20日にドイツで開催された欧米諸国の関係者によるロシアのウクライナ侵攻に対する今後の対応を協議したというニュースは重い。
ウクライナはドイツの戦車レオバルト2の提供を要求しているという。現在ウクライナで使われている戦車は旧ソ連製の古いもので戦車の乗員の位置が戦車の火薬庫の上にあるので被弾すると戦士も全滅を免れない仕組みだという。
ドイツ製の高性能のレオバルト2は高性能を備えていて、現在3000両が製造国のドイツだけでなくヨーロッパ諸国に配置されている状況だという。ウクライナは300両のレオバルト2の提供を望んでいる。
イギリスは自国の戦車2台(?)提供を申し出たけれど、ドイツのシュルツ首相は対応を渋っている。
ポーランドやフィンランドは自国所有のドイツから輸入したレオポルト2を出してもいい、と申し出ているけれど、製造国ドイツの了解なくしては他国に渡してはいけないというルールがあるので、ドイツの了解がないと動けない状況です。
20日の協議では、判断先送りになったとか。ポーランドの首相はドイツの了解なくて提供しても構わないとゼレンスキー大統領に申出たとのニュースもある。
シュルツ首相としては、ウクライナ支援については全面協力の意向に変わりがないのだけれど、まずアメリカが第1陣で戦車を提供すると、そくドイツも応じる(一番手にはなりたくない)といえ意向。
アメリカもベトナム戦争やアフガンの戦闘の教訓から、他国の戦争に自国民の血を流したくない、という一線を守り、かつどれだけ能動的にかかわるかで、測っているところがある。
どうしたらいいのか。
国境線を超えて理不尽にミサイルを撃ち込んできているこの状況は、なんとしても止めなくてはならない。世界中に状況が発信される。アメリカの軍事担当者の発言の中だったと思うけれど「(この状況を)ヨーロッパが見ている。世界が見ている。歴史が見ている」と表現していた。「歴史も見ている」だな、と思った。
私たちが歩んできた、マイナスの歴史を少しでも避けるためには、今どう選択すべきか、ということなのでしょうね。
ドイツは対ソ戦の歴史を再び取りざたされるのを避けたいだろうし、アメリカは核の投下を実践しているし、その後の戦争でも反省材料をたくさん抱えています。
歴史は繰り返される、ともいうし、同じ歴史はない、ともいう。
ムダに命が失われるとなく、武力が国境を決めるという野蛮が終わることを願うばかりです。
昨日みた録画、太平洋戦争中の少年兵士を扱ったドキュメンタリーで、
軍隊で「人命は鴻毛よりも軽し」と教えられたから、当時は死ぬことを怖いことだと思っていなかった、という証言がありました。
今、プーチン大統領は、兵士を送り出している母親たち(「さくら」かもしれない)に「人は必ず死ぬ。どういう生き方をするかが大事。国のために死ぬのは意義のあることだ」と語っている場面もニュースでみた。
かつての日本軍が国民に説いていたことと共通する、と気づかされる。戦中とはこういう扇動がまかり通っていくものなのですね。
ウクライナはドイツの戦車レオバルト2の提供を要求しているという。現在ウクライナで使われている戦車は旧ソ連製の古いもので戦車の乗員の位置が戦車の火薬庫の上にあるので被弾すると戦士も全滅を免れない仕組みだという。
ドイツ製の高性能のレオバルト2は高性能を備えていて、現在3000両が製造国のドイツだけでなくヨーロッパ諸国に配置されている状況だという。ウクライナは300両のレオバルト2の提供を望んでいる。
イギリスは自国の戦車2台(?)提供を申し出たけれど、ドイツのシュルツ首相は対応を渋っている。
ポーランドやフィンランドは自国所有のドイツから輸入したレオポルト2を出してもいい、と申し出ているけれど、製造国ドイツの了解なくしては他国に渡してはいけないというルールがあるので、ドイツの了解がないと動けない状況です。
20日の協議では、判断先送りになったとか。ポーランドの首相はドイツの了解なくて提供しても構わないとゼレンスキー大統領に申出たとのニュースもある。
シュルツ首相としては、ウクライナ支援については全面協力の意向に変わりがないのだけれど、まずアメリカが第1陣で戦車を提供すると、そくドイツも応じる(一番手にはなりたくない)といえ意向。
アメリカもベトナム戦争やアフガンの戦闘の教訓から、他国の戦争に自国民の血を流したくない、という一線を守り、かつどれだけ能動的にかかわるかで、測っているところがある。
どうしたらいいのか。
国境線を超えて理不尽にミサイルを撃ち込んできているこの状況は、なんとしても止めなくてはならない。世界中に状況が発信される。アメリカの軍事担当者の発言の中だったと思うけれど「(この状況を)ヨーロッパが見ている。世界が見ている。歴史が見ている」と表現していた。「歴史も見ている」だな、と思った。
私たちが歩んできた、マイナスの歴史を少しでも避けるためには、今どう選択すべきか、ということなのでしょうね。
ドイツは対ソ戦の歴史を再び取りざたされるのを避けたいだろうし、アメリカは核の投下を実践しているし、その後の戦争でも反省材料をたくさん抱えています。
歴史は繰り返される、ともいうし、同じ歴史はない、ともいう。
ムダに命が失われるとなく、武力が国境を決めるという野蛮が終わることを願うばかりです。
昨日みた録画、太平洋戦争中の少年兵士を扱ったドキュメンタリーで、
軍隊で「人命は鴻毛よりも軽し」と教えられたから、当時は死ぬことを怖いことだと思っていなかった、という証言がありました。
今、プーチン大統領は、兵士を送り出している母親たち(「さくら」かもしれない)に「人は必ず死ぬ。どういう生き方をするかが大事。国のために死ぬのは意義のあることだ」と語っている場面もニュースでみた。
かつての日本軍が国民に説いていたことと共通する、と気づかされる。戦中とはこういう扇動がまかり通っていくものなのですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます