詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

『田村隆一全詩集』を読む(102 )

2009-06-01 00:52:54 | 田村隆一

 『花の町』(1996年)。「樫の木のベンチには」という作品に「肉眼」が出てくる。そのつかい方が少しかわっている。「肉眼」が何かを見る、というつかい方ではないのだ。

炎のような真紅のカンナ
ゴッホの黄色を再現してくれた

クロトンの葉と葉のカーニバル そして
ベンチがただ一つ

樫の木のカーブが 人間の心の曲線を
まざまざと肉眼に見せつけてくれて

このベンチに坐る義務のあるものは
夢多き女性 その夢と夢に破れた青年よ

熱気球で モンブランか キリマンジャロの
雪をめざして飛んで行け!

樫の木のベンチには だれも
腰をおろしてはいけない

 クロトン(観葉植物)を見たときのことを書いているのだろう。そこに樫の木のベンチがある。そのベンチにはカーブしたところがある。その「曲線」が「心の曲線」として「肉眼」に見えてくる。
 しかし、それは「肉眼」が発見したものではなく、むこうから「肉眼」に向かってやってきたのである。
 「見せつける」とは、そういうことだろう。自分から進んで見るのではなく、自分以外のものが、むこうからやって来る。しかし、なぜ、それは「目」ではなく、「肉眼」にやってくるのか。
 それは樫の木のベンチそのものが「肉眼」によってつくられたからである。そのベンチをつくった人は「肉眼」でベンチを見ていた。ベンチのカーブ(尻をのせる部分から背もたれにかけてのカーブだろうか)をつくりだしたのは「肉眼」をもった職人だったのだ。「肉眼」によって「物」はつくられる。そして、田村によれば「物」をつくる人は<物>でもある。そこにあるのは、ベンチではない。そこにあるのは、「肉眼」の対話であり、「物」と<物>の対話である。
 そして、このときの、対話はとても不思議である。
 4連目。

このベンチに坐る義務のあるものは
夢多き女性 その夢と夢に破れた青年よ

 「このベンチに坐る義務のあるものは」と書きはじめているが、その「義務のあるもの」が何なのか、よくわからない。
 一読すると、「夢多き女性」も「夢」も「夢に破れた青年」も「義務のあるもの」のように読める。しかし、その「夢多き女性 その夢と夢に破れた青年よ」は次の連の「雪をめざして飛んで行け!」という呼びかけにつながっている。
 「坐る義務のあるもの」はだれ? 何?
 それは、しかし、「雪をめざして飛んで行け!」と呼びかけられた「夢多き女性 その夢と夢に破れた青年よ」以外にない。
 これでは「矛盾」である。
 そして、この「矛盾」が、何度も書いてきたが、田村の「思想」である。

このベンチに坐る義務のあるものは
(略)
樫の木のベンチには だれも
腰をおろしてはいけない

 途中を、「略」でかこってみるとよく分かる。田村の「矛盾」がよくわかる。「坐る義務のあるものは」「腰をおろしてはいけない」のである。義務があるのに、その義務を拒絶しなければならない。その矛盾のなかに「肉眼」のすべてがある。義務のあるものが義務を拒絶する--そのときの矛盾に満ちた対話。それが「樫の木のベンチ」とともにある。
 クロトンの葉、その葉のなかの緑ではなく、真紅と黄色を見た瞬間に、田村はそれにぶつかったのだ。クロトンの葉は、人間が「ベンチ」という「物」をつくるように、「色」という「物」をつくっている。そのとき、そこには、きっと「矛盾」がある。
 「矛盾」がぶつかりあって、「肉眼」を目覚めさせているのだ。

詩と批評A (1969年)
田村 隆一
思潮社

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『田村隆一全詩集』を読む(101 )

2009-05-31 00:12:53 | 田村隆一

 「讃歌」は「やっと/あなたに会えた」ではじまり、「やっと/あなたに会えた」でおわる詩である。「あなた」とはだれか。私は「詩」と読みとった。

断片のなかに
破片のなかに
全体像がふくまれていなかったら

断片は断片にすぎない
破片は破片にすぎない

 このとき「全体像」とは、想像力が描き出す「姿」である。「断片」「破片」を「ことば」と置き換えてみると、とてもおもしろい。
 「ことば」はそれ自体として、「全体像」をふくんでいる。
 そして、その「全体像」とは「矛盾」が引き起こす運動のことである。

窓だけあって部屋がない
部屋だけあって窓がない

ぼくが経験した世界の狂ったデザインのなかから
生れた
灰とエロスの有機物

 「狂ったデザイン」。それは、田村の「ことば」があえて「狂わせた」デザインである。田村の「ことば」は世界を「矛盾」のなかで描き出す。そして、「矛盾」をぶつけあい、叩き壊す。その叩き壊された断片、破片は、元の形の「全体像」をふくんでいるのではない。これから生まれる新しい全体像をふくんでいる。
 だからこそ、「有機物」である。

 詩は、叩き壊されたことばが、新しく再生していくとき、その変化のなかに輝く。



ぼくの遊覧船 (1975年)
田村 隆一
文芸春秋

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『田村隆一全詩集』を読む(100 )

2009-05-30 00:48:07 | 田村隆一
 「定型」という作品。

死が
色彩のなかから生れる
定型とは
知らなかった

ならば
生は不定形だ
動脈と静脈のリズムから
生れたばかりに

それで人は
ウイスキーという不定型な液体で
心を定型にしようとするのだ

猫は知らない

 2連目がおもしろい。「死が/色彩のなかから生れる/定型」であると田村がどのような経緯で知ったのか、この詩からはわからない。また、ここで書かれている「定型」も私にはわからない。「定型」って何?
 2連目がおもしろい、というのは、そのわからないものを前提にして「ならば」とことばが動いていくからである。
 田村は、「死が/色彩のなかから生れる/定型」であることは知った。そして、そのことをもとにして「知らない」ものを推測している。「生」を田村は知らない。知らないから、知っているものをもとに、それを推測する。反対のものを想像する。「死」と「生」は反対である。「定型」と「不定型」は反対である。では、「色彩」の反対は? 「リズム」と田村は考えている。リズムは音楽かもしれない。
 そして、その「リズム」のなかに「動脈」「静脈」という逆の動きがある。地はただ一方へ動いていくのではない。往復する。循環する。それが「リズム」だ。
 そこから、田村はさらに推測する。
 3連目。「それで」……「するのだ」。
 そんなふうにして、「ならば」「それで」とことばを動かしていく。そういう動きそのものは「推測」の「定型」である。しかし、その「定型」はきまった結論にたどりつくわけではない。どこへたどりつくかわからない。結論は「不定型」である。「定型」→「不定型」という動きがここにある。
 しかし、これはとても奇妙な(?)動きである。ひとのいのちは「死」からははじまらない。「生」からはじまる。田村は、その動きを「死」から、逆にたどっている。推測している。
 3連目の「それで」からはじまることばの運動--それが「結論」にたどりついているのかどうか、それはよくわからない。
 4連目の「猫は知らない」は何を知らないというのだろうか。
 たぶん、これまで書いてきたような、ことばの運動を知らないということだろう。「ならば」という推論。「それで」という強引な展開。
 人間は、ことばをそんなふうに動かしながら、不定型を生きる。
 田村のことばのなかには、「ならば」「それで」というような表現は少ない。少ないけれど、意識の奥にはそういう運動があるのだろう。
 詩が短いゆえに、逆に、そういう隠れたものが浮き上がってきたのかもしれない。

