つじつまがあった。小さい話です。
昨日、「菜の花の沖第1巻」を読了。司馬さんのあとがきの日付が昭和57年3月とあって、つじつまがあう、と思った。
まったく個人的な話なのですが、先にも触れましたが、夫はこの本も山本周五郎の「ながい坂」同様に夫の実家の本棚にあったといいました。夫は子どものころからの読書家で、自分の家の本は全部読んだ(そして、学校の図書室の本も全部読んだ)というひとです。
でも、「菜の花の沖」は、読んだとは言いません。あれっどこか矛盾する?といぶかしく思いました。大したことではないし、ごまかすところのない人なのにおかしいな、と思いながら疑問を放置していました。
昭和57年という表記を見て納得。そのころはすでに私たちは結婚していて、実家は帰省する所だったのです。だから巣立ってからお父さんが購入した本までは読んでいなかった、ということ。これで夫の言っていることのつじつまが合います。
57年ころというのは、夫のお父さんが定年となり、2年間の別組織に勤めていたころでしょうか。いずれにしても60代です。山本周五郎と比べると司馬遼太郎はお父さんよりより若い作家になります。私が小さい子供を抱えてヒイコラ言っていたとき、何度かほのぼのとした対応をしてもらったことが忘れられません。自分の父はぶっきらぼうで(自分の幼い子供を膝に載せたことが一度もないと母は言っていました)、あまりの違いに感動したものでした。あのころ司馬さんを読んでいらしたのか、と思うとそういう人柄だったな、とうなづくところ大いにあります。
鶴見俊輔さんが書物だか、テレビインタビューだかで、多くの友人らが物故者となりました。でもちっともさびしくありません。僕はいつも彼らと話をしていますから、とおっしゃっているのを記憶しています。
ウン十年の後を生きている私ですが、同じように60代で「菜の花の沖」を読んでいることが奇遇のように思ったりもします。笑