草むしりなどしなくて済むものならしないタイプだった。
なのに、60代になって、少々ひろい花壇に時間を費やしている。
思えば、隣地を購入して野菜を植え、花壇にいろんな花をたっぷりと咲かせていたのは母。
白木蓮が見事に咲いたよ、とか、藤がたくさんの房をつけて見ごろだよ、と電話で聞いたものだ。
夏の帰省時には、〇〇が咲いているから、見てきてご覧、とさりげなく一言あったものです。
それが、庭をするようになってから、何の縁なのか同じことをしていると、我ながら思っていました。
昨日、娘にあるメールをしました。
そして、思うに、この行為も、母のしてくれたこととなんという相似形かしら、とつくづく思います。
私たちが自宅購入の時は土地バブルの絶頂期。あれよあれよと地価が値上がりしていきました。そのとき、双方の両親に一部の資金援助を頼みました。幸い両方ともOKでした。2年後からの返済計画つきの借用書を書きました。
2回目か3回目の返済をしたとき、母は、もう返済を気にしなくていいからね、と言ってくれました。銀行借入金の金利がどんどん上昇し、変動金利分は7パーセントを超えたり、返済金の多くが利息に充当され元本がなかなか減っていかないという現象が話題になっていました。
母の言葉はありがたかったです。
夫のほうの返済はつづけました。夫は約束したのだから履行すべきなのに、キミは考えが甘い、となじります。でも、住宅ローンを抱え、子供3人の教育費もこれからというときでした。夫からはズルイとか甘い、と言われても、やはり、自分の親の好意にほっとしたのは事実だし、今もその思いに変わりはありません。
で、昨日のメール。
娘にもマンション資金購入に際し、いくらかを提供をしました。・・・実はまったく同額です。苦笑
教えたわけでもないのに、同じように2年目から返済開始で、2回の返済を受けてから、残額の返済はいいよ、の昨日のメールでした。
奇遇というか、あれれ、おんなじことをしていると、つくづく思いました。
そして、母がそう言ってくれた時の気持ちも、今の私の気持ちだったのだろうか、と想像します。
あの時は、60代の気持ちを察することもなく、というかわかりませんでした。
今は、あのころの母の立場なのです。
今の自分のこころもちがあの時の母の思いだったのだろうか、と察するだけです。
不思議です。
母は今100歳になろうとしています。
またまた、100歳になろうとしている母の気持ちはわかりようがありません。
思うに、
「一緒に暮らしている弟夫婦によくしてもらっているから、お前からもありがとうと言ってほしい」
それに尽きるのではないかと、これまでの母の言動から、想像しています。
あの時、もういいよ、と言ってくれたことは忘れません。
だから、ちょっとお小遣い持参してもバチが当たらない、と思っています。
母は私からのお小遣いをほしがっているのではなく、お小遣いを渡せるようになった私を喜んでくれるでしょうから。
天下のまわりもの、でしたよね。
な~んだ、似たりよったりなんだな、と思います。
母と私は、当然違うところもしっかり持ち合わせているのですけれど。
いつか、何十年後かに、自分の娘たちも、こんなふうに感じる場面に出くわすことがあるのだろうか、とも思ったりします。