 「耳」にも、「定型」に似た部分がある。

耳は
トルソの深部にある

どんな閃光を耳は聞くのか
どんな暗闇の光を耳はとらえるのか

それで
午睡の人が
物になる瞬間

その周囲に
やさしい色彩の波が
音もなく満ちてきて 白い

波頭は見えない

 2連目の「耳」が「閃光」を「聞く」というのは、田村が何度か書いている感覚の融合である。「耳」は見るのか、と書いた方がすっきりするかもしれないけれど(他の作品で田村が書いている表現と整合性がとれるかもしれないけれど)、ここでは「動詞」は「耳」に従属させている。そのあとに「暗闇の光」と矛盾したことばを書くための助走かもしれない。「暗闇の光」とは暗闇のなかにある光ではなく、暗闇そのものが光であるととらえた方がおもしろい。「矛盾」が強烈になる。(暗闇のなかにある光では、矛盾が生まれない。)それを「耳」は、どう「とらえる」か。この、「とらえる」は「聞く」か、「見る」か。もちろん、「見る」である。「見る」でなければならない。
 「耳」は「暗闇の光」という矛盾を「見る」。それを「見る」ことができるのは、「耳」が「肉・耳」になっているからである。「肉」を経由することで、感覚が融合する。
 そのあと。
 3連目。「それで」ということばで、ことばが「論理的」に動いていく。もちろん、この「論理的」というのは、科学的ということとは違う。ことばが、ことばの力を借りて、自律して動く、その自律性のことである。

それで
午睡の人が
物になる瞬間

 「それで」にことばを補うとすれば、「耳」が「肉・耳」になり、感覚の融合が起きるので、ということになるだろう。感覚の融合が起き、ひとの感覚器官が「肉・耳」「肉・眼」というものになるとき、人間そのものが「物」になる。
 人間が「物」になるとき、あらゆる色彩、つまり「死」がまわりに押し寄せる。それは死に詩人が押しつぶされるということではない。死が、いのちに生まれ変わろうと押し寄せる、ということだ。
 5連目。「波頭が見えない」のは、「波頭」が「肉・眼」には聞こえるからだ。「肉・耳」は「音」を聞かず、つまり「音もなく」押し寄せてくる死の色彩が「白」であることを「見る」。そして、そのとき「肉・眼」は白い「波頭」を見るのではなく(見えない)、「肉・耳」が聞き逃した「音もなく満ちて」くる、その音を「聞く」のである。
 動脈と静脈のなかを流れる血が循環するように、「肉・耳」「肉・眼」のなかで、見る・聞くが循環し、入れ代わる。融合する。そのとき、人間は「人間」ではなく、「物」になる。
 「トルソ」になる。



半七捕物帳を歩く―ぼくの東京遊覧 (1980年)
田村 隆一
双葉社

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『田村隆一全詩集』を読む(99)

2009-05-29 00:28:22 | 田村隆一

 『TORSO』(1992年)。「位置」という作品。短い。とても緊張感がある。

トルソ 悲しみの
トルソが誕生するには
破片

断片とが
一瞬のうちに集ってこなければならない

トルソ エロスの
トルソが呼吸するまえに
破片と断片とは
もとの位置にさがるべきだ

そしてトルソは
物質になる

 「破片」と「断片」はどう違うのか。この作品では何の説明もない。田村はそのふたつを区別している。その破片と断片の関係に似たものに、「悲しみ」(1連目)と「エロス」(2連目)があり、「誕生」(1連目)と「呼吸」(2連目)がある。そして、それが似たものとして呼応するとしたら……。
 1連目「集る」(集ってこなければならない)と2連目「さがる=離れる」(もとの位置にさがる)は似たものとして呼応しなければならないことになる。
 ここに田村の特徴がある。
 「集まる」と「離れる」はもちろん「同じ」でもなければ「似てもいない」。まったく反対のものである。その反対のものが同じである。似ている、というのは「矛盾」である。「矛盾」こそが田村の詩の神髄である。
 そして、その矛盾の中で

そしてトルソは
物質になる

 「なる」、という世界が登場する。

 この詩が緊迫感に満ちているのは、そこに田村の思想が凝縮しているからである。
 「矛盾」と「なる」は次の詩に引き継がれる。「物」。

物質となって
トルソの内面に色彩の
親和力が生れる

その力がなければ
あらゆる物質は崩壊するにちがいない
都市も
国家も

 「親和力」と呼ばれているのは何だろうか。「矛盾」、つまり相反するもの、つまりまっこく別個のものが、同時に存在するとき、それを結びつけるものとしてはたらく力である。親和力が存在するためには、違ったもの、ことなったもの、別個のものが存在しなければならない。--つまり「矛盾」が存在しなければならない。

 田村のことばは、いつでも「矛盾」とともに動いている。





靴をはいた青空〈3〉―詩人達のファンタジー (1981年)
田村 隆一,岸田 衿子,鈴木 志郎康,岸田 今日子,矢川 澄子,伊藤 比呂美
出帆新社

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『田村隆一全詩集』を読む(98)

2009-05-28 00:02:27 | 田村隆一

 『絵本 火垂るの墓』(1987年)。私が読んでいるテキスト『全詩集』(思潮社版)には「絵」はない。文字だけである。
 この作品では「あつい」と「つめたい」が繰り返される。

大きな鳥 ぎんいろの鳥
アメリカ生れの 大きな鳥
その鳥が 熱(あつ)い卵(たまご)を
たくさん 産(う)んだ

熱い卵は 知ってる家
知ってるオバさん あそんでくれた
おにいちゃん 子どもたち
犬も 猫(ねこ)も もやしてくれる

熱い卵 つめたい心
おにいちゃんの 熱い腕(うで) あつい心
いくら 水があったって
あつい心の 火は消せない

 野坂昭如の『火垂るの墓』の語り直しである。
 「熱い卵」の「つめたい心」のせいで、生きているいのちは「もえて」「つめたく」なる。けれども、そのいのちの「あついこころ」はなくならない。
 後半が、特にせつない。

あつい光
つめたいからだ

太陽の 子どもたち

みんなが
かえる 口笛(くちぶえ)を ふきながら

おにいちゃん わたしの 頭の
うしろを もんでくれる

あつい心がうまれるように
つめたいからだが よくなるように

わたしは ねむくなった
つめたいからだ

あつい涙(なみだ)が チョッピリ
ながれた

 せつなさは、「あつい心がうまれるように/つめたいからだが よくなるように」の繰り返される「ように」に結晶する。「ように」のあとには、ことばが省略されている。「祈りながら」「願いながら」ということばが。



青いライオンと金色のウイスキー (1975年)
田村 隆一
筑摩書房

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『田村隆一全詩集』を読む(97)

2009-05-27 00:18:47 | 田村隆一

 「第八景 夜の江ノ電」。この作品には「江ノ電について」という注釈がついている。その最後の部分。

 その景観は、小さなカーブをいくつも曲がりながら家の軒先・生垣をかすめ、車と並んで路面電車になり、湘南の波を眺めながら海岸線を辿り、やがて高架鉄道にもなる。
 古都鎌倉の新しい情緒である。

 「新しい情緒」。「夜の江ノ電」から見える風景、そして、その風景を見て動くこころの動きを「新しい情緒」と田村は定義している。
 具体的に見るとどうなるか。田村が描いた「夜の江ノ電」から何が見えるか。

腰越は鎌倉という村の入口で
ここまででポルノのポスターやブス猫はおしまい
江ノ電は
まず高架鉄道を走り
それから
路面電車にかわり
ポルノのポスターの可愛いお婆ちゃんに別れをつげると
文化人が住んでいる
鎌倉村に入っていく
たった十キロの藤沢-鎌倉の距離で
よくも文化村と云ったものだ
ぼくは
人の顔と別れをつげて
腰越から
鎌倉に入る

 ポルノのポスター、しかも可愛いお婆ちゃん。それはアンバランスである。アンバランスというのもひとつの「矛盾」である。調和とは正反対にあるもの。その「正反対」という感覚を引き起こすものが「矛盾」である。
 アンバランスは、感覚を覚醒させる。少なくとも、既成の感覚、美意識というようなものをひっくりかえす。そのとき、いつも見ていた風景も新しくなる。
 「新しい情緒」と田村がいうとき、重要なのは「情緒」ではなく、「新しい」である。そして「新しい」ものには「情緒」があるのだ。

ブンカジン大嫌い
夜の海が前面にひろがる
漁火が見える 小さな灯台の光が見える
相模湾の黒くて青い水平線

 「大嫌い」が田村の視線を「ひと」から遠いものへと引っぱっていく。それは「大嫌い」によって、「新しく」洗われた風景である。誰もが見る風景も、「大嫌い」という気持ちといっしょに見ると違ったものに見えてくる。「新しく」なる。

こんな愉快な村はめったにない
宗教法人税法のおかげで
説教したがる坊主に
妾が四人もいるとは
ちっとも知らなかった 夜の江ノ電の
窓から見える
白い波頭 夜のなかの

白い波頭
乗客は
ぼく一人

 「新しい」はまた「知らなかった」ということでもあるのだが、その「知らなかった」は実は知っていたということでもある。「坊主」が「妾を四人もっている」というような世界、そういうものがあることくらい田村は知っている。そういうことは話にも聞けば、本でも読んだことがあるだろう。そういう知っているはずのことが、「大嫌い」というアンバランスのなかで、もう一度見えてくる。
 その、もう一度見えてくる、ということが詩なのである。
 「新しく」というのは、実は「古い」ものがもう一度見えてくるということである。「古い」もののなかには、なにかしら「気持ち(感情)」というものが残っている。それが「新しい」何かに触れて「情緒」を引き出すのである。「情緒」というものは、たいていが「古い」。いわばなじみのあるものである。それがアンバランスな何かによって洗い清められ、「新しく」なる。
 「古い」ものが「新しくなる」というのも、矛盾である。矛盾だから、そこに詩がある。

 「ちっとも知らなかった」以後の、「1字あき」、行わたり、改行--その、いっしゅのぎくしゃくとした動き、ぎくしゃくのなかに、「新しい」ものがある。ぎくしゃくが、既成のものを新しくする。
 田村は、なめらかさではなく、ごつごつした「手触り」を好む。なめらかにことばが滑っていくのではなく、滑ることを拒否して動くことを好む。滑ることを拒むたびに、ことばは、そこで抑制されたエネルギーをため込み、爆発するのである。そういう動きを、田村のことばはめざしているように感じられる。

 最後の1行、「ぼく一人」がとても美しい。



靴をはいた青空〈3〉―詩人達のファンタジー (1981年)
田村 隆一,岸田 衿子,鈴木 志郎康,岸田 今日子,矢川 澄子,伊藤 比呂美
出帆新社

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『田村隆一全詩集』を読む(96)

2009-05-26 00:03:13 | 田村隆一

 「第六景 さかさ川早春賦」。「さかさ」というのは、一種の「矛盾」である。1連目には、次の形で書かれている。

水仙の花はいつのまにか消えた
春の雪が降って
その雪が消えたら
クロッカスの小さな花が咲いた
民家の庭に
冬のあいだじゅう一羽で棲みついていた
単独者のジョウビタキも
氷の国へ帰ってしまった
この単独者は
立ち去ることで日本列島に

がきたことをぼくらに告知する

 クロッカスは咲くことで早春を告げる。やって来ることで何かを告げる。存在が何かを告げる--ここには矛盾はない。ジョウビタキは去ることで春を告げる。不在が何かを告げる。これは「矛盾」である。不在のものは何も告げることはできない。不在のものが、どうやって、「いま」「ここ」にいる誰かにむかって何かを告げるというのは「矛盾」である。「不在のもの」と「存在するもの」は同時には存在し得ないからである。
 この論理は、次のように言い換えると、「矛盾」ではなくなる。「不在のもの」(いままでここにいたが、いまはここにいないもの)は、その存在するということを別の存在に譲ったのである。「不在のもの」のかわりに「別の存在」がいま、ここにいて、その交代した何かが、何事かを告げる。
 だが、田村は、その交代したものを、ここでは明確にしていない。だから、それは「矛盾」したままである。こういう「矛盾」が田村は大好きである。
 だからこそ、「さかさ川」という存在に目を向ける。

ぼくは下駄をはいて
小町から大町の裏通り
安養院のそのまた裏の小路を歩いていくと
緑の血管のような
細い川が流れていて
土地の人は
さかさ川と呼んでいる
昔は
海の潮が逆流してきたのでそんな名前が生まれたのだという
その川をさかさに歩いていくと
小さな飲み屋があって

