昨晩のNHKの「サラメシ」という番組が、週刊朝日の編集部を取材対象にしていました。
最終校が校了の現場シーンも。
へぇー、という感慨。
そういえば滅多にいかない図書館に稀に行っても週刊誌コーナーで週刊朝日を手にすることはなくなっている。
「週刊朝日」と「サンデー毎日」が競い合っていたというイメージが残っているけれど、それはもう随分昔のことになったのか。
週刊朝日という雑誌を始めて手にしたのは、高校の図書館だったかも。大学時代はほぼコンスタントに図書館に行けば週刊朝日を読んでから、、、というパターンだった。
その後の勉強のために図書館通いしているときも、週刊朝日を読むのは娯楽で、「わが家の家計簿」や、「うちの嫁賛」司馬遼太郎の「街道を征く」を読んだり。記憶に残っているシリーズものがいくつもある。ポルポトの悲惨さやカンボジアの解放の詳報を知ったのも週刊朝日。専門書ではないけれど、その時代に起こっている事象を学べる雑誌だった。
そういえば定期購読していて(10年間ほどか)、新聞と一緒に我が家に届いていた時代もあった。朝日ジャーナルが終了してアエラになって、そういえば週刊金曜日というのもあった。
私は新聞大好きだった(旅行などで数日分の未読新聞があると、楽しみが残っている気分になったものです)けれど、すっかり新聞も読まない日々になっている。
朝日新聞から今の経済新聞に変わって、その経済新聞も先ほど値上げの通知が来て、購読を続けるか食卓の話題になった。
とりあえず電子版の購読は中止とした。紙の新聞を止めるかどうかの判断はもう少し先延ばしに。そういう結論になっている我が家に、昨日新聞販売店の方があいさつ代わりのタオル1本持参して訪問された。
値上げで購読者の減少を気遣ってのことでしょう。
多分、子どもたち家庭(40代)は新聞の購読をしていないと思う。私たち世代が「新聞がないとなんか変」という感覚を持つ最後の世代になるのでしょうか。ニュースはスマホに飛び込んでくるし、テレビはAIが読み上げるニュースを報道するようになっている。
さらりと流れた情報でしたが、(編集部の?)正社員が3人だけだった、というのもビックリでした。「週刊朝日」の休刊も流れだったのでしょう。
もうすぐ団塊の世代も後期高齢者に突入する時代になるのですから。
最終校が校了の現場シーンも。
へぇー、という感慨。
そういえば滅多にいかない図書館に稀に行っても週刊誌コーナーで週刊朝日を手にすることはなくなっている。
「週刊朝日」と「サンデー毎日」が競い合っていたというイメージが残っているけれど、それはもう随分昔のことになったのか。
週刊朝日という雑誌を始めて手にしたのは、高校の図書館だったかも。大学時代はほぼコンスタントに図書館に行けば週刊朝日を読んでから、、、というパターンだった。
その後の勉強のために図書館通いしているときも、週刊朝日を読むのは娯楽で、「わが家の家計簿」や、「うちの嫁賛」司馬遼太郎の「街道を征く」を読んだり。記憶に残っているシリーズものがいくつもある。ポルポトの悲惨さやカンボジアの解放の詳報を知ったのも週刊朝日。専門書ではないけれど、その時代に起こっている事象を学べる雑誌だった。
そういえば定期購読していて(10年間ほどか)、新聞と一緒に我が家に届いていた時代もあった。朝日ジャーナルが終了してアエラになって、そういえば週刊金曜日というのもあった。
私は新聞大好きだった(旅行などで数日分の未読新聞があると、楽しみが残っている気分になったものです)けれど、すっかり新聞も読まない日々になっている。
朝日新聞から今の経済新聞に変わって、その経済新聞も先ほど値上げの通知が来て、購読を続けるか食卓の話題になった。
とりあえず電子版の購読は中止とした。紙の新聞を止めるかどうかの判断はもう少し先延ばしに。そういう結論になっている我が家に、昨日新聞販売店の方があいさつ代わりのタオル1本持参して訪問された。
値上げで購読者の減少を気遣ってのことでしょう。
多分、子どもたち家庭(40代)は新聞の購読をしていないと思う。私たち世代が「新聞がないとなんか変」という感覚を持つ最後の世代になるのでしょうか。ニュースはスマホに飛び込んでくるし、テレビはAIが読み上げるニュースを報道するようになっている。
さらりと流れた情報でしたが、(編集部の?)正社員が3人だけだった、というのもビックリでした。「週刊朝日」の休刊も流れだったのでしょう。
もうすぐ団塊の世代も後期高齢者に突入する時代になるのですから。