最近、仕事で利用する地下鉄駅のコンコースにコンパクトなコンビニができた。
眺めつつ入ったことはなかった。昨日初買い物をした。カロリーメイト。近頃、仕事場ではランチ抜きにしているのです。ちっとおなかになにか、と思って初めてカロリーメイトというものを買いました。
それはさておき、レジの若い男性のネームプレートは、ひらがなで「ぐれん」と3文字でした。あっ、そうね、グレンカオキのグレンだから、、、。
「ベトナムの人?」と。
当然、あたりです。まことに表層的な質問で恥的ですが、「グレンカオキ」って知っている、とも尋ねました。彼は了解という表情で答えてくれました。彼によると、グレンというのはベトナムではとても多い姓だということ。私たち(の世代)はベトナム戦争がらみで、ニュースなどで話題になったので、日本人は知っているのよ、と。でも、付け加えました。あなたは当然に戦後生まれでしょうけれどね、と。もう40年以上も前の話持ち出す、変なおばさんと思ったかもしれませんね。
しっかり日本語対応に慣れていて、なんの不都合もありません。きっと将来有望な留学生かな、なんて思わせるさわやか青年でした。
きっと、母国では「ぐれん」という名前で呼んでも、ほとんどがグレンさんで区別がつかないでしょうけど。うっふふ。
話は横道にそれて、というか私たちの地域。
私の住んでいるエリアは35年ほど前に区画整理されて出来上がったところだから、住みついて3代目以上の人は多分ゼロでしょう。でも町の古くから存続しているエリアの方々は十何代目とか耳にしたりします。そんなもともとの人たちというのは、いくつかの苗字であり、そのためにでしょう、60代になっても、苗字ではなく名前で〇〇さん、△△ちゃんと呼び合っていらっしゃるのです。そう、そうしないと、区別がつかない、から。
そんなことも、思い返しました。
もしベトナムのコンビニで店員に名札を使うとしたら「ぐえん」だけの名札って、使わないだろうな~。お互いを呼ぶ時も名前を使っているだろうな、と。きっと、その名前のほうは日本人には発音しにくいのだろうな、とも。
彼の眼には日本社会はどういう風に見えるのだろう。聞きたい気持ちありありなのですが、カロリーメイトを買うだけの客ですから、1分足らずの会話でおしまい、という通りすがりの話でした。