 川は山から海の方へ流れる。その流れが、潮のために逆向きのために「さかさ」になる。この「さかさ」のなかにも「矛盾」がある。もちろん、「潮」を主語にすれば「矛盾」は消えるが、「川」が主語であるかぎり、それは「矛盾」である。
 そして、この「矛盾」は、ジョウビタキが不在であることによって春を告げるというのといくらか似ている。山から海への「流れ」が不在であり、それにかわって「潮」が「不在」を埋めるようにして、海から山へ流れる。
 そうなのだ。
 田村の「矛盾」は、単に、ある存在の不在を何かが埋め合わせ、何かを語るだけではなく、いままでそこにいたもの(そこにあったもの)の動きそのものを逆転させるのである。
 ジョウビタキは「冬」を連れてきた。それが不在であるとき、何かは、その冬のやってきた方向へ逆に突き進み、そうすることで「春」を告げる。
 この動きを明確にするために、田村は「さかさ川早春賦」の1連目にジョウビタキを書いたのだ。1連目がなくても、「さかさ川早春賦」の「本論」(?)の部分は、少しも変わらない。ことばの動きがかわるわけではない。「さかさ川」で言いたいことを、1連目で少し披露しているのだ。あらかじめ、「幅」をもたせているのだ。「矛盾」をさりげなく、ここにも、こんなふうにして「矛盾」がある、と教えているのだ。

 そして、その「矛盾」に重ね合わせるようにして、田村は、飲み屋であった経済学博士との談話を書きつないでいく。

日曜日の午前十時ウサギ博士から電話で呼び出されて
ぼくはさかさ川をさかのぼり
居酒屋にたどりついたのだが

なんのことはない
鎌倉の八甲田山のてっぺんのウサギ博士の
自宅の奥さんと娘さんが恐いものだから
ぼくを共犯者に仕立て上げるこんたんなのだ

人間には
どこか悲惨で滑稽なところがある
どんな人間の心の中にも
さかさ川は流れているが

 「人間の心の中にも」、ある方向を「わざと」逆に動くものがある。そして、それは「わざと」そんなふうに動くことで、この世界の流れが、正反対のものがいっしょに存在することで成り立っている。「矛盾」があるから、おもしろく動いていると、田村は考えているのだ。
 「矛盾」は、いつでも田村の思想なのだ。

 この詩にも、注釈がついている。この注釈も、また、非常におもしろい。

「さかさ川」という名前が、ぼくには気に入っている。そして、「さかさ川早春賦」というぼくの詩が、ぼくは大好きだ。しかし、そのかわりに、ウサギ博士のご夫人から、ぼくはしかられて、いまでもご夫妻には頭をさげて歩いている。

 原文の「ぼくは大好きだ」の「ぼく」には傍点が打ってある。「ぼくは」大好きだが、そうでない人もいる。つまり「ウサギ博士のご夫人」は、この詩が好きではない。「ウサギ博士」が奥さんを恐がっている、と書いたからだ。詩に書かれたことがいやなのだ。
 でも、田村は、この詩が好き。
 ここにも、「さかさ川」と同じような、どうしようもない「矛盾」がある。ジョウビタキの不在が春を告げるというのは同じような「矛盾」がある。
 ウサギ博士夫妻は、この詩が嫌い。でも、田村が、この詩が好きであるように、私もこの詩が好き。嫌いなものがいて、その「嫌い」という流れを「さかさ」に動いていって、私はウサギ博士に会う。彼ら夫婦に会う。田村に会う。

 田村の「矛盾」は、こういうことも含む。





青いライオンと金色のウイスキー (1975年)
田村 隆一
筑摩書房

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『田村隆一全詩集』を読む(95)

2009-05-25 00:06:59 | 田村隆一

 「第三景 滑川哀歌」。この詩には、田村のことばの特徴が凝縮している。さまざまなことばが、田村という「人間」のなかで出会い、輝く。

春になればヤマザクラが咲き
左へ曲がればハラキリ・ヤグラ
ハラキリ・ヤグラのすぐそばに北条高時の井戸
上方勢が稲村ガ崎に黄金の太刀を投げこんで乱入したとき
北条一族は滅び
高時は井戸のそばで切腹し身を投じる
東勝寺は、
「東ガ勝ツ」ことを祈願して建立されたのに
あっけなく敗北した
このあと
ぼくの若い日本は
南朝側と北朝側に分裂して内乱状態をむかえてさ

ハラキリ・ヤグラのすぐとなりに修道院
レデンプトリスチン修道院
神サマと結婚した美しいシスターたちの館は
ぼくの目には壮麗に映る
北海道のトラピスト修道院では
バター飴とクッキーを売っているけれど
ここでも彼女たち手焼きのクッキーを製造していて
若宮大路の洋品店で売っている

 サクラからハラキリ、北条一族、さらには修道院、シスターたちの副業(?)と、ことばはさまざまなものを渡り歩く。自在に動く。
 この詩で、おもしろいのは、「ぼくの若い日本は」という行だ。
 「ぼくの若い日本」。なぜ、「ぼくの」ということわりがついているのだろう。「田村の」「若い日本」だけが「南北朝時代」にはいったわけではない。歴史はだれにとっても同じである。けれども、田村は「ぼくの」と書いている。
 ここに田村の特徴がある。
 詩とは、詩のことばとは、あくまで「個人」のものなのである。歴史として「教科書」に書かれていることであっても、詩人が書き直せば(語り直せば)、それは「詩人の(田村の)」歴史である。
 「語り直す」ということは、それが既成の事実であっても、「共有」のものではなく、あくまで「個人」のものになるということだ。「個人」のものにするために、詩人は語り直すのだ。
 そして、そこに書かれていることは「ぼくの」歴史であるから輝くのだ。独特の光を放つのだ。田村の北条時代は、サクラとハラキリと井戸がいっしょになったものである。それが南北朝時代へと突き進む。
 つぎに出てくる「ぼくの目には壮麗に映る」も、同じである。「ぼくの目には」と書かなくても、それは田村の目にうつった「光景」としか見えない。だれも、田村以外の人間が修道院を「壮麗」と見ているとは思いはしない。けれども、田村は「わざと」「ぼくの目には」と書き加える。「ぼくの目」をとおって、ことばは動いているのだ。そのことばを追うことは、「田村」の内部をくぐることなのだ。そして、その田村の内部というのは、サクラとハラキリと井戸がしっかり結びついている世界である。
 この詩集は「ぼくの鎌倉八景」と明確に「ぼくの」と断わっているが、これはとても重要なことなのだ。あくまでも、「田村の」である。

 「ぼくの」であるからこそ、この詩の最後の部分は非常におかしい。修道院の手作りのクッキー、洋品店で売られているクッキーに、田村は「鎌倉」を見ている。

それにしても
とぼくは思う
どうしてシスターたちがつくったクッキーが
洋品店で売られているのかしら
色とりどりのパンティやブラジャーやスカーフに
いりまじってさ

 ここでも「ぼくは」思うのである。
 洋品店に売られているのは「パンティやブラジャーやスカーフ」だけではないはずだが、田村の目をとおると、洋品店はそういうものにかわる。スカートやブラウス、セーターではなく、「パンティやブラジャーやスカーフ」とクッキーが出会って、鎌倉を賑やかにする。「田村の」鎌倉は、そうやってできている。
 世界は「もの」であふれている。けれども「肉眼」が触れる「もの」には限りがあり、それが「ことば」になるには限りがある。限りがあるのだけれど、その限られたことばが、ふつうの「歴史」「観光案内」を逸脱して、田村自身を語りはじめる。そのとき、そこに、詩が存在する。




