日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

歳を重ねて100歳超えると、、、。

2020-07-24 06:24:23 | 母のことなど
コロナ禍のこともあって、母の顔を見に行くのもずいぶん先延ばしになってしまっている。
先日、ビデオ電話をした。
これまでは動画を送ってくれていたのだけれど、こっちの顔(娘の顔)もみたいかな、と思って、ビデオ電話にしてみた。
耳が遠いのでこちらからの声は聴きとれないのだけれど、画像だけでも懐かしがってくれるかな、と。

スマホの小さい画面だったからか、私の顔が見えたのに、、、なんとも、反応が鈍い。
忘れているのではないけれど、こういう時は、こんな言葉が出るだろう、というふつうの対応がもう出ない。

文明の利器で、遠く離れた娘の顔を見られるよ、と息子が工面してくれていることは、理解しているのだけれど、
それだけ。

久しぶりだから、もっと見ていたくないか、といっても、もう、いい、と。

新しい状況を受け入れるのが混乱するようだ。
もう、物事のアレコレを考えることもなくなったんだろうね~、などと弟と話す。

コロナ流行のためにデイサービス利用ができなくなって、ショートスティに滞在する日数が格段に増えた。
以前は、弟が遠征に出かけて留守にするから、ショートステイに行く、と理解していて、ショートステイに行くよ、というと、今度はどこの大会に行くのか、何日に迎えに来るか、と尋ねたりの会話もあったのに、すっかりステージが変わった。
ショートスティでも、しっかりお世話してもらえるので不自由なく生活している感じだ、と。

自宅滞在が5日間ほどとのこと。その5日間の世話が、さぞかし大変だろうと察せられる。
起居がひとりで全くできない。トイレの失敗があっても、自分ではどうすることもできない。

施設より自宅で家族と暮らしたい、と思っていた母だったけれど、もう、そんな主張をする段階は終わったな、と感じた。
施設があるというのは、なんとありがたいことか。
そこで働いていらっしゃる方々の仕事はご苦労なことです。

有給で時間が決められていて、交代があるからできるのでしょう。助かる。

いつもなにか役に立つことを、と考えていた母だったのに(最寄りの保育園にお手玉100個をプレゼントしたのも、80歳を過ぎていた)、今は考えることも、最低限のきわめて身近なことだけ。そうじゃないと辛いから、かもしれない。
ヒトの摂理としてそうなっているのだろうと思う。

100歳を超えて生きるというのはどういうことかと、見せてもらっているわけだけれど、今の私には、そこまではいい、と思う。
自分で自分のことができなくなっても生きていなくてはならないなんて。
なかなか思うようにはいかないのが人生なのだけれど、
だから言えるのは、今を大事に生きる、ということに尽きる。

コメント (2)
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