日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

東京から戻る。

2019-04-10 07:20:45 | 家族
入学式にかこつけて、久しぶりの東京行き、でした。
新幹線が東京駅に近づくと、ワタシ、ちょっとボルテージが上がるタイプ?
何だかそのざわつきが経済の機関車部分のような感じを持ってしまいます。

超複雑に配された交通網が的確に回っているのも、単純に感動です。
途上国から日本に来て、「交通機関を運行(操作)していることもそれはすごいけれど、それを普通の人たちが難なく利用していることもすごい」と驚いていたと聞いたけれど、その意見に共感するところがあります。

私は、無駄足することなく、いつものルートでお土産を手にバスで娘宅に。
超高層ビル群が林立する中をバスはいきます。
停まったバス停に自転車用のヘルメットをかぶった4歳児とママが迎えに来ていました。
4歳児には、このエリアが「おうちの近辺」なんですね。
ふぅ~ん、です。

翌日は、花祭りで催し物があったり、縁日も出ているということで築地本願寺に出かけました。
信長に敗退した「石山寺本願寺」のあとに、秀吉の大阪城が築城されたという記憶を呼び起こしながら、興味深々。

築地本願寺って、外観が日本のお寺イメージとは違うので、ビックリ。
関東大震災で焼失後の昭和9年に伊東某氏設計による、インドの寺院を模した形、ということらしいです。
焼失前はどんなお寺だったのだろう、私の中に知りたい持ちは残っています。

そもそも江戸に本願寺ができたのは1617年とのこと。夏の陣の2年後。
最初は浅草あたりにお寺ができたのですが、1657年の明暦の大火で焼失。あの江戸城も焼けた大火です。
その後幕府は、もともとの場所での再建築の許可を与えず、再建を許可した場所は海の部分(今の築地)だったそうです。
佃の信徒たちにより、海は埋め立てられて築地本願寺となったとのこと。

築地市場の移転問題が姦しかったけれど、海水エリアを再建築地に指定した幕府もすごいものですね。埋め立て工事込みのもくろみなのですから。

ちょうど、花祭りの行われる日曜日でしたので、久しぶりにお稚児さん行列を観ました。
(娘も2、3歳の時に経験しています)
「パレードが入ってきます」のアナウンスとともに、白い像を曳いた幼子の行列。チビちゃんたちよりパパママのほうが熱心なのでしょうが、鼓笛隊やらチアガール(?)のダンスやら、皆さん真剣で、物事一生懸命にする姿っていいな、と思いました。

きっとお稚児さんの行列姿って、何百年も続いているのでしょう。不思議!

前置きが、長~くなりましたね。

入学式は祖父母は参加できずで、弟君と留守番。
なんとかお兄ちゃんは小学校生活がすべりだしました。

ママはハラハラっぽいですが、おばあちゃんは外野です。

朝から1日時間があったのに、マンションでゆっくりして、早々に帰路に着きました。
あちこち動き回るのは疲れるし、、、、そう判断してしまう心境でした。
















コメント
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