自家用車で出発。
今月上旬の伊勢志摩行きのときと同じように天気予報では空模様はハズレだけれど、その日の朝は曇天でとどまっている。
3月下旬の京都行きの時は、コロナ禍のための閉館でがっかりした「霊山歴史館」を目指す。
幕末維新の舞台となった京都だからこその資料館です。
京都観光としてはマイナーかなと思ったのだけれど、それなりに来られているようで、広くはない駐車場のスペースはラストワンで、ほっ。
勤皇派、佐幕派双方の資料が展示されている。
これまでにも、書物でみたことある資料もおおいのだけれど、京都の地で見ると、維新の歴史を展示しようという先人の方々の思いも重なって、感慨です。
陳列ケースにの太田垣連月の茶碗。あっ、「無私の日本人」(磯田道史著)の中の3編のうちの一つは、この人だった、と即思い出した。
京都とは知っていたけれど、幕末期には結びついていなかった。
奥まったところの駐車場をなんとか利用できたけれど、メイン道路以外は広くはない京都の道路事情。近場で駐車場が楽そう、というのも選択肢のひとつ、なのです。苦笑
で、知恩院。
ここも、3月に行きたかったのですが、金閣、銀閣という修学旅行コースを優先して、パスになっていました。
宗祖は法然のお寺ですが、知恩院は二条城とともに、近くの京都御所を監視する意図もあって徳川家康が大きな寺院を建造したとあったのに興味がありました。
三門には圧倒されます。
日差しのない曇天の方丈庭園も癒されます。
大方丈の間というのがありました。
ここは身分の高いお武家が使用する部屋と説明されていました。
幕末期、尾張徳川家の当主徳川慶勝(長州征伐の長を命じられたり)が、上洛をしていますが、ここを利用していたのか、と思いながら眺めました。城山三郎著「冬の派閥」
次は「南禅寺」。青蓮院も近くなのですが、駐車場確保でウロウロしていたら、まず、こちらから、ということで。
紅葉シーズンに人気のお寺なのでしょうね。青紅葉が目を癒してくれました。
ホテル着。
GoToトラベルキャンペーン中なのに、肩透かしを食ったみたいに、賑わいはゼロ。
手を消毒をして、連絡先を書いて、エレベーターは4名分の立ち位置が指示されていて、食事は、斜め向かいにテーブルセッティングされていました。大浴場でも、スリッパはビニール袋に入れて各自のロッカーへ。ロッカーの数は3分の1に利用制限。
「密」を避ける配慮がいたるところでされていました。
朝、8時半にホテル出発。
車が大きいこともあって、駐車場でヒヤヒヤしたくないと、一日乗車券のバスで東寺を目指す。私は去年も行ったので再訪。
東寺も何度も焼失溶かしているけれど、徳川家光が大寄進者となって再建されたとか。
金堂の仏像には圧倒される。
江戸初期はあちこちで神社仏閣の建造が絶え間なかったのだろうか、と想像する癖がある。今の東京湾岸エリアでどんどん高層ビルが建てられていくように、それが時代の風物詩であったのかも。
バスで西本願寺へ。
バス路線図を片手にバスに乗っていると、観光客だと一発でわかる。
でも、ワタシら以外で、路線図片手派はゼロ。バスの中は座席にも余裕ありで、混みあってはいない。
全員マスク。
歩いて東本願寺へ。
西本願寺も東本願寺も、浄土真宗のお寺で、規模は総本山だけあって壮大だけれど、実家のお寺の大規模版、のようなところがある。
神棚も仏壇もない生活をしてきたけれど、18歳まで育った実家には神棚も仏壇もあった。
子供時代にも、ない生活しか知らない世代はどう感じるのだろうか。
ホテルの駐車場に戻って、車で京都市美術館に向かう。
京セラ美術館というネーミングになっているらしい。スポンサーなのだろうか。
岡田三郎助、福田平八郎、小磯良平、知っている画家さんの絵は、そのお三方だけ。
美術館を京都市に建設しよう、という当時の企画建設に至る経緯のDVDが、興味深かった。
館内から出たのが14時頃だったので、まだ見学余地はあったのだけれど、夫婦ともども疲れがたまってしまい、早めに帰路につきました。
勿論、マスク着用。小雨が少し程度で、炎天よりはよかったように思います。湿度が高かったからか、マスクの内側が汗で湿ることマックス。
京都の街中、観光バスはゼロ。団体客らしき集団もゼロ。駐車場の車も県外ナンバーは並んでいましたが、東京エリアのナンバーはありませんでした。
見切り発車のようなGOTOトラベルキャンペーン。事後還付申請書の書式がようやく出力できるようになった、とホテルの担当者もあたふた、でした。
現在、疲れも軽快して元気です。
営業はしていてもお客が少なくては、観光地は大変でしょうね。
経済をまわすのも大事と使っているのですが、ひとり10万円の給付金は、もう少し残高があるかしら?