ねじれた家 (ハヤカワ文庫 AC)
アガサ・クリスティー
早川書房

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『田村隆一全詩集』を読む(94)

2009-05-24 00:10:26 | 田村隆一
 『ぼくの鎌倉八景 夜の江ノ電』(1987年)。詩画集である。『田村隆一全詩集』(思潮社)には絵がないので、ことばに対する感想だけを書く。
 「第一景 野原の中には」。この詩には、注釈(?)がついていて、その注釈が詩よりもおもしろい。注釈を書きたくて詩を書いているようにさえ感じる。

 この野原は、鎌倉の二階堂、永福(ようふく)寺跡にあって、ほぼ二万坪、ヤングにはメートルで云わないと、分からないけれど、約七万平方米である(正しく調べたかったら、鎌倉〇四六七-23-三〇〇の鎌倉市役所におといあわせください)。
 (略)
 そして、この野原は、いまも現存し、考古学者が発掘している。まわりにはロープがはりまわしてあって、
「ま虫に注意」という立札がいくつもあって、女の子が若い母親にたずねていた。
「ま虫ってドンナ虫?」
「こわーい虫のことよ」

 「ヤングにはメートルで云わないと」の「ヤング」が私には最初分からなかった。「ヤング」って、田村の連れのだれか? 外国人といっしょに野原へきたのかな? 「若者」とわかるまでに、しばらく時間がかかった。変な言い方かもしれないが、この、ことばがなんのことかわかるまでの「間」が、私には詩に感じられる。ことばが「意味」になるまでの、ゆらぎ。ことばが、音のまま、どこにも所属せず(?)、宙ぶらりんに浮いている。そのとき、不思議に、こころが誘われる。
 「ヤング」が「若者」とわかったときの驚きは、石川淳の小説「狂風記」の「ポンコツのカー」の「カー」が「車」とわかったときと同じように、不思議に、目の前がぱーっと明るくなったような感じがした。
 この、一瞬の、ためらい(?)のような瞬間。そして、そのあとの解放感(?)。もしかすると、田村も、そこに詩を感じているのかもしれない。
 「ま虫」の立て札についてのエピソードがおかしい。「ま虫」はもちろん「蝮」である。蝮は虫ではないが、不思議なことに(?)漢字では虫ヘンである。蛇も虫ヘンである。ヘンである。と、ちょっとだじゃれを言ってみたい気持ちになるが……。
 女の子はもちろん「蝮」を知らないのだろう。若い母親はどうか。わかって言っているのか、わからずに言っているのか。ちょっと、わからない。「ヤング」というのは、こういうひとのことを言うのかな? ふと、意識が最初の「ヤング」にもどる。響きあう。
 偶然か、故意か。
 わからないけれど、こういう瞬間に、ことばの楽しさを感じる。

 「第二景 天園 あるいは老犬のこと」にも注釈がついている。

 その天園にのぼってみて、オデン屋があって、そこで一杯ひっかけてみようとしたら、ジュースやコーヒーのコイン・ボックスがならんでいて、かんじんの酒がなくて、老犬だけが店番をしていて、その老犬は、なにやらぼくに親しげで、ぼくのことを「老犬」だと思いこんでいるらしい。

 タイトルにわざわざ「あるいは老犬のこと」と書いてあるように、この詩は、その老犬のことを書きたかったのだろう。
 ここでも、「野原の中には」と同じように、あれっ?と思うことばがある。「コイン・ボックス」。これ、自動販売機?
 ものには名前がある。そして、名前というのは、「共有」されるものである。共有されることで、意味を持つ。そういうものに対して、田村は独自に名前をつけている。「わざと」、そう呼んでいる。その「わざと」のなかに、詩の芽がある。もしかすると、それは詩の「眼、肉眼」かもしれないけれど。
 そして、この独自に何かに名前をつける、ということをするのは、詩人だけではない。犬も、そうしているのだ!

その老犬は、なにやらぼくに親しげで、ぼくのことを「老犬」だと思いこんでいるらしい。

 老犬は、田村に「老犬」という名前をつけている。田村が自動販売機を「コイン・ボックス」と命名しているように。
 独自に何かに名前をつけて世界を見つめなおす--そういう「時間」を田村は、天園の犬と「共有」している。
 不思議なおかしみがある。
 「ま虫」とは違った、おかしみがある。





鳥と人間と植物たち―詩人の日記 (1981年) (徳間文庫)
田村 隆一
徳間書店

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『田村隆一全詩集』を読む(93)

2009-05-23 00:06:17 | 田村隆一

 「肉眼」とは「直接的な目」である。それは、「愉快な対話」のなかの、「目」に関する部分を読むと、よくわかる。

あの
顔みたいなものに張りついている丸い穴は
何ですか
二つありますね
一般的には目と呼んでいますが
形だけは目ですが、じつは
何も見えないのです
カメラのレンズと思ってくれればいい
TVカメラだと移動もできますし
拡大レンズもある
そのカメラに写るものだけが世界で
信用できるものだと人は思いこんでいる
色彩も音もついていて
しかも何度も繰り返しがききます
デジタルの時代になりましたから
肉眼なんて余計なもの

 「肉眼なんて余計なもの」とは、もちろん田村流の逆説である。「カメラ」のレンズ、テレビカメラがとらえるものは「間接的」である。人間の目は、いまは、もうそういうものになってしまっている。
 「何度でも繰り返しがききます」はたいへんな皮肉である。「目」は、人間の「視線」のありかたを知らず知らずに身につけている。人間がつみかさねてきた「視線」、形成してきた「視線」をそのままつかって世界を見つめる。「一点透視図」のような「視線」もあれば、「古今風の感性」というような「ことばの視線」もある。それは蓄積され、数値化され、デジタル化していると言えるかもしれない。田村が書いているように。
 それは、「殺人」が「肉眼」だとすれば、「ホロコースト」を「目」と呼ぶようなものかもしれない。

 「目」と「肉眼」の違いを、田村は次のようにも書いている。

人間の悲惨という輝しき存在も、どこを探したっていない、赤ん坊が
母胎からポトリと落ちて消耗するだけ

 「目」は何も生まない。ただ「消耗する」。すでに形成された「視点」で世界を見つめるとき、世界はただ「消耗」される。
 「肉眼」は、そういう「消耗」そのものを破壊し、「視線」のとらえる世界を破壊し、ことばにならないものを、「未分化」のものに、直接触れる。そして、そういう「直接性」は、まだ人間に共有されていないがゆえに難解でもある。
 「人間の悲惨という輝しき存在」ということばが象徴的である。ふつうの、つまり「目」の「視線」から見れば、「悲惨」が「輝しい」というのは奇妙である。ほんらい結びついてはならないことばである。だから、そのままでは「難解」である。「難解」のなかには、すでに形成された「視線」ではとらえられない(理解できない)、まったく新しいものがあるのだ。「目」を叩き壊し、そういう新しいものを「直接」放り出すのが詩なのである。




