日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

「胃ろうの患者にエイリアン発言」との新聞記事

2012-02-07 15:52:31 | 社会問題
自民党の石原伸晃氏が、意識のない沢山の患者がベットにならんで異ろうで栄養補給している様子を見学して、エイリアンみたいと表現したとか。その発言に対して、厚生労働大臣が、言葉を慎重にと指摘の新聞記事あり。
産経ニュース
エイリアンとは、言葉がすぎるけれど、意識がない状態で、延々と胃にあけた穴を通して栄養を補給した状態で生きることが、本人が生きていることなのだろうか。
家族が、それでも命を終わりにしたくない、その状態でも生きていて欲しい、と希望するのであれば、その希望するひと(または家族)が、医療費を支出するというのはどうだろうか。100パーセントでなくても、負担増になる仕組みにするとか。
医療技術の進歩で、意識がなくなってからも延々と命を長らえさせることができる社会になった。良いことだろう。だけれど、膨大な赤字を抱える財政下で、国の保健で賄い続けるのは適切なことなのだろうか。
医療保険の使われ方については知らない。先日、生活保護者(本人負担ゼロ)が頻繁に通院している実態が話題になった。
医療保険は適切に使われてほしいものです。

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2 コメント

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姥捨て山を思います。 (serena)
2012-02-07 22:03:57
昔、たとえまだ元気で家事位は出来trも、老いた母親を山に捨てた時代、単に口減らし工作だったことなど思うと、生きる屍状態で生き続けることの意味を考えざるをえませんね。その当人に生きていることの楽しさがあるのでしょうか。例えば家族の訪問を嬉しいと感じたりすることが出来るのかどうか。
おっしゃる通りだと思います。提案には同意です。
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状態に差はあるのかも知れないけれど (街中の案山子)
2012-02-08 07:06:54
意識のない植物状態のケースについて、栄養補給し続ければ、相当な長期間の延命は可能だと聞きました。
病状が急転して植物状態になって直ぐ、「治療ストップ」は、家族として忍びない、という人も多いのでしょう。例えば、数ヶ月の植物状態が続き、改善の見込みがないときに、治療中止が出来るような取り決め(法律)も必要だと思います。
そして、記事に書いたように、自己負担率を上げる(本人の生活がベットの上だけなのだから、年金月額までは可能?)方法で、医療保険の赤字増大にならないようにというのはどうでしょうか。
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