「他人」をことばのなかに引き入れながら、田村のことばはどんどん自在になる。どこへでもゆく。「アブサン」は、そうした作品群のなかにあっても傑作である。
最終連。3行
どこだって「歩きたい」。1連目の書き出し「ぼくはまだ/砂漠を歩いたことがない」を手がかりにすれば、ここには「歩きたい」が省略されている。「歩きたい」は「行きたい」と同義だろうと思う。そして、そう思った瞬間、その「行きたい」は「生きたい」でもあるということに気がつく。「生きたい」はこの詩のタイトル「アブサン」(Absent」(不在)の反対語である。存在したい。どこででって、存在したい。「この世の外なら」。
「この世の外」はふつうは「死後の世界」のことだが、田村にとっては「死後」ではなく、「生まれる前」(未分化の領土)である。
そのこと、「この世の外」が死後ではなく、「未分化の領土」であることを語るために、この詩のことばは動いている。
ジャン・ギャバンの主演した『地の果てを行く』から、ロートレックを経て、砂漠ではなく「断崖」をイギリスに求めて歩いたことを書き、次のようにことばは展開する。
「断崖」ということばは田村のひとつの理想である。いま引用した連の前(第3連)には、「ぼくは断崖そのもののような詩が書いてみたい」ということばがある。それは「この地」と「他の場」との絶対的な境目である。直立し、切り立ち、そこには「死」が隣り合わせにある。「生」と「死」が向き合ったまま、「垂直」に駆け上る。あるいは、落下する。どちらへ行くかわからない。そういう緊張した「場」である。
そういう「場」で、
「死体」と「よみがえる」(生)。矛盾したものが拮抗する。生から死へではなく、死から生へという動き自体が「矛盾」しているが、この「矛盾」こそ、田村のことばをつらぬくエネルギーのすべてである。「矛盾」が、互いを破壊しながら、矛盾を超越して、止揚とは無関係な何かになってしまう。「この世」にあるものではなく、「この世の外」にあるものになってしまう。
「アブサン」(不在)の存在となって、北アフリカの砂漠を、ジャン・ギャバンのように。いや、ジャン・ギャバンを超越して。
それは実際に歩かなくても歩いたことになる存在の仕方だ。
ことばが、そういう「場」を獲得するなら、そこはいつでも「生」が「不在(アブサン)」の、つまり「死」でありながら、そこからはじまる「生」であるという「矛盾」なのだから、「ここ」は「ここではなく」、「ここ」であることが「北アフリカの砂漠」であるという「矛盾」を引き寄せてしまうからである。歩かなくても歩いたことになる。行かなくても、行ったことになる。それがことばの運動というものである。
そして、田村によれば、そういう「運動」を「ことば」ではなく色彩と線で、つまり、絵画で達成したのがロートレックである。
ロートレックを「語り直し」て、田村は次のように書いている。
「この世」(十九世紀)を超越して、魂は、ここではないどこかへ、存在しない「場」を生きる。「存在しない場」であるからこそ、「アブサン(不在)」であることが「生」である。人は死ぬことで生きるのである。
田村のことばは矛盾のなかで、矛盾を叩き壊しながら、輝く。
最終連。3行
この世の外(そと)なら
どこだっていいさ
どこだって
どこだって「歩きたい」。1連目の書き出し「ぼくはまだ/砂漠を歩いたことがない」を手がかりにすれば、ここには「歩きたい」が省略されている。「歩きたい」は「行きたい」と同義だろうと思う。そして、そう思った瞬間、その「行きたい」は「生きたい」でもあるということに気がつく。「生きたい」はこの詩のタイトル「アブサン」(Absent」(不在)の反対語である。存在したい。どこででって、存在したい。「この世の外なら」。
「この世の外」はふつうは「死後の世界」のことだが、田村にとっては「死後」ではなく、「生まれる前」(未分化の領土)である。
そのこと、「この世の外」が死後ではなく、「未分化の領土」であることを語るために、この詩のことばは動いている。
ジャン・ギャバンの主演した『地の果てを行く』から、ロートレックを経て、砂漠ではなく「断崖」をイギリスに求めて歩いたことを書き、次のようにことばは展開する。
一篇の詩
その一行 一行が断崖だとしたら
作品ははじめて死体からよみがえる
そんな作品が書けたら
北アフリカの砂漠を歩いてみるか
「アブサン!」
「断崖」ということばは田村のひとつの理想である。いま引用した連の前(第3連)には、「ぼくは断崖そのもののような詩が書いてみたい」ということばがある。それは「この地」と「他の場」との絶対的な境目である。直立し、切り立ち、そこには「死」が隣り合わせにある。「生」と「死」が向き合ったまま、「垂直」に駆け上る。あるいは、落下する。どちらへ行くかわからない。そういう緊張した「場」である。
そういう「場」で、
作品ははじめて死体からよみがえる
「死体」と「よみがえる」(生)。矛盾したものが拮抗する。生から死へではなく、死から生へという動き自体が「矛盾」しているが、この「矛盾」こそ、田村のことばをつらぬくエネルギーのすべてである。「矛盾」が、互いを破壊しながら、矛盾を超越して、止揚とは無関係な何かになってしまう。「この世」にあるものではなく、「この世の外」にあるものになってしまう。
「アブサン」(不在)の存在となって、北アフリカの砂漠を、ジャン・ギャバンのように。いや、ジャン・ギャバンを超越して。
それは実際に歩かなくても歩いたことになる存在の仕方だ。
ことばが、そういう「場」を獲得するなら、そこはいつでも「生」が「不在(アブサン)」の、つまり「死」でありながら、そこからはじまる「生」であるという「矛盾」なのだから、「ここ」は「ここではなく」、「ここ」であることが「北アフリカの砂漠」であるという「矛盾」を引き寄せてしまうからである。歩かなくても歩いたことになる。行かなくても、行ったことになる。それがことばの運動というものである。
そして、田村によれば、そういう「運動」を「ことば」ではなく色彩と線で、つまり、絵画で達成したのがロートレックである。
ロートレックを「語り直し」て、田村は次のように書いている。
ロートレックの最晩年の「砂漠」は
ムーラン街24番地
モンマルトルの娼婦の館(やかた)こそ
心という絶えず移動する水平軸
魂は断崖と砂漠をつなぐ垂直軸
肉だけで構成されている砂嵐のアトリエで
男の油彩も三百点の石版も
十九世紀最後の十年間に稲妻のごとく仕上げられたもの
十九世紀以外に「世紀末」はない
この世の外なら
どこだっていいさ
どこだって
「この世」(十九世紀)を超越して、魂は、ここではないどこかへ、存在しない「場」を生きる。「存在しない場」であるからこそ、「アブサン(不在)」であることが「生」である。人は死ぬことで生きるのである。
田村のことばは矛盾のなかで、矛盾を叩き壊しながら、輝く。
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