我が秘密の生涯 下  富士見文庫 1-14

富士見書房

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『田村隆一全詩集』を読む(92)

2009-05-22 01:22:09 | 田村隆一

 「鳥語」には文体が乱れたところがある。最終連。

殺人という人間的行為には
宗教的な匂いがする
ホロコーストなんて一人の人間が一人の人間を毒殺したり射殺したり
アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔
『情熱なき殺人』という洋画があったっけ
ぼくの墓碑銘はきまった
「ぼくの生涯は美しかった」
と鳥語で森の中の石に彫る

 3行目の「ホロコーストなんて」ということばを引き継ぐ「動詞」がない。これは、田村にはわかりきったことなので、書き忘れたのだ。書き忘れても、書き忘れたことさえ意識できないほど、田村の「肉体」にしみついていることばなのだ。
 「ホロコーストなんて」「人間的行為ではない」。したがって、「宗教的な匂いもしない」。田村は、そう書きたい。
 では、「人間的行為」とは、何か。

アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇

 である。「アリバイを主張する」とは、主語が「殺人者」の場合、嘘をつくことである。ことばで真実ではないことをいう。それが「人間的」なのである。真実ではないことのなかに、「自由」がある。真実を破壊して、真実から人間を解放する。
 それはたしかに「宗教的」なことかもしれない。人間は死ぬ。その絶対的な真実を破壊し、否定し、宗教は、死とは対極にある「永遠のいのち」を語る。現実には、だれも体験したことのない「生」を語る。
 「性行為そっくりの劇」。これは何だろう。興奮である。「直接性」である。相手がいるときはもちろんそうだが、相手のいないオナニーもまた直接的である。「肉体」に直接触れない性行為はない。
 「アリバイ」の主張と、この「性行為」の直接性を結びつけて考えるとき、不思議なものが見えてくる。
 「アリバイの主張」、その嘘は、けっして何かと触れない。不在。そこに存在しないことがアリバイである。「性行為」が直接的であるのに対して、「アリバイ」は直接性を否定する。他者との関係の直接性を否定する。しかし、その直接性の否定が嘘によってつくられるとき、そこには何が起きるのだろうか。意識のなかでは、他者との直接的な関係が強く結びついて離れない。--そこには、何か矛盾したものが、分かちがたく結びついているのである。
 たぶん、「ホロコースト」には、この直接性がない。直接性がないから、矛盾もない。ホロコーストには「肉体」が関与する部分が少ない。殺人が直接的ではなく、間接的におこなわれる。実感がない。だから、いったんホロコーストが起きると、その間接性(直接性の欠如)ゆえに、行為が暴走する。矛盾をかかえこまないものは、踏みとどまることができない。
 田村の詩について、何度か「矛盾」ということを書いてきたが、その「矛盾」は、「直接性」と深くつながっている。「直接」とは、何かしら「矛盾」しているのである。「直接性」も、田村の「思想」のひとつである。

 「直接性」は、また別の角度からも見つめることができる。

アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔

 この1行。なぜ、1行なのだろう。末尾の「そういえば昔」は、「アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない」とは文脈上、結びつかない。「そういえば昔」は次の行の「『情熱なき殺人』という洋画があったっけ」と結びついている。
 行が、ある意味で「不自然」な形で展開している。文脈を優先するのではなく、ほかのものを優先している。
 何を優先しているのか。「論理」ではなく、「論理」にならないものを優先している。「論理」以前のもの、「論理」を破壊するものを優先しているのだ。
 「ホロコースト」ということばを出したために、文脈はぶれたが、その「ぶれ」をもういちど元へ戻すために、田村は「殺人」ということばをもう一度登場させたいのだ。殺人の直接的なもの--その美しさ、直接的なものだけがもつ美しさを取り戻したいのだ。

アリバイを主張したりして性行為そっくりの劇は生れない そういえば昔

 この1行には、ことばにならない「直接性」が隠れている。「ホロコーストなんて」ということばが「述語」を欠いたまま、「直接」「殺人」と対比され、「直接」対比することで、そのなかでねじれた「未分化」の「論理」のようなものが、バネの反動のように、揺れ動いている。
 そこが、この詩の、おもしろいところである。

 直接的なものは、すべて美しい。田村が、墓碑銘に選んだ「ぼくの生涯は美しかった」ということばのなかにも「美しい」が輝いている。「ぼくの生涯は美しかった」とは、言い換えれば「ぼくの生涯は直接的だった」ということである。
 田村は「肉眼」ということばを何度もつかっている。それは、「見る」という「方法」を破壊して、(人間が歴史のなかで形成してきた「視点」を破壊して)、「未分化」の「いのち」としてものを見るということだが、これは「いのち」が「直接」ものを見るということ--と言い換えることができるかもしれない。



鳥と人間と植物たち―詩人の日記 (1981年) (徳間文庫)
田村 隆一
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『田村隆一全詩集』を読む(91)

2009-05-21 00:32:39 | 田村隆一
 「黒いチューリップ」という作品がある。「自由」について語っている。

「自由」
この言葉くらい厄介なものはない

 なぜ、厄介か。だれも否定できないからだ。「自由は悪だ」という人はいない。「自由」を否定できない。だから、厄介である。ある意味では「自由」はもっとも不自由なことばかもしれない。

「自由」
この言葉くらい厄介なものはない
クネッサンス・イデオロギーのおかげで
裸体の美女を拝むことはできたが
その代償に「自由」という不良債権を
人類はかかえる破目になった
(略)

「自由」を求めるなら 化学的な
ガス・チェンバー シベリアの強制収容所 三千万単位で粛清する強力な独裁者
その独裁者を創造するのだって 緻密な権力闘争の構造が必要だ
「自由」を求めたかったら まず「強制収容所」をつくること

 この引用部分の最後の行に、田村の「思想」が集中している。どんな「思想」でも、何かを否定し、破壊してはじめて誕生する。「自由」もまた何かを破壊した結果としてそこにあらわれてこなければ「思想」ではない。はじめからそこにあるものではなく、そこにあるものを否定する。破壊する。そのとき、その破壊の果てにあらわれてくるものが「思想」でなければならない。
 「自由」はそういう意味では、もっとも手にいれにくい「思想」なのである。
 そこに「自由」があるとき、それは「思想」ではない。破壊し、その破壊のなかで獲得しないかぎり、「思想」が手に入らないとすれば、「自由」は「いま」「ここ」に存在してはならないことになる。
 なんとも、厄介な「矛盾」である。

