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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ペドロ・アルモドバル監督「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」(★★★★+★)

2025-02-01 23:58:34 | 映画

ペドロ・アルモドバル監督「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」(★★★★+★)(2025年02月01日、ユナイテッドシネマ・キャナルシティ、スクリーン1)

監督 ペドロ・アルモドバル 出演 ティルダ・スウィントン、ジュリアン・ムーア

 前半、あ、この映画は、ちょっとどうかな……、と思った。単調である。アップが多く、映像の色彩情報が妙に少ない。そのため現実感がしない。
 ところが。
 ふたりが郊外(いなか?)の別荘へ行ってからが、とてもいい。発端は、ティルダ・スウィントンが安楽死のための薬を家に忘れてきたことに気づくこと。ジュリアン・ムーアは「あした取りに戻ろう」と言うのだが、ティルダは受け入れない。このときのティルダの緊張感というか、焦りというか、それしか意識できないという感じが真に迫っていて、そこから映画のスピードが加速していく。目が離せなくなる。
 ふたりの顔の対比もきわだってくる。
 死を覚悟しているというか、死を望んでいるティルダが、徐々に落ち着いてくる。安定してくる。死んでいくのはあたりまえ、という感じで生きている。薬を忘れたと大慌てしたときとはまったく違ってくる。大慌てしたことによって、なんというか、「峠を越した」感じになる。それが、すごい。
 ジュリアンの方は、感情が揺れ動く。まるで彼女の方が死んでいくかのようだ。
 で、思うのだが。
 こういうとき、どちらの役の方が演じるのがむずかしいのだろう。感情のゆれを演じわけるジュリアンの方がむずかしいと一瞬思うが、逆かもしれない。人間はだれでも感情が動き、その感情が顔に表れるとき、そのひとと一体化してしまう。同調してしまう。自分がジュリアンになった気持ちになる。観客を誘い込めばいいわけだから、むしろ簡単かもしれない。「変化」を演じればいいのだから。
 ところが、ティルダの方は「変化」してはいけないのだ。ほんとうは、彼女の肉体のなかで、こころのなかで激しい変化があるのに、それを表面に出してはいけない。しかも同時に、隠している、押さえているという印象をどこかで与えなくてはいけない。それも、あの、アップの連続のスクリーンのなかで。
 彼女はまた、母ティルダと不仲の娘も演じているのだが、そのそっくりであり、かつ違っているという感じも、非常に少ない動きのなかで演じ分けている。
 これは、ある意味で、映画を見るというよりも、演技を見るための映画だなあ。
 で、ね。
 私くらいの年齢になると、どうしても死のことを思う。私は痛みが非常に苦手だから、こんなに痛いなら死にたいと思うときがある。網膜剥離の手術をしたときは、手術後がこんなに痛いなら「目は見えなくなってもいいから、もう目を摘出して」と言おうと思ったが、いや、もう一回手術するともっと痛いかもしれないと、「論理的」に考え、ナースボタンを押すのをやめた記憶があるのだが。そんなふうに、感情・意識は、動いてしまうものなのだ。
 脱線したが。
 ともかく、死を考える。そうするとき、私にはあんな風には振る舞えないなあと思い、なおさら、ティルダの演技力に驚く。映画を見始めたときから、もうティルダが死んでいくのはわかっている。その、わかりきったことを演じきり、視線を引きつけるというのはすごい。ジュリアンの方は、ほら、どんな風に感情が動くか想像できないから、その動きに自然と引きつけられるのだから。そして、揺り動かされるのだから。
 これを際立たせるためには、やっぱり、あの単純な色彩計画、アップの連続が必要だったんだなあ。
 ★一個を追加しているのは、ジョン・ヒューストン監督「ザ・デッド」が引用されているから。あの映画の雪の美しさ。それが、引用だけではなく、再現されていて、それに感動した。余談の余談だが、私はジェームズ・ジョイス「ダブリン市民」が好きで、ダブリンまで行き、「ザ・デッド」のホテルに泊まったのだ。そんなことも思い出した。この映画が、アルモドバル監督なのに「英語」を話すのも、そういうことが関係しているかもしれない。そうか、アルモドバルもジョン・ヒューストンとジョイスが好きなのか、と親近感を覚えたのだった。
 

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