日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

食あたり(?)を始めて体験。

2007-04-11 08:07:20 | 私の雑感あれこれ
その朝もいつもどおりのウォーキングをした。
新聞に目を通していると、妙にムカムカしはじめた。
なに?これ!?
トイレに駆け込む。嘔吐。
トイレと往復すること三度、四度。
出勤前、少し休もうとベットへ。
横になると幾分楽だけれど、熱も出始めたのか、起き上がれる状態ではなくなった。
私の体調が悪いときは、いつもお医者さんにいけないぐらいしんどい(苦笑)。
食べたものが悪かったのか、風邪なのか?
二日置いたアサリのクリーム煮を朝食べたのは私ひとり。
多分、それが原因か?
とにかく、何度も嘔吐したから、あとは体調回復を自分の治癒能力に任せるほかない。
ということで、その日は一日休暇。
ひと寝入りできたお昼ごろには、幾分朝より回復していたから、少し安堵。
「眠る」ということも薬なのだろうか、朝から、二度、三度と眠りにつける。
そして、「発熱」したことも、体内毒素との戦いのためなのだろう。
夕方には、すっかり熱も下がり、身体も軽くなっていた。

おかしいな、と思う。
滅多にないことだけれど、私がダウンすると、お医者さんどころか、置き薬を取りに階下へ行くこともできず、ただ寝るだけ。
朝から、何も摂らず、よって排泄もせず、黙々と眠り続けた。
夕食の支度時には動けるようになっていたけれど、
「アサリを二日間、おきっぱなしにしていた」
「本当はボクが食べるところだった」
それを何度か繰り返し、聞かされた。
確かに、私が悪かったし、食べたのが私でよかった。
本当にそう思う。

苦しかった一日だった。
でも、第一には、仕事を休む事態になったことを、責められているんだ私。
とそう思ってしまう。

回復してから初めて出たオシッコが異常に濃かった。
腎臓か白血球か知らないけれど、私の体のために、黙々と作用してくれていたのだと、感謝の思いでトイレの水を流した。

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84年頃のこと。

2007-04-03 08:17:25 | 私の雑感あれこれ
「申込んだのは私です。ありがとうございます。引き受けたいのですが、小さな子供がいますので、預かってくれる保育所を確保してから返事をしたいと思います」

それから、モチロン、必要に迫られての保育所探しの電話をかけた。
「今、働いていない私」「これから働く私」には、我が子を保育所に預けるハードルは高くて無理でした。
親も遠隔地、親戚もなく、ましてや、転勤族をやめて、はじめての土地に暮らし始めて1、2ヶ月しか経っていないから、知り合いもなく。
定住することになったから…、その気持ちが強くて、早々に3歳の子供を連れて、市の教育委員会に非常勤講師の申し込みをしてきていたのでした。
申込みして1週間後ぐらいの電話だったから、本当に反応があるのだと、うれしかったのだけれど、顛末は前述の通り。
その後は再度非常勤講師の電話はかかってこなかった。
これらのやり取りがあったのは、ずっと以前、84年のことです。
何かできないかと、末子を9月から幼稚園に入れて、資格取得の通信教育を受け始めたのもそのころです。
末子の通園仲間のお兄ちゃんの家庭教師をはじめたのは、その翌年から。
こうして辿ってくると、自分の過ごした1年1年のココロモチも思い出します。
ほぼフルタイムの仕事に入ったのは、末子が小学生になる4月からでした

昨今、「職場に託児所ができて…」と、ニュースで流れます。
「よかったね」
そう、ココロの中で声をかけている自分がいます。
少子化、少子化と叫ばれ続け、これは問題だと認識され始めたことで、やっと、役所や企業が、女性の思いへ心を配るようになったのだと思います。

「有能な女性を手放したくないから」
「企業も、女性を戦力として認めた」
きっと、そうなのですよ。皆さんかんばってくださいね。

新聞で、84年に始まった富良野塾があと3年で閉鎖という記事を読んで、私の1984年を思い出したものですから。
ここに、つれづれの記録として。


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彼女たちの初出勤?