 そんな「矛盾」を書いたあと、この作品は、唐突に連を変える。

トルコの球根から
東洋と西洋との接点に黒いチューリップが咲きはじめる

 詩のタイトルの「黒いチューリップ」は出てくるが、この2行が、「自由」とどんな関係にあるのか、ここではなんの説明もない。
 わけのわからない「飛躍」がここにはある。
 わけがわからないけれど、この「飛躍」を私は美しいと思う。ことばには、こんなふうに「飛躍」する「自由」がある。そして、これは、田村の「自由」の実践なのだと思える。
 先に私が書いたこと、「自由」は破壊のなかから手にいれなければならない、というような「意味」を破壊して、この2行は存在する。
 「自由」は、いま、そういう形でしか存在し得ないのである。

 ことばは、どんなことばでも「意味」をかかえこんでしまう。「意味」の体系が(文脈が)ことばを拘束する。そこから、どうやってことばを解放するか。意味を叩き壊し、意味のない「自由」を獲得するか。
 それには、「頭」を捨て、「肉眼」になって、そこに存在するものを「見る」しかないのである。




詩と批評E (1978年)
田村 隆一
思潮社

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『田村隆一全詩集』を読む(90)

2009-05-20 00:02:33 | 田村隆一

 「一滴の涙」は短い詩だが、とても美しい。

サイトウ・キネン・オーケストラの
「 ザ・ウエイ・オブ・マイライフ」という
ロンドン初演の交響曲を
近所のオールド・ボーイ・スカウトの
元気な老人に教えられて
ぼくはNHK kw遺贈で聴いた 見た
作曲は武満徹 指揮は小澤征爾
混声合唱団と斎藤秀雄先生の優秀なお弟子さんたちの
オーケストラ テーマは ぼくの詩「木」と散文と対話

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

よく眠ること
よく歩くこと
ぼんやりしていること
みんなで美しくぼけましょう

歌手はバリトンのドワイン・クロフト
曲がフィナーレに入って小澤征爾の目から
一滴の涙がおちるまで
三十五秒

 私が特に美しいと感じるのは、「「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ」という1行と、その次の連である。小澤の演奏を聴きながら思い浮かんだことなのだろうけれど、それがどうして小澤の演奏と関係あるのか、小澤の演奏のどの部分と関係があるのか、明確ではない。けれども、そこには不思議な悲しみがある。寂しさがある。そして、その寂しさのことを考えると、「一滴の涙」のまえにおさめられている「養神亭」がとてもなつかしくなる。「養神亭」の最後の1行、

いくら探しても養神亭は消えていた

 ということばが。

 「「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ」という1行と「いくら探しても養神亭は消えていた」は、深いところで響きあっている。

 この「時」とは何なのだろうか。それは「時間」とは違うものなのだろうか。

その足で養神亭という明治創業の
古い割烹旅館を探して歩いた 大正十二年九月一日の関東大震災 その翌二日
第二次山本(権兵衛)内閣がこの宿で成立
昭和九年 ぼくは尋常小学校六年生
夏のあいだ滞在していた明治生れの祖父に呼び出されて
ぼくは横須賀線に乗って養神亭に泊った
その晩 六年生だというのに寝小便
明け方までからだを左右に動かして体温でオネショを乾かす
翌朝 夜具を押入れにつっこみ
なに喰わぬ顔をして ぼくは東京へ帰る

いくら探しても養神亭は消えていた

 「時」とは、たしかに「過ぎる」ものではなく、そこにとどまっているものなのだ。そこにあるものなのだ。「大正十二年九月一日」という「時」。「その翌二日」という「時」。「昭和九年」という「時」。それは探さなくても、いつでも、そこに「ある」。そして、その「時」と「いま」が結びついたとき「時間」が生まれる。「時間」のなかを「人」が、つまり「ぼく」が過ぎてきたことがわかる。「ぼく」は「ぼく」ではなくなっている。「ぼく」は「ぼく」ではなくなったのに、そこには「ぼく」というものが「時」と同じように「ぼく」のまま、残っている。「とき」とともに、そこに「ある(残っている)」。その、「残っている」ことが「時・間」の「間」なのだ。「時」と「時」「間」を「残っている」ものが埋める、つなぐ、そして「時間」になる。
 そして、その「残っている」ことのなかには、「ぼく」以外のものも含まれる。
 「時」と「時」の「間」で、「養神亭」もまた「過ぎて」、「養神亭」ではなくなっている。そして、なくなったこと、消えることよって、「養神亭」は「残る」。もし、消えずにいまも「養神亭」が存在するなら、そこには「養神亭」はない。
 「矛盾」である。
 この「矛盾」は「時間」、「時・間」を省略するために起きる。「時・間」のなかに「養神亭」が「ある」。そして、そこを「過ぎて」いるのだ。移動しているのだ。人間が移動する(成長する、年をとる)ように。
 「養神亭」が移動するというのは論理的にありえない。「矛盾」であるが、「矛盾」であるからこそ、いまも「養神亭」が存在するなら、そこには「養神亭」はないという「矛盾」をかき消すことができる。

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

 物理学なら、たぶん、こんなふうには言わない。「時」は過ぎる。また人も過ぎる。人の運動とともに「時」も運動する。運動の経過を数値化するために時という「物差し」が採用される。「過ぎる」という運動と「時」は分離不能である、というかもしれない。
 だが、詩は物理学ではない。だから、その論理を逸脱していく権利を持っている。詩のことばは「わざと」ことばは逸脱していくのだ。

「時」が過ぎるのではない 人が過ぎるのだ

 この1行は、「わざと」書かれたことばなのである。「よく眠ること」からはじまる4行も、「養神亭」にとまったとき寝小便をしたということも「わざと」書かれたことなのである。
 あらゆる「もの」(できごとを含む)は、それぞれの「時」とともに、いつも「そこ」にある。その「時」はどんなにかけ離れていても、「四千年まえの 二千年まえの 百年まえの」(「哀」より)の「時」であっても、「いま」と対等に結びつく。人間の「肉体」は4000前と1秒前を識別できない。その識別できないものを「頭」は識別し、「間」をつくりあげる。そして、その「間」を「肉体」がつなぐのである。

5分前 (1982年)
田村 隆一
中央公論社

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『田村隆一全詩集』を読む(89)

2009-05-19 01:18:46 | 田村隆一
 『帰ってきた旅人』(1998年)の「帰ってきた旅人」とはもちろん西脇順三郎のことである。 「哀」という作品に、田村と西脇の出会いが書かれている。

