日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画『二人のローマ教皇』を観る。

2019-12-23 07:54:30 | 映画・テレビドラマ・音楽
検索してみたら、今月13日劇場封切で、12月20日にネット配信、とのこと。
20日に配信で22日に視聴しているんだから、オタクだね~ ⇒ ワタシ
予告が少し前から入っていたので、画像はそれとなく目に入っていた、で、「なにか1作」のほどよい時間ある時に、クリックしたというめぐりあわせ。

『二人のローマ教皇』

15世紀後半から数十年(ルネッサンス期ともかさなる)にわたってのバチカンのローマ法王の物語を延々と見続けたこともある。塩野七生さんの著書で読んだキリスト教の変遷も読んだり、司馬遼太郎著の「アイルランド紀行」に描かれていたヨーロッパの宗教の歴史も、自分なりに沈殿しているところがある。
映画では『尼僧物語』の修道院、『オリバーツイスト』の中では、労働している子供たちがそまつなお粥をすすっているのに、司教たちはご馳走を食べている、というシーンが頭にこびりついていたり。そのた異教徒いじめが出てくる作品も数々。

そんな私が、時間があるからなにか、という程度でクリック。

勿論、(実話とはいかないけれど)こうであったかもと思われる物語、とかの字幕が入る。

宗教に身を捧げて生涯を送ってきた二人の聖職者がカリスマとしてではなく、生身の(当然ですが)人間として描かれている。

かつては教皇が食事をするときは、お毒見が3人はいた、というシーンがあって、かつてのドラマを思い出した。毒殺が横行していたから。
先日日本に訪問された現教皇、核兵器反対を強く訴えた内容だったとかニュースが伝えていたけれど、被爆国でそれを反対するものはいない。訴えるのはたやすい。原爆を落とした国でこそ、訴えてほしいものだけれど、そのことについては私は知らない。

去年、広島の原爆資料館を訪問した時、当地在住の高齢のガイドさんと短い話をしました。
オバマさんがこの地を訪問された時の演説に、原爆は悪魔が天からやってきた、という表現であり、自分の国が落としたという表現はなかったですよね、と。
すると、その足を引きずりながら案内役をしていた彼は、「それでもいいのです。アメリカの大統領が広島に足を運んでくれただけでも。大統領としては言えないのでしょう。私たちはそこまで期待しません」と。
原爆投下が戦争を終わらせるためには必要だった、という意見がアメリカでは通っている、と聞いている。

ふぅ~~。

映画の話から、つい横道に行ってしまうクセ、出ましたね。
「ナイロビの蜂」の監督さんだとか。ああ、ひとりで観に行ったな~、と思い出します。まだ、若くて、どこも痛いところはなかった。懐かしい。
ランチしても、こんな思いを吐き出せないから、ついついブログに吐いてしまう。
ブログは、私のおしゃべりを許容してくれる最適のお店です。

最後まで、付き合ってくださった方、ありがとうございます。





コメント
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