菜園に隣接する、家の入り口付近で見かけた
皆さんお茶の花を見たことありますか。
私は農家の出身で、霧の巻く山間地なのでお茶の木が手短にありました。
耕作地(畑)の周囲に、畑を取り巻くように植え付けられていた。
東京ではほとんど目にしなくなったお茶の花。
一般家庭の通路の入り口に今が満開と咲き誇っていた。
お茶の種
年老いてから食後は、
お茶の渋みを1杯啜らないと、食卓か去り難い。
日本人とお茶を紐解くと、茶の湯から始まり歴史がありますが、
それはともかく、歳を経る毎にお茶の香りと渋みがたまらなく恋しくなった。
私は、コーヒーというものはあまり飲まないので
ことさらお茶に愛着があります。
祖母が秋の陽射しを受けながら縁側で、お茶を飲み梅干を食べながら、
年寄仲間と世間話をしていた光景が、思い出される。
早いもので、もう11月に入り今年もあと二カ月となりましたね。
お茶の花を始めて見ましたと言うか、見たことがあってもお茶の花と認識したことは有りません。
白い花を沢山つけるのですね。
またまた縄文人さんから勉強させてもらいました。
巷は三連休ですが、私は昨日も今日も出勤です。
さあ一日頑張りましょう。
余談ですが、昨日我家に新しい車が来ました。
ピカピカです。
お茶の花・・・清楚で大好きです。
子どもの頃、母が畑の畔に植えていたお茶の葉っぱで番茶をつくっていました。
盆栽が趣味の叔父が、庭に10本ほど固めて踏み石の近くに植えていました。
写真よりもっと刈り込んで盆栽仕立てで、なかなかいい雰囲気でした。
寒くなって、温かい煎茶がよくなりました
このように茶の花が咲き、いい香りを漂わせていました。
お茶摘みは全校児童でやり、積んだお茶は製茶工場でお茶にしてもらいました。
小学生を受け持った経験はわずか3年間だけでしたが
一杯思い出が詰まっています。
一番茶はもちろんみんなでいただきましたが、
校長と代表児童が市長へも贈呈していました。
今もそれは続いているようです。
縄文人さんのお茶の花から、忘れかけていた思い出を蘇らせることが出来ました。
お茶の花、清楚で大好きです。
所沢の妹の家の辺りは狭山茶の産地なのでよく見かけておりました。
今頃は花を付けていい香りを漂わせているのでしょう。
東京は、道路はアサハルト、人家・人家・そしてビルデング。
あまりお茶の樹は見たことがなく、畑の片隅から眺めた庭先にあるお茶の木が目に止まりました。
ご苦労さんです、
お仕事お休みも、頑張ってください。出も皆さんガリックを背負って出かけるのを見たときは、心の片隅で????…と抵抗感を抱くことでしょう。
やはり葛ハイの時リーダを背負っていた時は、この前もお話していましたが、
やはりドッキングすることが有り大変でしたでしょう。
明日5日、古利根街歩きですが欠席します。
もし、行かれたら他の用事(博物館)があるので…とリーダに言ってください。
ピカピカの1年生。電気自動車ですか?
働きがいいと、新車も!!
東京生活が長いと、ついついと、
田園生活を忘れてしまい、お茶の木を題材にしました。
≫母が畑の畔に植えてい
そうなんです、どういうわけか畑の畔に、肥料が周りに流れてきて養分バッチリ、生育旺盛・・・かな。
盆栽仕立てですか、あまり見たことがないです、刈り込めばきっと見栄えが良くなるのでしょう。
旦那さんが、たくさんの盆栽…?と言って、少しづつ、片付ける、その後の状況は。
トンちゃんの庭にもきっと、お茶の盆栽が並んでいたことでしょう。
その頃の思い出が最も鮮明に蘇るのではないですか。
小学校にお茶畑があり、茶摘み、そして製茶工場へ。何だかその様子が手に取るようで子どもたちのはしゃぎ声が聞こえそうです。
我が山の学校は、学校林が有って春先、スギやヒノキの苗を植えに道具と弁当持参で出かけました。
古き良き思い出です。
よくおねいさんとご一緒されることが有り良いですよ・・・・・ね。先日も病院へ
所沢と言えば、本場狭山の地続き、いつもお目に掛かることが。
よく山歩きの時は見ましたが、最近は花が咲いていたので目につき、題材にしました。
体調は如何ですか、ご自愛ください。
コメント欄見過ごしてましたよ。。
可愛いけどあんまり注目されませんね。
福岡県には八女茶 があり 八女市には石橋もいっぱいあるからよく行きました。
御茶の実 で作ったお雛様が有名です。。
渋いお茶 いいですね~
遡ってまでコメ頂き有難うございます。
最近の、
タイトル、内容に、皆さんからコメント頂くようなのが無く、コメ欄を閉めています。
御免なさいね。
歳を重ねますと、食事の後は必ず、渋いお茶を頂きます。美味しいです。
茶花が、珍しかったのでupしました。
八女茶は有名ですね。よく聞きます。