2007-04-02 15:41:56 | 私の雑感あれこれ
職場のあるビルが、地下鉄の出口前であることから、しばしば道を尋ねられます。
○○会館は?
△△協会は?
◎◎センターは?
年度始めは、さしづめ研修の会場を地図を片手にウロウロしている新人君が目に付きます。
今日、郵便局で番号札を持って順番を待っていると、見るから新人と思える3人の彼女たち、局内に入ってくるなり窓口の職員に地図を差し出して道を尋ねはじめたのです。
えぇ!
みんな順番待ちなのに・・・。
道筋を尋ねるのだとしたら、郵便職員の手を止めなくても、他の人で(順番待ちの手持ち無沙汰にしている人も2,3人)用が足りるのに・・・。
ちょっと小母さんは、思いました。
時間が迫るのに、判らなかったから、遅刻しそうで、あせったのかしら。
きっと、タブン、あなたたちがこれから受けるかもしれない研修でも、こんな割り込み、イケナイヨ、そんなこと教えたりもするのでしょうか。


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四月朔日(わたぬき)を実感しました。

2007-04-02 08:14:07 | 私の雑感あれこれ
四月朔日を「わたぬき」と読むことを知ったのは、クラスにそんな苗字のひとがいたから。
朔日って、一日のことだとも、あわせて知りました。
四月一日が、「わたぬき」と呼ぶのは、暖かくなり、綿入れの着物である必要がない、暖かさになること。
1月の末「ウォーキング」を始めた頃は、防寒服に手袋も欲しくなるほどの寒さだったのに、今日からトレーナー1枚になりました。
薄暗い中でも、歩く私を見送ってくれていたかのようだった路傍の水仙群も、花びらに元気がなくなってきていました。
春の花に交替の季なのでしょう。
四月朔日、私にも当てはまっている!
こんな表現があることも、日本人が季節に寄り添って生きてきた証。
私たちの祖先が農耕民族である先人のことを、少し思いました。
こんな粋な言い回し考えたのは歌を作る遠い時代の文人かしら。
今の時代は、今日が年度始め。
私個人は、先週の続きの生活です。
実感しているのは、先週あたりから通勤電車にスーツの着こなしが不慣れな新人君が目に付くようになったこと。
それぞれの滑り出し、上手くいきますように。

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久しぶりに出会った人から・・・

2007-04-01 07:37:06 | 私の雑感あれこれ
珍しく、週日の午前に近所のスーパーで買い物していたら、ほんと!10年近くの、「お久しぶりの知り合い」に出会った。
彼女、かつてのテニス仲間。
彼女、薬剤師さん。彼女はパートの薬剤師をしながら、お嬢さん(お会いしたことはないけれど)の中学、高校、大学、就職ぐらいの期間を、一緒にテニスしていました。
その間の私は、小学生3人の子持ち時代。仕事と子育てで手一杯の中でのテニスでした。
「変わんないね」「そちらも、変わんないね」と、言いながら、年月の流れたことを、周りの環境の変化(それぞれの子供の巣立ち)で数えている。
私には、おいしいところ(都合のいいところ)を拾う癖があるから、彼女から貰った、言葉を何度か反芻している。

「あなたは、あの頃は、随分がんばっていたわね」
…そうだ、帰りは、10分でも、5分でも早く家につきたい。ご飯を待ちくたびれていることもに、出来合いではない夕食を作らなくては…。
そんな日々の連続だった。

「あなたは、今、一番、なんでもできる季(とき)よ」
10歳ぐらいは年上であろうか。
彼女から見た私は、まだ若いのだ。

近頃は、こまごまとしたことが面倒になってきているのは確かです。
自分に「…いいかな、もう」という気持ちが、沸いてくることもないではありません。
そんな自分に、「あなたは、今、一番、なんでもできる季(とき)よ」と、掛けられた言葉が、しおれかけた草花への水のように、少しだけれど、自分勝手の解釈だろうけれど、得心しました。
年配者が年下に掛ける言葉として、「そんなこと、あたりまえよ」と、一笑に付されることでしょう。
でも、「キミって、アルツハイマー?」なんて、毒舌が、飛んでくる環境にいるもので(笑い)、草花ならしおれてしまおうかな、そう思うこともあったわけです。

そんな疲労感があったものですから、すこし、うれしい言葉でした。




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