カウントしていませんが拝観料や駐車料金は結構かさんでいます。苦笑
今月上旬の伊勢志摩行きのときと同じように天気予報では空模様はハズレだけれど、その日の朝は曇天でとどまっている。
3月下旬の京都行きの時は、コロナ禍のための閉館でがっかりした「霊山歴史館」を目指す。
幕末維新の舞台となった京都だからこその資料館です。
京都観光としてはマイナーかなと思ったのだけれど、それなりに来られているようで、広くはない駐車場のスペースはラストワンで、ほっ。
勤皇派、佐幕派双方の資料が展示されている。
これまでにも、書物でみたことある資料もおおいのだけれど、京都の地で見ると、維新の歴史を展示しようという先人の方々の思いも重なって、感慨です。
陳列ケースにの太田垣連月の茶碗。あっ、「無私の日本人」(磯田道史著)の中の3編のうちの一つは、この人だった、と即思い出した。
京都とは知っていたけれど、幕末期には結びついていなかった。
奥まったところの駐車場をなんとか利用できたけれど、メイン道路以外は広くはない京都の道路事情。近場で駐車場が楽そう、というのも選択肢のひとつ、なのです。苦笑
で、知恩院。
ここも、3月に行きたかったのですが、金閣、銀閣という修学旅行コースを優先して、パスになっていました。
宗祖は法然のお寺ですが、知恩院は二条城とともに、近くの京都御所を監視する意図もあって徳川家康が大きな寺院を建造したとあったのに興味がありました。
三門には圧倒されます。
日差しのない曇天の方丈庭園も癒されます。
大方丈の間というのがありました。
ここは身分の高いお武家が使用する部屋と説明されていました。
幕末期、尾張徳川家の当主徳川慶勝(長州征伐の長を命じられたり)が、上洛をしていますが、ここを利用していたのか、と思いながら眺めました。城山三郎著「冬の派閥」
次は「南禅寺」。青蓮院も近くなのですが、駐車場確保でウロウロしていたら、まず、こちらから、ということで。
紅葉シーズンに人気のお寺なのでしょうね。青紅葉が目を癒してくれました。
ホテル着。
GoToトラベルキャンペーン中なのに、肩透かしを食ったみたいに、賑わいはゼロ。
手を消毒をして、連絡先を書いて、エレベーターは4名分の立ち位置が指示されていて、食事は、斜め向かいにテーブルセッティングされていました。大浴場でも、スリッパはビニール袋に入れて各自のロッカーへ。ロッカーの数は3分の1に利用制限。
「密」を避ける配慮がいたるところでされていました。
朝、8時半にホテル出発。
車が大きいこともあって、駐車場でヒヤヒヤしたくないと、一日乗車券のバスで東寺を目指す。私は去年も行ったので再訪。
東寺も何度も焼失溶かしているけれど、徳川家光が大寄進者となって再建されたとか。
金堂の仏像には圧倒される。
江戸初期はあちこちで神社仏閣の建造が絶え間なかったのだろうか、と想像する癖がある。今の東京湾岸エリアでどんどん高層ビルが建てられていくように、それが時代の風物詩であったのかも。
バスで西本願寺へ。
バス路線図を片手にバスに乗っていると、観光客だと一発でわかる。
でも、ワタシら以外で、路線図片手派はゼロ。バスの中は座席にも余裕ありで、混みあってはいない。
全員マスク。
歩いて東本願寺へ。
西本願寺も東本願寺も、浄土真宗のお寺で、規模は総本山だけあって壮大だけれど、実家のお寺の大規模版、のようなところがある。
神棚も仏壇もない生活をしてきたけれど、18歳まで育った実家には神棚も仏壇もあった。
子供時代にも、ない生活しか知らない世代はどう感じるのだろうか。
ホテルの駐車場に戻って、車で京都市美術館に向かう。
京セラ美術館というネーミングになっているらしい。スポンサーなのだろうか。
岡田三郎助、福田平八郎、小磯良平、知っている画家さんの絵は、そのお三方だけ。
美術館を京都市に建設しよう、という当時の企画建設に至る経緯のDVDが、興味深かった。
館内から出たのが14時頃だったので、まだ見学余地はあったのだけれど、夫婦ともども疲れがたまってしまい、早めに帰路につきました。
勿論、マスク着用。小雨が少し程度で、炎天よりはよかったように思います。湿度が高かったからか、マスクの内側が汗で湿ることマックス。
京都の街中、観光バスはゼロ。団体客らしき集団もゼロ。駐車場の車も県外ナンバーは並んでいましたが、東京エリアのナンバーはありませんでした。
見切り発車のようなGOTOトラベルキャンペーン。事後還付申請書の書式がようやく出力できるようになった、とホテルの担当者もあたふた、でした。
現在、疲れも軽快して元気です。
営業はしていてもお客が少なくては、観光地は大変でしょうね。
経済をまわすのも大事と使っているのですが、ひとり10万円の給付金は、もう少し残高があるかしら?
カウントしていませんが拝観料や駐車料金は結構かさんでいます。苦笑