによって私に予定が詰まっていて、世の中ままなりません。
東京に帰ってから夫あてのメールには、子供たちは明日にでもおじいちゃん、おばあちゃんのところへ遊びに行きたいといっています、と書いてあったそうです。
おなかの中で事故にあった初孫も無事に育って、これも奇跡であり、感謝しきれないことです。いいことがいっぱいあります。
こんないいことにかこまれているのだから、わたしも今できることを精一杯やらないわけにはいきません。いずれゆっくりと娘と話す機会もできるでしょう。
いつか書いたかもしれないエピソードを思い出しました。
この娘が小学校4年生ぐらいの時のことです。
近所のスーパーへ一緒に買い物に行きました。
店員さんが、食品の棚に長ネギの補給中でした。わたしは補給された新しいネギを買い物かごに入れようとしたら、「お母さんだめじゃない。残っているこっちのほうから買わないと」と指摘してくれた子です。
仕事のため授業発表会に欠席した日の夕方でした。
ご近所の同級生のお母さんが
「○さん、今日の国語の授業は、お宅の○ちゃんの詩を取り上げての授業だったのよ。来られなくって本当に残念でしたね」と。
親ばかです。
何年たっても、走馬灯のように思い起こされます。
一生懸命子育てしたその手が空いたので、なにかやっていなくてはならないお母さんの相手が、庭に変わっただけなんだよ。
それだけのことなのです。
雨降りで、庭に出られないので、世迷言風に書いてしまいました。