哲学の科学

science of philosophy

車輪の世界制覇(2)

2024-12-15 | その他

ロバ、牛、馬など輓曳動物の利用も、徐々に普及したと思われます。動物の飼育と馴致には、また専門的な技術集団の維持を必要としますから、需要が大きくないところには発展しません。

馬にひかせる車輪が飛躍的に大きな需要を持つようになる時代が三千三百年前の小アジアに出現します。この地で大勢力となるヒッタイト文明は、鉄の品質の高度化と量産化の技術を開発し、馬にひかせる二輪の戦車、チャリオットの車軸軸受けに適用し、これを高性能兵器として開発しました。
ヒッタイト帝国は、製鉄製鋼技術を国家機密として秘匿しましたが、徐々に漏洩して周辺諸国に伝搬しました。槍や弓矢と同時に、チャリオットの軸受けなど鋼鉄製の機械部品が各地で製造できるようになるまでに百年単位の時間がかかりました。数百年後にはインドや中国にも鋼鉄製武器とチャリオットが出現しています。
当初、高価な兵器であった車輪は、数百年を経て、材料と工程が低コスト化し、荷車など日常的実用品として普及します。ユーラシア大陸の東西端に達した後、日本列島にも上陸したようですが、鉄器時代以前の考古学遺物としては顕著ではありません。
車輪と武具の発展に伴って、鍛治、金属加工の技術が発展、普及すると、次の時代には馬具が発達します。轡、鐙の発明普及と乗馬技術が騎兵戦術を発展させ、戦争の形態を変えていきます。甲冑を装備する重装歩兵の時代に続いて、騎兵の時代が到来します。これらの武器の製造技術は、またユーラシア大陸の東西に波及し、車輪製造は戦略的技術の地位を失っていきます。
車輪の構造概念は、人や貨物の運搬の基盤技術として、世界的に軍事、民事、生活一般を支えていました。運搬のほかに、碾き臼、轆轤、水車、風車、滑車として、生産技術の基盤となり、中世から近代の文明の底流を作っていきます。
一方、構造としては、車軸、軸受け、ベアリング、スポーク、接地材料などは、用途別にそれぞれ完成形に達し、数百年にわたり機能はあまり進化してきません。
重力荷重を支え、回転して前進する機構としての車輪は、発明されると同時に材料と構造に種々の改良がなされ、かなり早く実用に達しました。おそらく初期の文明の黎明期に発明され、実用化されたといえます。その後、急速に、ユーラシア大陸の東西に普及します。
古代初期、つまり文明の黎明期に生まれた重要技術;車輪、鉄製武器、陶器、高温加熱炉、機織り、大規模建築、などは数百年で世界に拡散し、その後、世界各地で各種の改良はなされつつも、飛躍的な進化はなく、中世にわたって同様技術が使用され続けます。これら基礎技術が革新的な進化を遂げるのは、産業革命期以降です。

 
一七六九年、イングランド北部の町の床屋であったリチャード・アークライトは、水力紡績機を発明して特許を取得。工場を設立し拡大して、事業化に成功しました。
アークライトの発明は時計職人ジョン・ケイと組んで成功したとのことですので、歯車やプーリーを組み合わせたからくり仕掛けを試作していたのでしょう。デウス・エクス・マキナ (deus ex machina)機械仕掛けの神、という存在が信じられる時代背景があった、と思われます。
水力紡績機により衣料の大量生産が可能となった繊維産業は、英国の主力な輸出産業となりました。現代世界中に展開するアパレル産業の原型です。水力を動力源としていましたが、蒸気機関の発明を取り入れると、立地や労働力供給の制約から離れて、大産業化しました。
一七一二年、鉱山技術者トーマス・ニューコメンはピストン・シリンダー式の蒸気機関を開発し炭鉱の揚水機を実用化しました。その後数十年間、炭鉱以外の実用用途には使われていませんでした。一七七五年ころからニューコメンの機関の改良を進めていた機械技師ジェームス・ワットは、一七九〇年ころ、高効率の蒸気機関の開発に成功し実用の蒸気機関を量産化しました。
ワットの蒸気機関は小型軽量で大出力が可能でしたので、炭鉱の揚水ばかりでなく紡績機や機織機の動力に採用され、英国を中心に各国の工場で動力源として応用されました。特に蒸気機関車と蒸気船の発明を引き起こしました。これらの発明の普及による産業の大発展が、のちに産業革命と呼ばれるようになります。







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