今回は、スローペースで読んでいます。笑
全7巻(?)の長旅(長編)ですが、私は、遅々とした読書ながら高田屋嘉兵衛の人生クルージングに付き合うと思います。今の時点では、嘉兵衛はまだ20代。紀州から江戸の材木運搬を頼まれて、材木を筏に組んで筏に苫小屋を作って、冬の海を江戸に向かいます。帆1枚と風が動力です。当時の規範(徳川幕府の禁制のいろいろでがんじがらめであったこと、格式の差が生活の諸所にしみこんでいたことなど)なにも知らなかったというか、知らないことを知らなかったと自覚することも多いです。
先週の一泊旅行(リゾートホテル行き)の際に、田原藩(渥美半島です)の渡辺崋山の資料館へ立ち寄りました。教科書程度にしか知らなかったのですが、幕末時代にあって、儒学者派から目をつけられ、蛮社の獄で捉えられ、蟄居を命じられながらも、自ら命を絶った人です。資料館の諸資料により私の知識も上書きできました。なんと不本意だったろう。言論の自由など、そもそも自由という概念も、ちょっと前、150年ほど前にはなかったのだと、つくづく思います。
横道それました。渡辺崋山の資料館のことを引き合いに出したのは、そのころ(幕末)の田原藩所有の縮尺したも船の展示があったからです。
帆が1枚ではありません。船に甲板もあります。江戸も時代が下ると、それでも変化はしてきたのだと、ひとり思っていました。嘉兵衛の時代は、千石船であっても、船に甲板を作ってはならず、帆は1枚にかぎる、という規制がひかれていました。司馬さんは、甲板というふたができないのだから、お椀のようなものだと書いています。だから荷は積み上げるしかなく、荒波が襲うと水が荷にかぶってしまうのは避けられなかったのです。荷を積む船としては不合理です。でも、幕府は不便であることよりも、諸藩の勢力が増して幕府転覆を一番恐れているわけですから、どんな不合理も、幕府維持にとっては正しい、のです。
民主主義でもないし、自由もないし、もちろん自治体のトップを選挙で選ぶなんてありえません。謀反を起こしそうだと思われると首がとぶ(落命)のです。時代が下って現在、この国では江戸の選挙が近々あります。病んでもお医者に行けるし、生活に困ると生活保護という仕組みがあるし、ガラリと世の中変わったと、良いほうへ変わったものだとつくづく思います。もちろん欠陥ゼロではないでしょう。それは、知恵を絞ってさらに良くしていけばいいのです。遠い時代(ま、200年ほど前ですが)へのクルージングの旅もいいものです。