谷川俊太郎「言葉」(「朝日新聞」2011年05月02日夕刊)
谷川俊太郎は朝日新聞で毎月「○月の詩」を書いている。「4月の詩」を私は読み落としている。読んだ記憶がない。4月からコーナーがなくっなったのか、とも思っていた。そして、きょう「5月の詩」を見つけた。
これは、東日本大震災のことを書いた詩である。東日本大震災を経て、ことばがどんなふうに生き残ったか、さらに活動しはじめたかを、書いている。もし「4月の詩」に谷川が大震災のことを詩に書いているのだとしたら、私がこれから書くことは、「誤解」を含んだものになる。「4月の詩」がなかった(あるいは、あったとしても震災を書いた詩ではなかった)という前提で私は考えている。あらかじめことわっておく。
この詩を読んで、私が最初に思い出したのは、季村敏夫の『日々の、すみか』である。「阪神大震災」のことを書いている。その詩集のなかで季村は「出来事は遅れてあらわれた。」という不思議なことばを書いていた。これは、私にはとても衝撃的だった。阪神大震災は「遅れて」あらわれたのではなく、「備え」も何もないとき、つまり「早すぎるくらい早く」あらわれた、そのため人は何もできなかった、というのが「事実」だと思っていたからである。けれど季村は「遅れて」と書いた。それは、ことばにすることよって(書くことによって)、阪神大震災ははじめて阪神大震災になったということだと思った。実際に震災は起きた。けれど、それをずーっと遅れてやっとことばにすることができるようになったとき、はじめて「阪神大震災」になった。それまでは、いったい何が起きたのか、それを体験した人たちもわからなかった、納得できなかったという意味だと思った。「出来事は遅れてあらわれた」は正確(?)には、出来事を語ることばは遅れてあらわれた、そしてことばによって語られることで「出来事」そのものになった、ということなのだ。
このことは、東日本大震災においても同じだと思う。東日本大震災は、少しずつことばになることで、大震災そのものになっていくのだ。そして、このことばは遅れてやってくるというのは、谷川俊太郎においても同じなのだ。天才詩人においても、ことばはすぐにやってこてい。東日本大震災のような、誰も体験したことのないことを語ることばはすぐにはやってこない。すぐには何も語れないのである。
大震災から1か月以上たち、やっと、谷川も大震災をことばにすることができるようになったのだ。(くりかえし断っておくが、谷川が「四月の詩」に大震災のことを書いていない、という前提で私は書いている。)
そして、実際に、ことばがやってききてみると、そのことばはかつて季村が書いていたことばの形ととても似ている。
新しいことばではないのだ。語りはじめは、どうしても「知っていることば」を使うしかないのである。「知っていることば」では「新しく起きた出来事」は語ることができない。そうわかっていても、まず「知っていることば」、昔ながらのことば、肉体になじんでいる訛りの残ることば、言い古されたことばで語るしかないのだ。
そして、その「言い古された言葉」は「言い古されたもの」だけれど、新しい。「苦しみ」ゆえに。「哀しみ」ゆえに。谷川は、そのことをつかみとるまでに1か月かかったということだろう。この1か月は「長い」かもしれないし、「短い」かもしれない。--私には「短い」と感じられる。私は、いったい、自分が何を語れるか、何もわからないからである。
そして、思うのだ。
季村敏夫が『日々の、すみか』を書かなかったら、きっと「東日本大震災」後の詩の動きはもっと遅かったと思う。季村が「出来事は遅れてやってくる」、つまり「ことばは遅れてやってくる」ということを正確につかみとり書いたということがあったので、多くの詩人たちは、「遅れて」書くしかないのだとわかったのだ。
和合亮一がツイッターで書いていることばも、たしか大震災から数日たってから動きはじめていると記憶している。(私は、目の事情もあって、ツイッターは読んでいない。報道で知っているだけなので、ちょっとあいなまいなのだが……。)
ことばが、いつ、大震災に追いつけるのか--それはわからない。わからないけれど、追いつくまで書くしかないと思う。
*
谷川の詩の感想から、どんどん離れてしまうが、私が大震災後に読んだことばのなかで、忘れることができないのは「ありがとう」ということばである。被災された方々が、ことあるごとに「ありがとう」と言っている。助けてくれたひとに対し、支援活動をするひとに対し、「ありがとう」と言っている。
哀しみや苦しみがことばにならないくらいたくさんあるはずなのに、その哀しみや苦しさを訴えることばよりも先に「ありがとう」という。「ありがとう」は谷川のことばを借りるまでもなく「言い古された言葉」であり、「昔ながら」のことばである。それでも、そのことばが一番新しく私には聞こえる。全く新しいことばに聞こえる。
「ありがとう」ということばを教えてくれて「ありがとう」、そう言う以外に、私はまだ大震災に対してことばを動かすことができない。
谷川俊太郎は朝日新聞で毎月「○月の詩」を書いている。「4月の詩」を私は読み落としている。読んだ記憶がない。4月からコーナーがなくっなったのか、とも思っていた。そして、きょう「5月の詩」を見つけた。
言葉
何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で
言葉は発芽する
