社会派作品。
『未来を花束にして』
上記をクリックしていただけたら、画面上辺の「ストーリー」の部分を再クリックすることであらすじが出てきます。
1912年のロンドンの労働者(洗濯工場)がストーリ―の中心。
1914年は第一次世界大戦勃発なので、描かれているのはその前。ダウントンアビーでも、社会活動家の話題が出てきて、社会活動にかかわりを持っている使用人である運転手と3女の結婚がテーマとして取り上げられていることもあった。その時も女性に選挙権をという活動が広がりだしている様子も描かれていたのを記憶している。
そんなことも思い出しながら観る。
いつもヨーロッパ上流階級の身に着けている衣服を整えるための下働きの作業って大変だろうな~と思うところがあるものだから(貧乏性 苦笑)洗濯工場が描かれているのも興味深かった。ダウントンクラスの貴族階級は洗濯女も雇っていたでしょうけれど。
主人公、7歳から洗濯工場で働いている。母親は自分が働き出して4年後に他界。父親の名前は知らない。
集会への参加を誘った同僚女性は、娘も8歳から同じ職場で働いている。工場主が若い娘に色目をつけているのを防ぐこともままならない。そして、その女性も彼妊娠中。
生活を考える間も学ぶ機会もなく、気が付けば洗濯女になっている、その繰り返しを何とかしたいと、女性の選挙権獲得運動へと向かっていく様が描かれている。
強硬派の社会活動家パンクハーストと彼女の周りでとられた活動など実話に基づく作品とのこと。
ちなみにパンクハースト役はメリルストリーブです。
かつて、ポルトガルに旅行した時のガイドの女性(ポルトガル人と結婚してポルトガルで暮らしている日本人女性)の言葉を思い出します。
ポルトガルの女性はヨーロッパ(多分西欧という意)の洗濯女だったんですよ、と。
食い扶持を稼ぐためにの労働の一番間口が広かったのは「洗濯女」だったのでしょう。出稼ぎ口だったのでしょうか。
勿論、洗濯機もない時代、手でごしごし洗い、干して、アイロンがけをする、すべて手作業です。
産業(工業)発展のスタート地点が抱えていた問題を映画を通して振り返ることができます(ただし、よその国ですけれど)。
そのイギリスで女性に選挙権が認められたのは1918年だとか。第一歩。先駆者の国です。
確か日本では1925年に普通選挙、ですよね。昔の教科書にあった。ただし、これは、これまで高額納税者じゃないと選挙権なかったのに比べて納税の多寡に関係なく選挙権を持つという意味の「普通選挙」。女性はこの「普通」に入っていなかったんです。
私たちの国が男女同じく選挙権を持つようになったのは終戦後。
この100年って、すごい変化が起きている。つくづく思わされます。
だって、洗濯機にポンと入れれば、乾燥して出来上がってくる時代になったのですから。
あんなひだがたっぷりで引きずるようなドレスは姿を消してしまったのも納得です。
(19世紀印象派の絵画に見られるようなドレス、着飾っていた彼女たちが洗濯することはなかったでしょう)
ワタシ、天邪鬼でしょ。うっふふ。
我が家は、まだドラム式ではなく干していまけどね。
余談ですが、
ああ、貴族階級が舞台の『失われし時を求めて』が発売されヒットしたのも、確かこの時代でしたね。識字階級が社会の上層部に限られていたからの現象でしょうか。
本の中では、いかに財産もちの男(女)と結婚するかの話題が頻繁で(自分で働いて財産を築くものだという発想がない)、庭師(がーディナー)が雇い主(さる貴族の女性)側から見たら人間扱いされていなかった!というセリフも思い出しました。
『未来を花束にして』
上記をクリックしていただけたら、画面上辺の「ストーリー」の部分を再クリックすることであらすじが出てきます。
1912年のロンドンの労働者(洗濯工場)がストーリ―の中心。
1914年は第一次世界大戦勃発なので、描かれているのはその前。ダウントンアビーでも、社会活動家の話題が出てきて、社会活動にかかわりを持っている使用人である運転手と3女の結婚がテーマとして取り上げられていることもあった。その時も女性に選挙権をという活動が広がりだしている様子も描かれていたのを記憶している。
そんなことも思い出しながら観る。
いつもヨーロッパ上流階級の身に着けている衣服を整えるための下働きの作業って大変だろうな~と思うところがあるものだから(貧乏性 苦笑)洗濯工場が描かれているのも興味深かった。ダウントンクラスの貴族階級は洗濯女も雇っていたでしょうけれど。
主人公、7歳から洗濯工場で働いている。母親は自分が働き出して4年後に他界。父親の名前は知らない。
集会への参加を誘った同僚女性は、娘も8歳から同じ職場で働いている。工場主が若い娘に色目をつけているのを防ぐこともままならない。そして、その女性も彼妊娠中。
生活を考える間も学ぶ機会もなく、気が付けば洗濯女になっている、その繰り返しを何とかしたいと、女性の選挙権獲得運動へと向かっていく様が描かれている。
強硬派の社会活動家パンクハーストと彼女の周りでとられた活動など実話に基づく作品とのこと。
ちなみにパンクハースト役はメリルストリーブです。
かつて、ポルトガルに旅行した時のガイドの女性(ポルトガル人と結婚してポルトガルで暮らしている日本人女性)の言葉を思い出します。
ポルトガルの女性はヨーロッパ(多分西欧という意)の洗濯女だったんですよ、と。
食い扶持を稼ぐためにの労働の一番間口が広かったのは「洗濯女」だったのでしょう。出稼ぎ口だったのでしょうか。
勿論、洗濯機もない時代、手でごしごし洗い、干して、アイロンがけをする、すべて手作業です。
産業(工業)発展のスタート地点が抱えていた問題を映画を通して振り返ることができます(ただし、よその国ですけれど)。
そのイギリスで女性に選挙権が認められたのは1918年だとか。第一歩。先駆者の国です。
確か日本では1925年に普通選挙、ですよね。昔の教科書にあった。ただし、これは、これまで高額納税者じゃないと選挙権なかったのに比べて納税の多寡に関係なく選挙権を持つという意味の「普通選挙」。女性はこの「普通」に入っていなかったんです。
私たちの国が男女同じく選挙権を持つようになったのは終戦後。
この100年って、すごい変化が起きている。つくづく思わされます。
だって、洗濯機にポンと入れれば、乾燥して出来上がってくる時代になったのですから。
あんなひだがたっぷりで引きずるようなドレスは姿を消してしまったのも納得です。
(19世紀印象派の絵画に見られるようなドレス、着飾っていた彼女たちが洗濯することはなかったでしょう)
ワタシ、天邪鬼でしょ。うっふふ。
我が家は、まだドラム式ではなく干していまけどね。
余談ですが、
ああ、貴族階級が舞台の『失われし時を求めて』が発売されヒットしたのも、確かこの時代でしたね。識字階級が社会の上層部に限られていたからの現象でしょうか。
本の中では、いかに財産もちの男(女)と結婚するかの話題が頻繁で(自分で働いて財産を築くものだという発想がない)、庭師(がーディナー)が雇い主(さる貴族の女性)側から見たら人間扱いされていなかった!というセリフも思い出しました。