(拙稿の見解では)たぶん人が群れることから来る。群棲動物として仲間と近接を保持する、という習性が付き合いという行動の古い起源であるように見えます。
男同士でももちろん一緒にいたい。しかし男同士は角突き合う関係でもある。相互に警戒感、緊張感を持っている。無意識にジェラシーがある。群れていてもどこか索漠たるところがある。したがって男はときに寂しい。
こういう状況で、彼女がいれば寂しくない。いなければ寂しい。付き合っていれば対の形になれる。世間を見れば皆彼女がいる。対になったカップルの形が安定していると感じられます。うまくいっている男女のペアがたくさんいるように見えます。そうであれば、自分もそうなりたい。と想像するでしょう。
そうして世の中を二人で歩いてみたい、と思うでしょう。あたりまえの男の役割と女の役割を受け持ちながら(二〇一七年 沼崎誠「異性愛と社会的認知および社会的行動の性差」)。
居心地が良ければずっと彼女といたい。ペアになっていたい。対の形になりたい。対の安定のためには、むしろほかの女は邪魔です。
テストステロンはオキシトシンの発現を抑制する。(行動の分子メカニズムは解明されていませんが)角突き合いはくっ付き合いを抑制するらしい。オキシトシンが発現する女はそばにいるものにやさしいから安心です。そうであれば男にとって脳内のテストステロンが少ない女と一緒にいれば癒されることになります。
男も女も(拙稿の見解では)女の身体に性的魅力を感じる(拙稿54章「性的魅力の存在論」)。そうであれば男は、付き合いたい相手を求めて女の身体に近づいていく。女は(たぶんオキシトシンの影響で)相手が男でも女でも徐々に近づくものには敵対しない。もし拙稿の理論通りであるとするならば男子が女子との付き合いを求めていくことは必然となります。
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