瓦礫(がれき)の下の大地から
昔ながらの訛(なま)り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦(よみがえ)る
哀(かな)しいゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて
これは、東日本大震災のことを書いた詩である。東日本大震災を経て、ことばがどんなふうに生き残ったか、さらに活動しはじめたかを、書いている。もし「4月の詩」に谷川が大震災のことを詩に書いているのだとしたら、私がこれから書くことは、「誤解」を含んだものになる。「4月の詩」がなかった(あるいは、あったとしても震災を書いた詩ではなかった)という前提で私は考えている。あらかじめことわっておく。
この詩を読んで、私が最初に思い出したのは、季村敏夫の『日々の、すみか』である。「阪神大震災」のことを書いている。その詩集のなかで季村は「出来事は遅れてあらわれた。」という不思議なことばを書いていた。これは、私にはとても衝撃的だった。阪神大震災は「遅れて」あらわれたのではなく、「備え」も何もないとき、つまり「早すぎるくらい早く」あらわれた、そのため人は何もできなかった、というのが「事実」だと思っていたからである。けれど季村は「遅れて」と書いた。それは、ことばにすることよって(書くことによって)、阪神大震災ははじめて阪神大震災になったということだと思った。実際に震災は起きた。けれど、それをずーっと遅れてやっとことばにすることができるようになったとき、はじめて「阪神大震災」になった。それまでは、いったい何が起きたのか、それを体験した人たちもわからなかった、納得できなかったという意味だと思った。「出来事は遅れてあらわれた」は正確(?)には、出来事を語ることばは遅れてあらわれた、そしてことばによって語られることで「出来事」そのものになった、ということなのだ。
このことは、東日本大震災においても同じだと思う。東日本大震災は、少しずつことばになることで、大震災そのものになっていくのだ。そして、このことばは遅れてやってくるというのは、谷川俊太郎においても同じなのだ。天才詩人においても、ことばはすぐにやってこてい。東日本大震災のような、誰も体験したことのないことを語ることばはすぐにはやってこない。すぐには何も語れないのである。
大震災から1か月以上たち、やっと、谷川も大震災をことばにすることができるようになったのだ。(くりかえし断っておくが、谷川が「四月の詩」に大震災のことを書いていない、という前提で私は書いている。)
そして、実際に、ことばがやってききてみると、そのことばはかつて季村が書いていたことばの形ととても似ている。
昔ながらの訛り
言い古された言葉
新しいことばではないのだ。語りはじめは、どうしても「知っていることば」を使うしかないのである。「知っていることば」では「新しく起きた出来事」は語ることができない。そうわかっていても、まず「知っていることば」、昔ながらのことば、肉体になじんでいる訛りの残ることば、言い古されたことばで語るしかないのだ。
そして、その「言い古された言葉」は「言い古されたもの」だけれど、新しい。「苦しみ」ゆえに。「哀しみ」ゆえに。谷川は、そのことをつかみとるまでに1か月かかったということだろう。この1か月は「長い」かもしれないし、「短い」かもしれない。--私には「短い」と感じられる。私は、いったい、自分が何を語れるか、何もわからないからである。
そして、思うのだ。
季村敏夫が『日々の、すみか』を書かなかったら、きっと「東日本大震災」後の詩の動きはもっと遅かったと思う。季村が「出来事は遅れてやってくる」、つまり「ことばは遅れてやってくる」ということを正確につかみとり書いたということがあったので、多くの詩人たちは、「遅れて」書くしかないのだとわかったのだ。
和合亮一がツイッターで書いていることばも、たしか大震災から数日たってから動きはじめていると記憶している。(私は、目の事情もあって、ツイッターは読んでいない。報道で知っているだけなので、ちょっとあいなまいなのだが……。)
ことばが、いつ、大震災に追いつけるのか--それはわからない。わからないけれど、追いつくまで書くしかないと思う。
*
谷川の詩の感想から、どんどん離れてしまうが、私が大震災後に読んだことばのなかで、忘れることができないのは「ありがとう」ということばである。被災された方々が、ことあるごとに「ありがとう」と言っている。助けてくれたひとに対し、支援活動をするひとに対し、「ありがとう」と言っている。
哀しみや苦しみがことばにならないくらいたくさんあるはずなのに、その哀しみや苦しさを訴えることばよりも先に「ありがとう」という。「ありがとう」は谷川のことばを借りるまでもなく「言い古された言葉」であり、「昔ながら」のことばである。それでも、そのことばが一番新しく私には聞こえる。全く新しいことばに聞こえる。
「ありがとう」ということばを教えてくれて「ありがとう」、そう言う以外に、私はまだ大震災に対してことばを動かすことができない。
これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集 (集英社文庫) | |
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