ぼくは十七歳の四月 早稲田の古本屋で
不思議な詩集を見つけて
東京の田舎 大塚から疾走しつづけた
ワインレッドの菊型の詩集をめくっていると
ほんとに手まで赤く染まってきて
小千谷の偉大な詩人 J・N
言葉の輪のある世界に僕は閉じこめられてしまって
古代ギリシャの「灰色の菫」という酒場もおぼえたし
イタリアの白い波頭に裸足のぼくは古代的歓喜をあじわって
だしぬけに中世英語から第一次大戦後の
近代的憂鬱に入る

 西脇のことばに触れる。そのとき、田村は西脇に触れているのか、それとも他の何かに触れているのか。

古代ギリシャの「灰色の菫」という酒場もおぼえたし

 この1行は、その疑問に何も答えてくれない。答えるのではなく、疑問を、さらにかきまぜる。「灰色の菫」。それは酒場であると同時に、ほんとうの菫である。菫が灰色というのは、ほんとうか。そんな菫があるのか。わからないけれど、いや、わからないから、それが本物に見える。ほんものの菫ではなく、ほんものの「ことば」に。
 田村がおぼえたもの--それは「ことば」なのだ。「ことば」が、そこにあるということなのだ。「ことば」があるとき、その向こう側にあるのは何だろうか。現実だろうか。意識だろうか。人間だろうか。時間だろうか。場所だろうか。すべてがある。そして、そのすべては一瞬のうちに、ことばを通って現実になる。感覚を、意識を刺戟するものになる。古代ギリシャも「灰色の菫」も酒場も、第一次大戦も、近代的憂鬱も、同じように存在する。そこには時間、空間、そして物質そのものの差異さえない。すべてが「等価」になる。すべてを「等価」にする--それがことばだ。ほんもののことばだ。

ぼくは五十歳 偉大なるJ・Nは八十歳
ハムレットの「旅人帰らず」という台詞がお気に召したらしく
J・Nはピクニックに出かけてしまったが
「じゃ現代はいったいなんなのです?」
おお ポポイ
哀ですよ
人は言葉から産れたのだから
J・Nは言葉のなかにいつのまにか帰っているのだ

 「言葉から産れ」「言葉のなかに」「帰っている」。この運動。運動がつくりだす「間」のなかに、東洋も西洋も、あらゆる時代が平等に存在する。等価に存在する。その「等価」を「等価」のまま輝かせるのが、詩、なのである。
 「等価」のなかで、ことばはの祝祭がはじまるのだ。

四千年まえの 二千年まえの 百年まえの
言葉という母胎に帰ってくる旅人たち
<四月は残酷そのものさ>
いつのまにか猟犬が鼻をつけ
まるでT・Sエリオットのような声で
ここ掘れワンワン
ここ掘れワンワン
吠えつづけている

 四千年前も、二百年前も、エリオットも花咲爺も同じ。それが、詩。いいかえれば、そういうものすべてを「等価」にしてしまうことばのエネルギー自体が詩なのだ。そこにあるのは秩序ではなく、秩序を破壊し、秩序からの解放なのだ。祝祭なのだ。
 ことば、ことば、ことば。
 ことばの、

ここ掘れワンワン
ここ掘れワンワン

 それがどこか。「ここ」と信じて掘りつづけるとき、詩が誕生する。




詩と批評E (1978年)
田村 隆一
思潮社

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『田村隆一全詩集』を読む(88)

2009-05-18 01:08:23 | 田村隆一

 「蟻」。この作品にはたしかに「蟻」が描かれている。それはそれでおもしろいが、私は、その「蟻」が登場するまでがとても好きだ。

秋は
あらゆるものを透明にする
神の手もぼくの視野をさえぎることはできない
小さな庭の諸生物も
鈴虫の鳴き声とともに地下に消えた

 この書き出しは「蟻」とは無縁である。そればかりか「蟻」を遠ざけている。「秋」は「蟻」の季節ではない。
 どうして、「蟻」が登場するのか。
 秋、日が落ちてしまったら、田村はひとりで旅に出る--と書く。そこから、ことばが動いていく。

ぼくの一人旅とは
まずポーカー・テーブルのスタンドに灯をつけて
三人の椅子にむかって
カードをくばるだけ
それから赤ワインをグラスにつぎ
おもむろに自分のカードを眺める 白波に消えた足跡の砂浜
グリーン・リバーという混濁した川が流れているロッキー山脈の小さな町
無数の生物とその毒素を多量に排出する南アフリカ
星座をたよりに航行する深夜の貨物船

ぼくは半裸体の漁師のペテロ
ぼくは廃屋の三階建てをたった一人でツルハシをふるっている青年
ぼくはペスト コレラ エイズ まだ持ち札はたくさんある
ぼくはマドロス・パイプをくわえた貨物船の船長
ぼくは熱帯にも寒帯にもコロニイをもっている蟻
蟻 おお わが同類よ
宇宙から観察したら 身長3ミリの蟻と
一七五センチのぼくとたいして変らない

 「蟻」にたどりつくまでに、田村は、さまざまな場所を通る。複数の人間になる。そして、ペスト、コレラ、エイズという病気になる。複数の存在になる。複数の存在になりながら、同時に、その存在を捨てる。一瞬のうちに、その生を生きて、それを捨てる。その過激な運動の果てに、「蟻」にたどりつく。
 したがって、そのとき、「蟻」とはまた、さまざまな生を生きてしまった何かなのである。「蟻」という存在のなかに、人間の複数の可能性を田村はみている。
 こういうありかたを「肉眼」というこれまでの田村の表現を借りて言い直せば「肉・蟻」というものが、ここでは描かれているのだ。
 田村が「蟻」を描くことで、その「蟻」は「肉・蟻」になる。「肉・蟻」から世界を見ると、「肉眼」で見た世界が見える。
 ここに、田村の詩のひとつの秘密がある。
 田村は、ぼくを描くが同時に、ぼく以外も描く。「他人」を描く。詩のなかで「他人」になる。それは、自分の「肉眼」ではなく、「他人」の「肉眼」で世界を見るためである。「他人」の「肉眼」こそが、田村自身の「肉眼」を育ててくれる。

全世界に分布している蟻は一万種 人種の総人口よりはるかに多い

ギリシャ神話では
アイギナ島の住民が疫病で全滅したとき
ゼウスは蟻をその住民に変えたという
さよなら 遺伝子と電子工学だけを残したままの
人間の世紀末
1999

 ゼウスが「蟻」を人間に変えたのなら、田村はことばで「ぼく」を「蟻」に変えるのだ。そして「肉・蟻」になるのだ。それは「肉眼」よりももっと、「未分化」の「生」である。

蟻と人間だけが一億二千万年も生きながらえてこれたのは

という行を手がかりにするならば、その「一億二千万年」の「いのち」そのものになる。「蟻」になることによって。そのとき「世紀末」はひとつの「断崖」である。そこには半裸体のペテロもツルハシをふるう青年もペストもコレラもエイズも同時に存在する。


青いライオンと金色のウイスキー (1975年)
田村 隆一
筑摩書房

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